52.彼の企み
深い深い底から這い上がるように、少しずつ意識が戻ってくる感覚がする。
しかし薬の影響なのか体はまだ怠く、思ったように動いてくれそうにない。
(……起きなきゃ…。はやくおきて、るいす様に、ほうこくを)
重い瞼をゆっくりと開けると、そこには見知らぬ部屋の景色が広がっていた。
部屋はただ寝泊まりするためだけに造られたような内装で、簡易的なベットが一つあるだけだ。
そして窓はあるがカーテンが閉められていて、外の様子を見ることができない。
アイリスはぼんやりとした頭でそんなことを考えつつ、手が後ろで固定されているため、前屈みになって、ゆっくりと起き上がる。
「いったた……」
床で眠らされていたせいか、体の節々が痛んでいる。
(体の痛みは、暫くすれば治まるわね。一一怪我もしていないけれど、逃げるのは手縄と足縄があるから難しそうね)
手首と足につけられている物をみながら、アイリスは静かに肩を落とした。
幸いなことに口は塞がれていなかったため、もし彼らが来たとしたら話しくらいはできそうだ。
(それにしても、どうしてあの人がこんなことを…)
アイリスを眠らせ、ここへ攫ってきた人物のことを思い出していると、正面の扉が静かに開き、外の明かりが入り込む。
「……」
ふと、扉の方を見ると、フードを被った一人の男が立っていた。
その男は扉を閉めると、何も言わずにアイリスの方へと近付いてくる。
そしてアイリスの前まで来ると屈み、口を開いた。
「お目覚めかな、アイリス・バーレイ嬢」
再び男の声を聞き、顔を確認したアイリスは、ぐっと拳を握りしめ、言葉を紡ぐ。
「……えぇ、お陰様でよく眠れましたわ。感謝致します」
「それなら良かったよ、バーレイ嬢。一一……いや、アルフと、呼んだ方がいいかな?」
「そこまで気付いていらっしゃったのですね、セシル先輩。いろいろと驚きですわ」
目の前の男、一一セシルはフードを外すと、アイリスの顎をそっと掴み、さらに視線を絡めてくる。
「そりゃあ気付くよ。何度その綺麗なスカイブルーの瞳を見てたと思ってるの。それに声も男より少し高いから、ずっと前から違和感はあったんだ」
「いつ、私がアルフだと気付いたのですか…」
「うーん、そうだなぁ。アルフが二週間くらい休んでた時期と、副団長の婚約発表の夜会の時期が怖いくらいに被ってたのと、パトリックが色々と婚約者様の特徴とか話してたから、それでだね。でもまさか、その婚約者様を攫えだなんて指示がくるとは思ってなかったから、驚いたなぁ」
そう屈託のない表情で話す様子は普段と変わらず、本当にセシルが誘拐をしているのかと不思議に感じてしまう。
「……本当に、セシル先輩が誘拐を、していたのですか…?」
恐る恐る聞くアイリスに、セシルは答える。
「そうだよ。……ごめんね、アルフ」
「っ!」
「でも、別に俺が指示してやっていた訳じゃない。その事だけは信じて欲しいな」
「一一他に、黒幕がいると…?」
「そう。俺も本当はこんなことしたくなかったんだけど、この世には切れない厄介な縁もあるんだよ」
「困っちゃうね」と話すセシルの表情は、偶に騎士団で見せていたような顔だった。
「先輩、先程私に会う前、一人の少女を攫いましたか?」
「そうだね。確かにそんな指示を受けてたから、それは別の奴がやったよ。……あぁ、君のところに行った小さい子は、『お姉さんを助けたかったら、綺麗なアメジスト色の髪のお姉さんを呼んできて』って近くにいた俺が頼んだんだ」
それだけ言うと、セシルは掴んでいたアイリスの顎から手を離し、此方へ背を向けて扉の方へと足を進める。
しかしセシルは扉の前まで行くと足を止め、アイリスの方を振り向いたかと思うと、口を開いた。
「そうだ、バーレイ嬢。一応言っておくけど、君を攫ったのを区切りに、ボスは今まで攫ってきた子達を人身売買に出すつもりみたいだよ」
「一一っ!」
