54.温かいぬくもり
怒りを含むその声色は、普段なら少し萎縮してしまうのに、今はひどく安心するのをアイリスは感じた。
「俺の声が聞こえなかったのか?さっさとその体を退かせと、言ってるんだ」
ルイスは剣の切っ先を、セシルへと向けた。
その剣は鞘から抜かれてはいないものの、きっとアイリスに何かあればルイスはすぐにでも鞘を外すだろう。
(ルイス様が鞘を外さないのは、セシル先輩だと分かっているからだわ。普段のルイス様なら、すぐに鞘を外すもの…)
以前セシルについて話していた時、裏切り者がセシルだと最初に気が付いたのはルイスだ。
しかし普段のセシルをよく知っているからこそ、このような状況でもルイスはあえて鞘を外さないと判断したと、アイリスは考えていた。
「一一」
すると、アイリスに跨っていたセシルがゆっくりと身を起こし立ち上がるとベットから床へ降り、ルイスの正面へ体を向ける。
「随分と速い到着ですね、オルコット公爵」
「はっ、今さらそう畏まらなくてもいい。…ただ顔を隠しただけで、部下のことが分からなくなるとでも思っているのか、セシル」
「っ」
「そもそも、ウォーレン家はきな臭いことで有名だ。今まで表立って事を起こしていなかったから、此方としても干渉はしてこなかったが…。今回は話が違う」
ルイスはそう言うと、何処か怒りを含んだ瞳をセシルへと向ける。
「俺の大事な奴らを巻き込んだ。当然、それ相応の報いを受ける覚悟が、奴らにはあるということだ」
しかし、その怒りの矛先はセシルではなく、セシルをここまで巻き込んできたウォーレン家へのものだろう。
「……どうして、」
セシルが絞り出したような小さな声で、ぽつりと言葉を紡ぐ。
「どうして貴方まで、俺を嫌いになってくれないんですか」
「先輩…」
「貴方の大切な婚約者にまで手を出そうとして、嫌われてもいいはずなのに…。どうして騎士団を裏切ってきた俺を、擁護するようなことを言うんですか…!!」
すると、セシルが突然腰に提げていた剣を抜き、ルイスへとその剣を振るった。
「ルイス様っ…!!」
「一一全く、感情的に剣を振るなと、何度言ったら分かるんだ」
「くっ…!」
「ほら、軸がずれている。一一だが、俺に剣を向けたことだけは褒めてやる」
鞘を外した剣でセシルの剣を抑えながら、ルイスは口元に不敵な笑みを浮かべていた。
そんなルイスを見て、アイリスは安堵する。
(よかった。ルイス様なら大丈夫だと思っていても、さすがにひやっとしたわ…)
ルイスは剣を横に振るい、セシルを後ろへと退けさせる。
「……っ」
振り払われたセシルは剣を握り直すと、再びルイスへと剣を打ち込んでいく。
その度に、キィン、と剣同士がぶつかり合う音が部屋に響き渡る。
(二人を止めたいけれど、私が間に入るにしたって武器も何も持っていないから止めることはできない…)
止めようにも止められない状態をアイリスがもどかしく思っている間も、二人の攻防は続いている。
「どうしたセシル、もっと打ち込んでみろ。俺が教えたこと、覚えているだろう?」
「もちろんですよっ…!!」
セシルがそう叫ぶように言いながら剣を振るった瞬間、ルイスの手から剣が離れてしまう。
「ちっ…」
「うわぁああぁ……!!」
その好機を逃すまいと、セシルはルイス目掛けて剣を振り下ろす。
(いや、そんなのダメ…)
アイリスはベットから降り、ルイスの元へと駆け出す。
ルイスの所まで近いはずなのに、何故だか無性に遠く感じてしまう。
(お願い、間に合って…!)
視界に映るもの全てがゆっくりに見える中で、アイリスは無我夢中でルイスへと手を伸ばす。
「ルイス様…!!!」
剣先があともう少しで、ルイスへ届きそうになった時だった。
「セーシル。それ以上は、だめだよ」
落ち着いた声と共に、キィィンと剣がぶつかり合う音が響いた。
「…どう、して」
声の主はセシルが驚いて僅かながらに力が抜けていることを利用して、片方の短剣の柄で彼の手の上へ一撃を入れ、剣を離させる。
そうしたことで完全に力が抜けたらしいセシルは、崩れ落ちるように座り込む。
「遅いぞ、ニコラス」
「ごめんなさーい、副団長。でも、さっき剣を離したのはワザと、でしょ〜?」
「あれくらいしないと、お前らはいつまで経っても出てこないだろう」
呆れたように言うルイスに、ニコラスは「そんなこと、ないですよ〜」と、笑いながら短剣を腰の鞘へとしまう。
そんな様子を見ていたアイリスも、つられるように床へと座り込む。
(よ、よかったぁ…)
ルイスに何もなかったこと、ニコラスが駆け付けてくれたことに安堵したアイリスは、ほっと息を吐く。
(それにしても先程の言い方だと、まるでルイス様がここへ来てから、ずっとニコラス先輩たちもいたような感じだわ…)
そう考えていると、ニコラスが普段通りの、のんびりとした口調で言葉を紡いでいく。
「セーシル、少しは落ち着いた〜?手、ごめんねぇ、痛くないー?」
「……大丈夫」
「そっかー、ならよかった〜」
