10話【書籍化したい】
「聞いてください! アタルさん!」
亞汰彦が喫茶店に入ると、飛びつくように夕姫が迫ってきた。
抱きしめられそうな程ギリギリまで距離を詰められ、思わず硬直してしまう亞汰彦。
「な、なに?」
「昨日、クレッセントブーケさんと、ヨルツキさんにお会いしたんです!」
「……え? ヨルツキって、あのヨルツキ先生?」
「そうです! あの”夏が流れゆく”のヨルツキさんです!」
「それは凄い! ……その前に座ろう」
「あ、はい」
初っぱなの夕姫との距離感に驚かされ、続けてなろうのレジェンド作家と会ったという衝撃を連続でぶつけられ、亞汰彦の心臓は和太鼓の演奏を奏でていた。
鼻腔にフワリとした香りが残っているが、きっとこの早鐘を打つ心臓とは関係ないだろう。
亞汰彦は襟を正して、いつもの席に着いた。
老夫婦が経営する小さな喫茶店ロゼットのウェイトレス担当の夫人に、いつもの珈琲を注文して、改めて夕姫の話を聞くことにした。
内心、今日は執筆出来なさそうだなと覚悟しつつ。
「――迷っちゃって!」
「東京は迷うよね」
「――で、抱きしめられちゃって!」
「それはびっくりするよね」
「――ともお綺麗で!」
「ほうほう」
「――だったんです!」
「なるほど」
「――なんですよ!」
「へえ」
一心不乱に昨日の体験を語ってくれる夕姫。
最初は真剣に返事をしていたが、途中から微妙に投げ槍になっていく亞汰彦。
話としてはもちろん面白いのだが、どう返答して良いのかわからないシーンが多く、とりあえず、聞いていますというスタンスを明確にするため、相づちだけ挟んでいたのだが、どうやら女の子という生き物は、それで満足するらしく、興奮気味に話を続ける夕姫だった。
三十分ほどが過ぎた頃だろうか、突然夕姫の動きがピタリと止まる。
「あ……わっ私、ずっと一人で……! はうぅ!」
突然顔を真っ赤にして、両手で顔を覆ってしまった。
不幸にも、ずっと一人で語っていたことに気がついてしまったようだ。
「楽しかったから」
「ううう……ごめんなさい……」
これまで仕事以外で、異性とまともに会話したことの無い亞汰彦は、自分の対応が正しかったのか悩みつつ、ハムスターサイズまで縮み上がっている夕姫に優しく声を掛ける。
「二人も書籍化作家と知り合いになれたなんて羨ましいよ。特にヨルツキ先生」
「お二人からサイン本もいただいちゃって、本棚に祀っちゃいました」
「それはいいお守りだなぁ」
亞汰彦も、小説家になろうから書籍化した作品を購入しているが、サイン本は持っていなかった。
噂では東京や大阪などの大型店舗や、専門店などで取扱があるらしいのだが、彼らの住んでいる場所は中途半端に東京から離れているので、まだ確認したことが無い。
それにしても、スマホも使えないのに東京まで行くとは凄い行動力だ。
それだけ嬉しかったのだろう。
「さて、僕も書籍化出来るように頑張らないと」
「あっ! そうですよね! 私も書かなきゃ」
目的が書籍化でないなら、そんなに頑張らなくても良いんだよ。とは口に出来なかった。
◆
ウラヌス:キタアアアアーーーーーーー!!
それはちょうど仕事が終わって、会社の駐車場に向かう途中だった。
スマホがぽっぺんと間抜けな音を奏でたので、SNSを開く。
アタル:どうしました?
ハリセン:彼女でも出来たっすか?
販売延期になったと嘆いていたフィギアでも届いたのだろうか?
ウラヌス:キタキタキタキタキタキタァァアアアアアア!!
