51.動揺
アイリスのその一言にキャロルは一瞬の動揺を見せたものの、何事もないような顔をする。
「あら、私にそんな殿方はいないわよ?」
「嘘おっしゃい、キャシー。あなたが仲良くしているのは私の先輩よ?仲が良いって話も、その先輩から直接聞いたんだから」
「っ!!」
キャロルの肩が、びくっと揺れる。
そんなキャロルの様子を微笑ましく思いながら、アイリスはさらに言葉を紡いだ。
「普段とてもしっかり者の先輩が、最近妙にぼーっとしていることが増えていたの。だからこの間、仕事で二人きりになった時に『どうしたんですか?』って聞いてみたのよ」
「その先輩は、なんて答えたの…?」
どこか不安そうな表情でそう返答を伺うキャロルに対し、アイリスは少し意地悪な顔をして口にした。
「ふふっ、最初は先輩も口ごもっていたんだけどね。私があまりにもしつこく聞いていたら『最近仲良くしている、夜会で出会った侯爵家のご令嬢がいるんだ』って教えてくれたの」
「一一!」
頬を赤く染めていくキャロルに視線を向けたアイリスは、彼女の顔を覗き込むようにして言う。
「その先輩、エルヴィス先輩って言うのだけれど…。身に覚えはあるかしら、キャシー?」
「〜〜〜ったぶん、わたしの、こと、かもしれない、です…」
「やっぱり!実はその後にもいろいろ聞き出して、キャシーだという確信はあったの。だけど、こういうのって本人から直接聞いた方がいいじゃない?」
「もう!少しでも確信があったなら、はっきり言ってちょうだい!」
顔を真っ赤にしたキャロルがアイリスの肩を掴んで、ゆさゆさと体を揺らしてくる。
そんなキャロルを可愛く思いながら、アイリスはぽんぽんっと諌めるように彼女の肩を軽く叩く。
「だって、最初からはっきり伝えたところで、きっとキャシーは知らない顔するでしょう」
「で、でも…!!」
「あと貴女って、普段男の人と仲良くなっても絶対に名前や愛称で呼ばせたりしないじゃない?」
「一一…私が名前や愛称を呼んでもらいたいのって、家族や好きな方だけだもの」
そう、実はキャロルはいくら仲良くなった殿方がいても、決して自身の名を呼ばせていなかった。
(一一だからこそ夜会の時、エルヴィス先輩に名前を呼んで欲しいと言っていたから、怪しいと思ったのよね)
「それってつまり、キャシーはエルヴィス先輩に恋をしているってことかしら?」
「…え、えぇ。……一目見たときから、エルヴィス様に、わたしは、恋をしているわ」
そう言いながら、隣で顔を真っ赤にさせているキャロルに申し訳ないと思いつつも、アイリスは悪戯が成功して嬉しいような、そんな気持ちになってしまう。
「学園にいた頃から呼び名のことは知っていたけれど、キャシーって意外と分かりやすいと思うわ」
「うぅ…!」
「でもそんなところも、貴女らしくて私は好きよ」
「それは、ありがとう…」
キャロルが、ふわりと綻ぶように笑う。
それを見たアイリスは、衝動的にキャロルのことをぎゅうっと強く抱きしめる。
「アリス?」
キャロルは突然のことに驚いた様子を見せながらも、そっとアイリスを抱きしめ返してくれた。
「アリス、突然どうしたの?」
「一一キャシーが先輩とお付き合いしたら、こうして遊びに行くことが少なくなると思うと、寂しいなって思っただけよ!」
「あらあら。アリスに妬いてもらえるだなんて、私は幸せね」
そう言って、もう一度互いに強く抱きしめ合うと、二人は瞳を見つめて「ふふっ」と笑う。
そして勢いよくベンチから立ち上がったキャロルが、ぐーっと大きく体を伸ばし、アイリスの方を振り返る。
「さあ、アリス。いっぱいお話して休憩もしたから、今度は行ったことのないお店へ行ってみましょう!まだまだ気になるお店がたくさんあるの!」
「ええ、行きましょう!」
「ふふっ!今日は私が満足するまで帰さないから、そのつもりでね、アリス!」
「望むところよ!」
お互いに軽口をたたきながら、アイリスたちは日没を迎えるまで様々な店を回り、お忍びを楽しんだのだった。
「んー!最高に楽しかったわ!」
「そうね!また時間がある時に来ましょう、アリス!」
「ええ、もちろん!一一あっ!次はダブルデートなんてどうかしら?先輩も誘えばきっと来てくれると思うの」
「が、がんばって、お誘いしてみるわ…!」
そんな風に話をしつつ、二人が帰ろうと帰路に足を向けかけたとき、不意に後ろから服の裾を掴まれる感覚がした。
「あ、あの、お姉ちゃん!」
それと同時に聞こえてきた幼い少女の声は、どこか震えており、泣いていることが安易に想像できた。
アイリスは振り向き、少女と目線を合わせるように屈むと、少女を落ち着かせるようにゆっくり言葉を紡いでいく。
「あら、可愛いお目目にたくさん涙を浮かべて、どうしたの?」
「よかったら、お姉さんたちにお話ししてくれる?」
キャロルもアイリスと同じように屈むと、優しく少女の涙を拭き取ってくれる。
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらも少女は少しずつ落ち着いてきたらしく、ぽつりぽつりと話し始めた。
「あ、あのね、さっきね、いつも遊んでくれるお姉ちゃんと、遊んでたらね、お姉ちゃん、いなくなっちゃった…」
