55.伝えたい思い
「んん……」
ぽかぽかとした温かいぬくもりに包まれながら、アイリスの意識はゆっくりと浮上していく。
ベットはとてもふかふかで、部屋には心地の良い香りが漂っている。
(あったかい…。もう少し、ねていたいわ)
そう思い寝返りを打とうとするが、手を何かに固定されていて動けないことに気が付く。
不思議に思ったアイリスは、その何かをゆっくりと握ってみる。
(一一これは、誰かの手?)
そっと閉じていた瞼をあけると、視線の先には椅子に背中を預けながら、アイリスの手を握っているルイスがいた。
「一一!?」
そのことに驚いたものの、ルイスはアイリスの手を握りながら目を閉じ、規則正しい寝息をたてている。
その顔は彫刻のように美しいが、よく見ると目の下には薄くクマのようなものがあった。
ルイスを起こさないよう何とか声を抑えたアイリスは、先程までの出来事を思い出し、もう一度ルイスを見つめる。
(もしかしてルイス様、私を探し出すために寝ていない…?)
でなければ、あんなに早くあの場所を特定し、アイリスを助けには来れなかったはずだ。
きゅうっと、アイリスの胸が締めつけられる。
(ルイス様はいつだって、当たり前のように自身のことよりも他の人のことを考えて、その人のために動いてくださる)
そんなルイスだからこそ、騎士団の皆や国民から好かれ、尊敬されているのだろう。
かく言うアイリスも、その一人だ。
「一一……ルイス様、ありがとうございます」
アイリスは身を起こし、握られている方の手を持ち上げるとルイスの指先へ、そっと唇をあてる。
その感覚が、ルイスにも伝わったのだろう。
ルイスは軽く身じろぎをした後、ゆっくりと瞼を開けた。
「……」
ぼんやりとした眼差しを此方へ向けながら、ルイスはもう片方の手でアイリスの頬へ触れてくる。
(ルイス様の手、優しくて、温かい)
自然とその手のひらに身を委ねていると、少し掠れた声色で、ルイスが口を開いた。
「アイリス、体調に変化は?」
「大丈夫です。この通り、元気いっぱいです!」
「そうか、なら良い」
何処か安心したように、ルイスはふっと微笑んだ。
そして頬から手を離し、ルイスはぽつりぽつりとアイリスが意識を手放してからのことを話し始める。
「お前を公爵家で寝かせた後、騎士団へ戻り、セシルから今まで関わってきたことを聞き出した。元々、あいつは嫌々手を貸してきた奴だ。ウォーレン家が行ってきたことと、行方不明になっている少女らがいる場所を全て話してくれた」
当事者がウォーレン家の関与を認めたことにより、ようやく正式に彼ら(ウォーレン家)を捕らえることができるそうだ。
そのこともあり、もう既にエルヴィス達がウォーレン家へ向かったらしい。
きっと今頃は彼らを捕らえ、別の場所にいる少女達を救出しているだろうと、ルイスは言う。
「ルイス様は、捕縛に行かなくてよかったのですか?」
「行こうとしたが、あいつらが『婚約者殿の傍にいてください』って言ってくれてな。正直なところ、俺自身もお前の傍に居たかったから、有難くそうさせてもらった」
「それは…、また今度お礼を言わないとですね」
「あぁ、そうだな」
ルイスは再び椅子にもたれ掛かると、大きく息を吐き出した。
「人身売買を行っていた奴らも、これを機に芋づる式に炙り出せるだろうから、あとはそいつらを捕らえるだけだ」
まだまだやることは山積みだが、きっと暫くすれば騎士団内も落ち着いてくるだろう。
(それまでは、全力で頑張らなきゃ…!)
