244 誰かの手記
『――今日、勇者になった』
書き出しは、そう綴ってあった。
勇者になった。
喜びが字体にも表れるかのようで、古びた紙面の中に感情が活き活きと踊るかのようだった。
『――嬉しい。ついにここまで来たかという感慨でいっぱいになる。この手に握られた聖剣。今日からコイツは私の剣として、私の手でモンスターを斬り刻んでいくのだ。私は勇者に選ばれた』
この手記の主は、おそらく過去の勇者なのであろう。
数百年、あるいは数千年の昔から人間族は聖剣を継承してきた。
継承してきた者たちそれぞれが勇者を名乗ってきた。
今を生きるエイジだけではない。
過去を遡ればそれこそ数十人、数百人と過去の勇者たちがいるのだろう。
この手記の主も、恐らくその一人。
* * *
読み進めていけば、そこに記されたのは一人の勇者の行動記録と言ったようなものだった。
浮かれた文調は最初の勇者就任の慶事にのみとどまり、以降の記述はただストイックに徹していた。
……何処に現れた何というモンスターを倒した。
何体いて、どの程度の被害をもたらし、討伐までどれほどの期間を要したか。
実際に戦闘して得ることができた感触。
習性、戦闘スタイル、弱点や細かなクセが詳細に書き記されており、この手記自体がまるでモンスター図鑑であるかのようだった。
「よほど几帳面な性格なんだな……」
この手記の書き主は。
エイジは忌憚なくそう思った。
彼自身もまた勇者ではあるが、こんな書き物を残したことは一度としてなかった。
一度戦ったモンスターの特徴は脳に焼き付け、絶対忘れない。
もし同じ敵と出会ったならば、脳に収められた情報がすぐさま引き出され、戦いながら戦略に組み込まれる。
天才肌のエイジにとっては驚嘆に値した、このように経験したことを忘れまいとする勤勉さは。
ただそうした勤勉さは、高く掲げた目標のためであるようだった。
『――今日も出てきたのは兵士級モンスターだった。もどかしい。なんで私の受け持ちにはザコしか現れないのか。もっともっと強い敵を倒して実績を積みたいのに。ザコばかり倒しても到底あの境地には到達できない』
すべての剣士の高み。
『――聖剣の覇勇者に』
「…………」
この手記の主は、模範的と言っていい真っ当な勇者だった。
勇者という肩書きに誇りを持ち、任務に精励し、そしてより高い場所へ登ろうと情熱を燃やしている。
勇者として必要なものを漏れなく備えている。
この手記の主は。
こういう人物なら別に覇勇者の称号をやってもいいんじゃないかな、とエイジは他人事のように思えた。
これまで勇者の名に値しない勇者を幾人か見てきたエイジである。
それら名ばかり勇者に比べれば、この文を書き記した者は遥かに完璧な資格を持ち合わせていた。
そんな手記が、ある点から急に色を変えた。
* * *
『――男に出会う』
と書き記してあった。
新たなページが、モンスター以外の書き出しで始まるのは珍しいことだった。
『――不思議な男だった。人間族ではない。しかしドワーフやエルフ、竜人でもなければゴブリンでもなかった。私の知るどの種族の特徴もない。ひたすら不気味だった』
『――でも、何よりおかしいのは見てくれの特徴とか、そんな些細なことじゃない。ヤツは何の武器も持っていなかった。人間族なら剣。ドワーフなら鎚。エルフなら弓矢。そういった種族特有の武器を……』
男は何も携えていなかった。
手記はその点を強烈な驚きと共に書き記していた。
『――いや、それだけならば別にいい。武装してない者などそう珍しいわけではない。誰もが戦えるわけではないんだ。しかしあの男は、ナイフ一本も帯びていないというのに、他でもない、自分自身の拳をもって……』
モンスターを打ち砕いた。