「ふふっ、そんな顔しないでよ。まぁ、どんな表情でも綺麗だけどね」
驚きを隠せないアイリスを他所に、セシルは言葉を紡いでいく。
「もともと前攫った子で区切るつもりだったらしいけど、見たこともない美しい子が現れたって言うものだから、急遽変更したみたい」
「……私以外の子達は、無事なのですか」
「もちろん傷一つないよ。今は皆仲良く同じところにいてもらってる」
セシルはそう話しながら、再びフードを目深く被る。
「ちなみに売りに出すのは、明後日の夕刻。一一……それまでに、早く助けが来るといいね」
「ちょっと、待っ…!」
「それじゃあ、またね。バーレイ嬢」
アイリスが止める間もなく扉は閉められ、ガチャンっと、外から鍵をかけられてしまう。
(困ったわ、明後日の夕刻までに誰も助けが来なければ、私含めた少女達は売りに出されてしまう。それだけは避けなければならない…)
しかしそれ以前に、セシルが裏切っていたという事実を、アイリスは未だに受け止められなかった。
(いくらセシル先輩が黒幕でないとは言え、誘拐に手を貸していたことは事実。だけど、私の知る先輩は絶対に好き好んで悪事に手を出したりしない…)
セシルが今回のことに手を出さねばならなかったのには、きっと先程言っていた「厄介な縁」が関係しているのだろう。
そう考えたアイリスは、一度そのことについて考えることを辞め、これからどうしようかと辺りを見渡す。
(見る限り、武器になりそうなものはないわね。短剣も、攫われた時に落としてしまったし。一一せめて、足縄だけでも外せたらいいのだけれど……)
手首が後ろ手に縛られているため、手縄は簡単には外せない。ならば、少しでも動かせるであろう足の縄を外そうと思いつく。
けれど、今のままだと体勢が安定しなくて疲れてしまう。
(とにかく、壁に背中を預けるようにして膝立ちになれば、足縄に手が届く…!)
あとは足縄を解くだけなのだが、このように攫われて拘束されてしまった場合、一人では解けないように頑丈に縛られているということを、アイリスは思い出す。
(もし解いている間にセシル先輩か誰かが戻ってきたら、きっとこれよりも頑丈に縛られてしまうわ)
そうならないよう、急いで解こうと足縄へ視線を向けると、アイリスはあることに気が付いた。
「これって一一、」
***
「やあ、バーレイ嬢。ご機嫌はいかがかな?」
「……」
扉を開き、コツコツと、靴の音が部屋に響き渡るのを聞きながら足を進める。
「外は日が明けて、少し肌寒いくらいだったよ。まあ、この部屋も外とそんなに変わらないか」
「……」
セシルが話していてもアイリスは未だに反応がなく、俯いたままだ。
(寝ている?いや、寝ているのだとしたら寝息が聞こえるとか、分かりやすいはず。ということは、起きているのか)
一度肩を叩いてみようと、アイリスへと手を伸ばしかけた時だった。
「セシル先輩は、私を他の少女達と共に売りに出そうとしているのですよね?」
「一一!あ、あぁ、その通りだよ」
突然話しかけられて、セシルは少し驚いてしまう。
(びっくりした。起きてるんだったら、最初から返事してくれないと…)
そんなことを思いながら、セシルは早まる心臓を静めるために、ゆっくりと深呼吸をする。
しかし落ち着く間もなく、アイリスから発せられた言葉によって再び心臓が嫌な音を立てることになってしまうのだ。
「では、セシル先輩。先輩が私を売るつもりなら、この足縄などについて、どう説明するのでしょう」
アイリスはそう言うと立ち上がり、セシルに向けて縄を掲げてみせる。
もちろんその手首や足には、先程まで彼女を縛っていた縄は付いていなかった。
(あーあ、上手く誤魔化せるかと思ったんだけど…。アルフ相手じゃ、さすがに厳しかったか)
「先輩。貴方は、いったい何を企んでいるのですか?」
その言葉に、セシルは力が抜けたように微笑むしかなかった。