「一一……なんで、怒らないんだよ。俺は、お前たちを、裏切ってたんだぞ」
目を伏せ、何処か苦しげな表情でセシルは言う。
しかし、そんなセシルに対しニコラスは床へ膝をつき、優しく包み込むように彼を抱きしめた。
「セシルは〜、お馬鹿さんだねぇ」
「ニコラス…?」
「今さら僕たちに嫌われようとしたって、無駄だよ〜。みーんな、セシルが大好き、なんだから」
「…っ!!だ、だけど、俺は、王国騎士団を裏切って…、」
「うん。それは、どう足掻いても、変えられない事実だねぇ。だけど、少なくとも、僕はセシルを助けられたかもしれないのに、できなかったから、ごめんね」
ニコラスは、ぎゅうっと、さらに強くセシルを抱きしめる。
「僕ね、一度だけ、セシルとアーサー・ウォーレンが話してるとこ、見ちゃったんだよね」
「!」
「その時、いつもなら躱すような暴力を、何の抵抗もせず受けてて、おまけに何か命令されるようなこと言われてたから、変だなって思ったんだ」
そう話すニコラスは、後悔で満ち溢れたような顔をしている。
「だから、そこで助けられなかった、僕も悪い」
「お前は、何も悪くない…。逃げられなかった俺が、悪いんだ」
「…ねぇ、セシル。今まで、嫌でも加わってきた罪を、しっかり償って、今度こそ自由になったら、皆で飲みに行こーね。僕たちは、ずーっと、待ってるから」
「一一あぁ、ありがとう…」
ニコラスを抱きしめながら、目元を袖で拭うセシルの声は、何処か震えていた。
「一一ニコラス。外にいる奴らと一緒に、セシルを連れて行け。騎士団で、もう一度詳しく話を聞く」
「りょーかいです、副団長」
ニコラスはそう返事をすると、ニコラスを支えるようにして立ち上がる。
ルイスは立ち上がったセシルへ手枷をつけながら、ゆっくりと口を開いた。
「セシル、ニコラスの言う通りだ。自由になったらまた戻ってこい、上司命令だ」
「はっ…!」
「あと、俺の婚約者に触れた分の罪は、お前が戻ってきてから存分に償わせてやるから、そのつもりでいろ」
「はい、心しておきます」
部屋から出て行く二人の背中を見送りながら、アイリスは、ぼうっとする頭で状況の整理をする。
(これで、ようやく事件はおわったのね…)
すると、心地の良い低い声がアイリスの鼓膜を揺らした。
「アイリス」
「っ!?」
そう名を呼ばれたかと思うと、ルイスに力強く抱きしめられる。
抱きしめられたと同時にルイスの温もりを感じ、先程よりも全身から力が抜けていく感覚があった。
「る、るいす、さま」
「すまない、アイリス。助けに来るのが遅くなったうえに、怖い思いまでさせてしまって」
「そ、そんなことないです!寧ろ、予想よりも早くて、びっくりした…、」
そこまで言葉を紡いだ時、突然アイリスの瞳から止めどなく涙が溢れてきてしまう。
拭っても拭っても涙は止まることなく次々と溢れ、アイリスを抱きしめているルイスの肩をも濡らしていく。
「ご、ごめん、なさ…、泣くつもりじゃ」
「今くらいは泣いてもいい。攫われることを予測していたとはいえ、いきなり男に手を出されそうになったんだ。怖くなかったはずがない」
「……っ!それも、そうです、けど…。ルイス様が、怪我をするんじゃないか、って、そっちの方が、こわかったんです」
「それは、すまなかった」
涙で濡れる瞳を、ルイスの肩へぐりぐりと押し付けるようにしながらアイリスは言うと、ルイスの背中へと手を回し、ぎゅっとその体を抱きしめる。
そうしたことで、アイリスはさらにきつくルイスに抱きしめられてしまう。
「ルイスさま、少し、くるしいです」
「悪いな。一一だが、お前が無事でいてくれて、本当によかった」
「ふふっ、わたくしは、ルイスさまの婚約者、ですよ?そう簡単に、負けないんですから」
「そうだな。さすが、俺の自慢の婚約者殿だ」
ルイスはそう言うと、アイリスの頭をまるで壊れ物を扱うかのように、そっと優しく撫でる。
そしてルイスは一度アイリスから体を離し、自身が着ていた上着を脱ぐと、それをアイリスへと掛けた。
「その格好だと寒いだろうから、羽織っておけ」
「ありがとう、ございます」
「あぁ。それと、これから公爵家へ向かうが、気分が悪くなったらすぐに言うんだぞ」
「……はい」
ルイスは立ち上がると、アイリスを横抱きにして歩き出す。
(一一ふしぎだわ、とっても、ふわふわする)
アイリスはルイスに身を委ねている内に体が怠く、瞼が重くなってきたことに気が付く。
しかしそれらに抗う力は残っておらず、アイリスはそのまま瞼を閉じる。
(どうして、ルイスさま相手だと、こんなにも安心、するのかしら…?)
考えながらも、アイリスの意識は少しずつ遠のいていく。
そんな中でも優しく、力強くアイリスを支えてくれる感覚だけは、はっきりと感じ取ることができるのだ。
(一一あぁ、そういう、ことね。ようやく、わかったわ……)
意識を手放す直前、ずっと胸につかえていた感情を、アイリスは理解する。
(この感情は一一、)




