17話【闖入者】
東京の夕方は、乱立する高層ビルのおかげで、すぐにその暗さを増す。
だが、すぐにネオンが闇を飾り、夜という本来は人類の恐怖の象徴を、幻想的なものへと変えていた。
夜の首都高を走ったことの無い人間には、想像がつきにくいが、左右にカーブする度に、有名なスポットがライティングされている様は、なかなかに壮観だ。
「そこのカーブを曲がったら、左を見ててごらん」
「はい……あ! 東京タワー! こんな近くに!?」
「うん。すぐ横を通ってるからね」
「凄い、綺麗!」
「奥に注意してごらん。スカイツリーが見えるよ?」
「え……どこ……あ! あれですよね!」
東京タワーとスカイツリーはかなり離れた距離に建てられているのだが、スカイツリーが余りにも巨大で、どちらも視界に入る場所がいくつかあるのだ。
「うわー、凄い……」
「もう少し進んだら、レインボーブリッジとお台場だよ」
「お台場! 聞いたことはあります!」
「そうだね……ちょっと降りてみようか」
「はい!」
レインボーブリッジからの夜景は、摩天楼の夜景を凝縮していた。
高層ビルに、お台場、遠くには巨大クレーン。
その全てが闇夜をデコレーションする、巨大な宝石箱となっているのだ。
「うわわー」
「あの変な建物がテレビ局で、そこを走ってる電車は無人運転なんだよ」
「え? 無人なんですか?」
「うん。だから、一番前のガラスには、だいたいお子様がへばりついてるよ」
「……わ、私がそこにいたら変ですかね?」
「そんな事はないよ」
「そっか」
今度、連れてきてあげようかなどと、亞汰彦が思案する。
ただ電車に乗るために来てもつまらないから、どうせならお台場を回るとか、観光もセットにすればいいかもしれない。
「ちょっと、高速降りるね」
「はい!」
お台場は、簡単に言えば埋め立て地だ。
行き来するには、必ず橋を渡らねばならず、島のようなものだ。
車であればさして広くないお台場をぐるりと回り、逆ピラミッド型が目立つ謎の巨大建築物の近くに車を駐めた。
「ちょっと降りようか」
「はい!」
「そこの階段を上がると、広場になってて、結構風が気持ちいいよ」
真夏だが、止むことの無い海風のおかげで、以外と涼しいテラスへと上がる。
強風が、夕姫の髪を巻き上げた。
「あ、風車が見えますよ!」
「あれは風力発電だね」
「おっきいんですね」
亞汰彦が手すりに体重を掛けると、夕姫も同じように、テラスから海を眺める。
そのまましばらく、二人は無言で波と風の音に耳を澄ませていた。
まるで、喫茶店で執筆している時のように無言で。
その時間が、とても心地よかったと、気付いたのはもっと後のことだった。
二人にとってそんな時間が当たり前になっていたのか、どちらも無言でいることを疑問にすら思っていなかった。
「……さて、そろそろ行こうか」
「はい」
二人が階段に差し掛かった時、一際大きな突風が吹き抜けた。
「きゃっ!?」
「おっと、大丈夫?」
たたらを踏んだ夕陽を、慌てて支える亞汰彦。
階段から落ちないように、身体を引き寄せてしまった結果、鼻と鼻がぶつかりそうになるほど、二人は密着していた。
「「あ……」」
どーん。
突然花火が夜空に咲いた。
「え?」
おそらく千葉方面だろう、少し遠いが、海面を照らす七色が、鮮やかに輝いていた。
それまで、考えないようにしていた、何かが亞汰彦の中で急速に浮上してくる。
花火の光を反射して、星が瞬く夕陽の瞳。
吐息がハッキリと感じられるほどの距離。
亞汰彦が、夕陽の両肩にそっと手を添えると、ビクリと彼女の身体が震えた。
全精力を注ぎ込んで、ゆっくりと、その身体を離していく。
「ごめん、大丈夫だった?」
「……あ、……はい。大丈夫、です」
「そっか、良かった」
車に戻った二人は、いつもの喫茶店に着くまで、終始無言だった。
先ほどの心地よい無言とは真逆に、まるで言葉が重くなりすぎて、発することも出来なかったのだ。
「ここでいいの?」
「はい。ありがとうございました」
ようやく、会話のきっかけが出来たことに、少しだけ安堵する亞汰彦。
家まで送るべきだろうが、女子高生の家を聞くのも失礼かと思い、待ち合わせ場所の喫茶店で降ろしたのだ。