「!」
少女の言葉に、アイリスは思わず息を飲む。
嫌な予感が脳裏を過ぎるものの、冷静を装いながら口を開いていく。
「そのお姉ちゃんがいなくなる前、誰かがお姉ちゃんの所に来たりした?」
「……うん。知らない、黒い男のひとがきた」
「そっか、ありがとうね」
小さな少女の頭を撫でながら、アイリスはキャロルの方へ顔を向けた。
「キャシー。申し訳ないけれど、この子を頼めるかしら」
「アリスなら、きっとそう言うと思ったわ。この子のことは私が見ておくから、安心して。無茶はしちゃだめよ!彼が怒るわ」
「分かってるわ!ありがとう、キャシー」
ぎゅうっとキャロルを抱きしめたアイリスは、彼女の耳元で小さな声で囁く。
「私の目線の先に、公爵家の護衛の方たちがいるわ。私兵に扮している人もいるから、その人たちの所へ女の子をお願い。あと、私のことも伝えてくれると嬉しいわ」
「分かったわ。気をつけてね」
アイリスはそれだけ言うとキャロルから身を離し、少女の方を見た。
「ねぇ。お姉ちゃんがいなくなったのは、どこだったかわかる?」
「うん。…この道をね、まっすぐいって、みぎにまがったところ。家のそとにね、綺麗なお花がさいてるの」
「きちんと覚えてたのね。えらいわ」
アイリスはもう一度少女の頭を撫でてから立ち上がると、少女が指さしている方へと走り出す。
(もし、また彼らが動き出したとするならば、一刻も早く捕えなくては…)
既に彼らがいなくなっていたとしても、何かしらの跡は残っているはずだ。
そんな少しもの可能性を胸に、アイリスは急いで教えてもらった場所へと掛けていく。
アイリスが通りを右に曲がると、一つの家だけ外に花が咲いているのが見えた。
(花が咲いてる。ここで間違いないわね)
ここは大通りとは違い道が狭く、あまり明かりが入ってこないような、そんな場所だった。
(たしかにここなら、人を攫うのに適しているわ)
周りの気配に注意しながら、アイリスは太腿から忍ばせていた短剣を抜き取る。
そして周りに人が居ないことを確認し、地面へと屈む。
(ここにある小さな足跡はさっきの少女のものね。それとは別に私と同じくらいの足跡と、もっと大きい足跡が複数ある…。ということは、彼らは二、三人いる可能性が高い)
さらによく見ると、アイリスが来た方向とは逆の方向に男性らしい大きな足跡が残されていた。
(恐らく、あっちの方へ彼らは去っていったのね)
そんなことを考えながらアイリスは再び立ち上がり、彼らが去っていったであろう方向を見る。
(このまま彼らを追おうとしたところで、丸腰当然の私には何もできない)
ならば、一度戻って護衛の人達と合流した方がいいと、そう判断したアイリスが来た方向へ足を向けた時だった。
「こんにちは。アイリス・バーレイ辺境伯令嬢」
「っ!!」
後ろから低い声がしたかと思うと、短剣を持っていた手と口元を抑えられてしまう。
「よかった。やっぱり君なら来てくれると信じてたよ」
(油断した…!まさか、まだこの場から去っていなかっただなんて)
後ろを振り返って男の顔を見ようとするものの、男が着ているフードが邪魔で上手く顔が見えない。
さらに手を抑えられてしまったことで、アイリスは短剣を落としてしまっていた。
片手が空いているため反撃をしようと思えばできるが、下手に反撃したところで敵わないということが、何故か男の雰囲気から感じてくるのだ。
(敵わないなら、せめて少しでも情報を集めなければ…)
そう思ったアイリスは内心動揺しながらも、なるべく相手を刺激しないよう平然を装う。
それが男にも伝わったらしく、少し驚いた様子を見せる。
「…へぇ、流石だね、公爵様の婚約者は。他の女の子とは違う」
「……」
「やっぱり俺、女の子は強い方がいいなぁ」
アイリスは男のそんな話を聞きながら、先程から心臓のドクドクとした音が頭いっぱいに鳴り響いていた。
(どうして…、どうして、この人が、こんなことを…)
アイリスにとってその男の声は、聞きたくない人物のものだった。
だが、今はそんなことを考えている場合ではない。
早く護衛の人達と合流して、このことをルイスに報告しなければならなかった。
「一一っ」
空いている方の腕で男の鳩尾へ一撃を入れようとするものの、それは難なく躱されてしまう。
「…っおっと、いきなり危ないことしないでよ。あんまり怪我したくないし、させたくないんだから」
男はそう言うと片腕をアイリスの体の前に回し、両腕の動きを封じるかのように力強く抑え込んでくる。
それと同時に、なにか甘ったるい匂いのする布を、鼻と口を覆うように被せられてしまう。
(これは、催眠薬…!?)
必死に抵抗しようとするのに、一瞬それを嗅いでしまったせいで、体が思った通りに動いてくれない。
「ごめんね、君の護衛が近くまで来ちゃってるんだ。だから俺たちが逃げる間、少し意識を失ってて」
男のその声とは別に、遠くから「アイリス様!」と叫ぶ声が聞こえてくる気がした。
声を出したいのに、体を動かしたいのに、アイリスの意識がふわふわとし始めて瞼も重くなってきて、そうすることも出来ない。
(るいす、さま……)
一一そこでアイリスの意識は、ぷつりと切れてしまった。