『――信じられない。人類種が素手でモンスターを殺す。そんなことが現実にありえるのか。ホラ話だと笑われそうだがホラじゃない。ヤツは本当にパンチを入れただけでモンスターを粉々に砕いてしまった』
聖剣どころか武器すら帯びず。
『――ヒョウとおかしな音の息を吐いていた。気になったのはそれくらいのものだった。しかもそのモンスターは私が討伐指令を受けていたヤツだった。久々の勇者級だったのに。ヒトの獲物を横取りしやがって!』
さらに不思議なことには、男の記述がこれから頻繁に現れるようになったこと。
『――知れば知るほど不思議な男だった。彼は、当たり前の常識をまったく知らない。田舎者……、あるいは野生児と言っていいほどだった。ふとした偶然で人類社会に迷い込んだ野生児。それが彼への最初の印象だった』
いつしかモンスターに関する記述と、男に関する記述が半々となっていった。
『――しかし彼は、私たちの見えていない遥か遠くのものを見据えている感じがする。皆が知っていることは何も知らないけれど、誰も知らないことを一人だけ知っている』
勇者は、いつしか男と行動を共にするようになっていた。
双方かなりの達人であることは伝わってきたから、目標が同じなら共闘も当然だろう。
二人は協力して覇王級すら倒したという記述すらあった。
ところどころ飛んでいる記述があった。
まるで知られてはいけないことを隠すかのように。
恐らくは数年単位での空白があるように読み取れた。
『――不思議だ。以前はあんなにも焦がれた勇者の座も、今では特に意味がないもののように思える。世界の秘密を知ったからか』
「世界の秘密……!?」
その一文に、エイジの視線が吸い寄せられる。
『――今の私には、勇者の称号よりも大切なものがいくつもある。しかし同時にそのために、私は彼に同行することができない。彼と私の役割は、別々のものになってしまった』
『――彼は世界を変えるために旅立っていく。邪悪なる剣神アテナが歪めた世界を正すために。私はここに留まる。続いていくこの世界の、次の担い手を育むために』
『――ここに来てやっとわかった。私の剣は、制覇する剣ではない。伸し上がり、名を成さしめ、世界に覇を唱えるための剣ではなかった』
『――私の剣は、受け継がせるための剣だったのだ。私が今日まで培ってきたことを、すべてこの子に注ごうと思う。彼の血と才能をも受け継いだこの子に』
『――私だけでなく、彼の一部もこの子に息づいていることを示すために、彼の名をとってエイジと名付けようと思う』
『いつかエイジが自分の父親と出会う日が訪れますように』
* * *
言われた通り最初から最後までを通して読み終わり、エイジの表情はすっかり変わっていた。
顔から血の気が引いていた。
「サスリアさん、この手記は……」
「もう察しがついてるだろう。アンタの母親が書いたもんだ」
いつの間にかサスリア老婆は手にキセルを持って、タバコの白煙を重々しく吐いていた。
「かつて青の聖剣を賜り、次期覇勇者の最有力候補と呼ばれていたエルネア。この手記はアイツが書いたもんだ。しかしヤツは、確定とまで言われていた覇勇者への就任を蹴り、聖剣院を出奔までしていずこかに消えた」
「…………」
「そしてアンタが生まれた。稀代の勇者と、正体不明の怪物との間に生まれた鬼子。尋常ならざる者と尋常ならざる者とが掛け合わさった麒麟児」
へっ、と皮肉めいた笑みをサスリア老婆は漏らした。
「強いわけさね。アンタは根底からして、常人を遥かに超えた高みにいるんだよ」
「じゃあ、まさか……!?」
「恐らくだが、その手記に出てくる男とやらがアンタの父親。そしてその男はどこかに消えた『邪悪なる剣神アテナが歪めた世界を正す』ために……」
たしかにこの手記にはそう書いてあった。
では、今エイジが目指そうとしているその場所に、父は向かいそして消えていったのか。