毎日きてるくらいなので、家は近いのだろう。
「じゃあ気をつけてね」
「はい。じゃあまた明日」
「うん」
明日という単語を聞いて、内心ほっとする亞汰彦。
もしかしたら、もう夕陽がこの喫茶店に来ないのではと、心のどこかで思っていたからだ。
「おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
何とも言えない気持ちを抱えたまま、亞汰彦はベッドに潜り込むのであった。
◆
「あ、アタルちゃん~、こんにちわ~」
「……え? ヨルツキさん!?」
次の日、いつものように仕事終わりに喫茶店に足を運んだ時の事だった。
なぜかいつものカウンター席に座っていたのは、夕姫だけでなく、ヨルツキもだった。
「あ、アタルさん。実は……」
「えっとね~。昨日タクハタちゃんと話してて知ったんだけど~。実は結構家が近かったの~」
「そうだったんですね」
「それで~。二人で書いてるって聞いてたから~。ちょっとお邪魔してみたくなって~」
「いや、全然邪魔なんかじゃないですよ」
「ありがと~」
俺の顔色をうかがったのか、夕姫が少しほっとしていた。
完全に知らない人に教えたわけじゃ無いし、住所を教えたわけでもない。そもそも人気作家が問題を起こす行動をするとも思えないので、このくらいは問題ないだろう。
これが、相手が男で、夕姫が自宅の場所を教えたとかなら、大問題だが。
「昨日は、なんだかすみませんでした」
「楽しかったよ~」
「なら良かったですよ」
ぐだぐだのオフ会だったが、幸い呆れられてはいないようだった。
「二人で執筆してるって聞いたから~、私も書こうかな~って」
「大歓迎ですよ」
座ろうとして、亞汰彦はハタと気付いた。
この喫茶店のカウンターは三席。
ヨルツキと夕姫が座っているのは両端。
二つテーブル席は空いてるので、そちらに移動しましょうと提案しようとした瞬間だった。亞汰彦の腕に、ヨルツキが腕を搦めて、身体を寄せてきたのだ。
「え、ちょ」
「アタルちゃんはここね~」
ぐいぐいと引っ張られて、無理矢理カウンターの中央に座らされる。
当たってます! 当たってますから!
亞汰彦がパニック気味に内心叫ぶ。
だが、口にしたら色々終わる気がして、どうにか飲み込む。
「……嬉しそうですね、アタルさん」
「いや!? そういうんじゃないよ!?」
口を尖らせる夕姫に、思わず言い訳してしまう。
自分でもなぜしているのかわからないが。
「えっと、いつもはこのまま執筆するんですが……」
話を逸らすために、亞汰彦はヨルツキに話し掛ける。
「じゃあ私も書く~」
「今、何か連載してましたっけ?」
「んん~。書き下ろしを頼まれてるんだ~」
「え!? 新作ですか!?」
「そうだよ~」
「おお」
ドラマ化確実のヨルツキ新作と聞けば、興奮しないわけが無い。
「ちょっと読んでみる~」
「良いんですか!?」
「内緒だよ~」
「もちろんです!」
思わず興奮して声を出してしまう。
今、人気絶頂かつ、自分の好きな作者の新作を、こっそり読ませてもらえるとなったら仕方の無い子尾だろう。
亞汰彦は興奮収まらず、鼻息を荒くして待つと、ヨルツキは原稿用紙の束を取り出した。
「どうぞ〜」
「……え?」
どさりと紙束を手渡され、困惑する亞汰彦。
「え?」
ずっしりと重いそれに、もう一度間抜けな声が出てしまった。
石化している亞汰彦を助けたのは夕姫だった。
「あの、ヨルツキさんって、手書きなんですか?」
「うん〜。パソコンで直接書くの苦手で〜。一度紙に書き出さないとダメなんだ〜私〜」
「びっくりしました」
「うん〜。よく言われる〜」
まさかのなろう作家が手書き派だったことに衝撃を受けつつも、亞汰彦は「ま、いっか」と原稿を読もうとして、再び石化した。
「よ……読めない……」
原稿用紙には、ミミズがのたくったか、子供が鉛筆で直線を引こうとして失敗したような、謎の線画くねくねとうねっていたのだ。
ヨルツキの原稿は解読不能だった。
私も漢字を知ってたら、手書きしたいかも……。
まぁどう考えてもPC書きがしか選択肢ないんですけどね。