アタル:とりあえずウラさん落ち着いて。
ウラヌス:だしんがkta
ハリセン:変換ミスおつ。
アタル:落ち着いてください。
チャットじゃなくて、音声通話の方がいいだろうかと、亞汰彦が悩み始めた時、画面にウラヌスマンの爆弾が投下された。
ウラヌス:書籍化の! 打診が! 北11
最後の文字化けはたぶん「来た!!」だろう。
……。
ん?
「はあああああ!? 書籍化! 打診!?」
亞汰彦は思わず駐車場のど真ん中で叫んでしまった。
同じように歩いていた他の社員が、眉を寄せながら、亞汰彦に向く。
「あ、いや、すいません。なんでもないです」
亞汰彦はぺこぺこと頭を下げながら、急いで自分の車に入り込む。
エンジンは掛けるが、運転はしない。
アタル:打診って、書籍化するんですか!?
ウラヌス:しまった。喜びのあまり思わずグループチャットに書いちまったけど、メールの最後に内密にってあった。
ハリセン:大丈夫っすよ。俺クチ固いんで、内緒にしときますよ。
ハリセンの普段の姿を思い出すと、とてもクチが固いとは思えないが、二股が出来るって事は案外得意なのかも知れない。
アタル:もちろん、ここだけの話にしますよ。
幸いこのグループチャットは三人だけだ。
ウラヌス:恩に着るわ。今度ラーメン奢る。
ハリセン:あざーす。
アタル:ラーメン限定なんですかw
ようやく冷静さを取り戻してきて、軽口を叩いているが、実は亞汰彦の心臓はずっと高鳴ったままだ。
ハリセン:どうせ内緒にするんで、どこから来たのか教えてくださいよー。
ウラヌス:マジ内緒だぞ、エインヘリャルブックスだ。
アタル:最近出来たファンタジーメインのレーベルですね。
ウラヌス:ああ。流石に条件は教えられないけどな。
ハリセン:そんでウラさん、書籍化するんすか?
ウラヌス:当たり前だろ! 今返信の文面考えてるところだ。
アタル:あ、書籍化するのって”中堅冒険者パーティーから追い出されてから、覚醒した俺”ですよね?
ウラヌス:打診されてるのはそれだな。
アタル:あれって連載初めて二週間も経ってないですよね?
ウラヌス:ああ。
ハリセン:すげぇっす!
アタル:凄い……。
ウラヌス:今から返信とか色々やるから、詳細はまた後日な。
ハリセン:うぃーす。
アタル:頑張ってください!
そこでスマホの画面を消した。
亞汰彦はふうと深いため息を吐いた。
徹底的になろうに標準を当てて研究し続けてきたウラヌスマンの書籍化。
それは亞汰彦にとって嬉しくもあり、複雑でもあった。
ウラヌスとハリセンと出会うことで、彼の理論に目から鱗が駄々漏れし、亞汰彦なりになろうに寄せた作品が、今連載している作品だった。
いや、最初の数話はそうだったと、言い直そう。
タクハタチヂメこと夕姫と出会い、彼女の何気ない一言で、その方向性を曲げたのだ。
正確には、可能な限りウラヌス達と考えた理論を踏襲しつつ、自分の楽しい、面白いを充填させていったのだ。
逆にウラヌスは、徹頭徹尾理論を守り続けていた。
ウラヌスは自分を曲げなかった。
紫の庭をインチキ呼ばわりしたことは、いまだに心のしこりとして残っているが、一つ気に入らないことがあるからと、嫌いになってしまったら、友達などいなくなってしまう。
それに後日、彼は少し言いすぎたと、ちゃんと謝罪したのだから。
彼は、自分を信じて貫いた結果、書籍化をつかみ取ったのだ。
それに比べて自分は……。
ランキング一位の夕姫の一言に一喜一憂して、ぶれまくっていたのではないだろうか?
自分はこのまま執筆を続けて良いのだろうか?
どこかで間違ってしまったのでは無いだろうか?
亞汰彦は、友達が書籍化したとは思えないほど沈痛の面持ちで喫茶店へと足を踏み入れるのだった。
書籍化したい(´・ω・`)