そんなことを考えながら、アイリスは気になっていたことをルイスへと尋ねる。
「あの、ルイス様。セシル先輩の処遇は、どのようになったのですか…?」
恐る恐る尋ねるアイリスに、ルイスは「安心しろ」と言うように頭を撫でてくる。
「ヴィンセント団長の判断により、セシルは王家が管理する鉱山での苦役が決まった」
「そう、なのですね」
「いくら従わされていたからと言って、犯罪に手を付けたことには変わりはないからな。本人もそれを望んでいる。一一さて、この話は終わりにするとして…、アイリス」
「は、はい!なんでしょう…」
突然名を呼ばれたことに、アイリスは驚くものの、それもルイスが次に紡いだ言葉によって、別の驚きへと変わってしまう。
「先程、俺の手を何かに押し付けただろう」
「!!」
「感触からして唇のはずだが、普段のお前の様子からするに珍しい。何かあったのか?」
まさかルイスにそこまでバレていると思っていなかったアイリスは、自身がしたことを思い出し、僅かに頬に熱が集まるのを感じる。
(た、確かに、普段の私からしたら珍しいことよね…!?あの時は寝起きだったせいもあって、ほとんど何も考えてなかった気がするわ…)
しかし、アイリスが無意識にそうしてしまったのには、数刻前にやっと理解した感情が少しは混じっていたのだろう。
その感情を意識した途端、トクトクと鼓動が早まる。
(本当に不思議…。ルイス様のことを考えるだけで、ぽかぽかと温かい気持ちになったり、胸が締め付けられたりするだなんて)
アイリスは、じぃっとルイスを見つめる。
そんなアイリスにルイスは優しく目を細め、アイリスの顎を持ち上げるようにすると、そのまま親指で唇をなぞるのだ。
「アイリス」
早く言葉を紡ぐようにルイスに名を呼ばれるが、唇に触れている手付きがもどかしくて、上手く話せそうにない。
「あ、あのっ!」
「なんだ?」
「る、ルイス様は以前、私のことが『愛おしい』と、仰っていましたよね。その気持ちは、揺るがないのですか…」
ふと、そう尋ねると、ルイスは唇をなぞる手を止め、アイリスの頬を両手で包むようにする。
そして、優しくも真摯な眼差しを、アイリスへ向けるのだ。
「その気持ちは今も変わらない。一一お前は、俺の最愛であり、唯一の存在だ。俺の行動の根幹に、いつだってお前がいるくらいにはな」
「っ!」
ルイスの言葉に、アイリスの胸が痛い程きゅうっとなる。
(本当に、この方は私が欲しい言葉をいつもくださる)
そのことが、どれだけアイリスを安心させ、心の支えになっているかなど、ルイスは知らないだろう。
(私だって、ルイス様に伝えたい…)
アイリスがこれからすることは、きっとルイスを驚かせてしまうはずだ。
けれど、ルイスに気持ちを伝えるためには、これが最善だと、アイリスは感じていた。
「ルイス様」
アイリスは腕を伸ばし、目の前のルイスの首へとその腕をまわす。
そうしたことでお互いの距離がぐっと近付き、アイリスはルイスの肩へ顔を埋めるような体勢になる。
「一一……っ!」
突然のことに、ルイスがはっと息を呑むのが分かった。
(ごめんなさい、ルイス様。あとで、たくさんお叱りを受けますから……)
ドクンドクンと鼓動が高鳴り、それが自身の中で響き渡る。
その音を聞きながら、アイリスは緊張で震える口を、ゆっくりと開いた。
「好きです、ルイス様」
アイリス言葉に、ルイスの身体が僅かに固まる。
そのことをいいことに、アイリスは更に言葉を紡ぐ。
「貴方のことが好きです。大好きです。婚約者だからではなく、ただのアイリスとして、貴方を愛おしく思っています」
そこまで告げると、ただ添えているだけだったルイスの手がアイリスの背中へと回され、力強く抱きしめられる。
「アイリス」
「は一一っ、きゃっ!?」
返事をしようとすると突然身体が軽く浮き、気が付けばアイリスはルイスの膝の上に向き合うように座らされていた。
(ま、全く動けない…!!)
降りようにも腰を掴まれているため、身動きひとつ取れないのだ。
アイリスは未だルイスの首に腕を回していることを忘れて、思わず抗議する。
「る、ルイスさまっ!!降ろしてくださいっ!!」
「嫌だ」
「なっ!どうして一一……」
その時だった。
不意に視界いっぱいに美しいマゼンタの瞳が近付いたかと思うと、何か柔らかいもので唇を塞がれる。
「……」
「一一……」
それが唇だと気付いたのは、ルイスの顔が離れてからのことだった。




