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50.溢れる笑み


「ルイス様、そんなに心配しなくても私は大丈夫ですよ?」


アメジストの髪を一つに纏めながら、アイリスは眉を顰めているルイスへ告げた。


「分かってはいるが、心配なのは仕方がないだろう」


朝ルイスと顔を合わせてから、彼はずっとこんな調子だった。


そんなルイスにアイリスは苦笑を零しながら、姿見で自分の姿をいま一度確認する。


今日はキャロルと街へ行く約束の日だ。貴族らしさを完全に消して出掛けるというのが、キャロルとの決まりだった。


(髪型も、服装も化粧も完璧ね!これなら街に上手く溶け込めるはず)


そう確信したアイリスは、くるっと後ろを振り向き、スカートの裾を持ち上げてみせる。


「如何ですか?ルイス様。これなら街に溶け込めると思いません?」

「あぁ、それなら確かに問題ないだろう」


ルイスはそう言うと椅子から立ち上がり、アイリスの目の前へとやって来た。


「…だがな、アイリス。いくら化粧で顔立ちを誤魔化し、服装を変えて街に溶け込んだとしても油断はするな。間違いなく奴らはお前の姿を知っている」

「はい」

「護衛を付けるが、お前も念の為短剣を潜ませておいた方がいい」

「ご安心を、ルイス様。既に短剣は潜ませてあります」


アイリスは微笑みながら、短剣を潜ませてる太腿部分を手で示す。


それを確認したルイスはアイリスの肩に触れ、彼女を綺麗なマゼンタの瞳で見つめてくる。


「ルイス様?」

「……本当は俺も護衛に扮していたいところだが、生憎仕事がある」

「なっ…!!る、ルイス様がそこまでしてくださる必要はありませんよ!?護衛を付けてくれるというだけで嬉しいのですから…!」


驚くアイリスを見ながら、ルイスは真摯な眼差しでこう告げるのだ。


「それだけ、お前のことが心配なんだ。一一そのくらいは流石のお前でも分かるな?」

「も、もちろん、わかっています」


少しの恥ずかしさから、アイリスは思わず視線を逸らしてしまう。


「アイリス、視線を逸らすな」

「だ、だって…」

「だっても何もない。そうやってお前が隙を見せるから、簡単に悪戯されるんだ」


ルイスがそう言った直後、頬に柔らかいものが触れた。


(一一ま、また唇が…!!)


「もう!ルイス様!」

「そう怒るな、アイリス。これはただの挨拶だ」

「挨拶…?」


不思議そうな表情をするアイリスに、ルイスは少し意地の悪い顔で言う。


「よく夫婦間で行われている、見送りのキスだ。辺境伯夫妻も、よくやっていたのではないか?」

「……」


そう言われ、アイリスはふと幼少の頃を思い出す。


(一一……たしかにお母様たちも、よく頬に口付けをしていていましたけど…!!)


じっ、とルイスを見つめると彼は頬を指差し、アイリスへ口付けを促してきた。


「アイリス」

「〜〜っ、ルイス様は、恥ずかしさというものがないのですか」

「心外だな。俺にだって、羞恥心くらいある。一一それよりもアイリス、早くしないと待ち合わせに遅れるぞ」

「うっ……」


ルイスは「早くしろ」とでも言いたげに、自身の頬をとんとんっと指でたたくのだ。


その仕草に促されるままに、アイリスは一歩一歩ルイスへと近づいていく。


(これは、見送りの挨拶、ただの見送りよ。挨拶で恥ずかしがる必要なんてないわ…!!!!)


「……ルイス様、届かないので、少し屈んでくださいませ」

「わかった」


ルイスはそう言うと、瞳を閉じながらゆっくり身を屈めた。


眼前の彫刻のように美しい顔にアイリスは後込んでしまうものの、少しずつ顔を近づける。


(女は度胸よ、アイリス…!!!)


そう意気込んだアイリスは勢いに身を任せるように、ルイスの頬へと口付けを送る。


「一一」


そっとルイスの頬から唇を離したアイリスは、勢いよく下を向きながら言葉を紡ぐ。


「こ、これで見送りの挨拶はしましたからね!もう1回とか、ないですから!!」

「一一ははっ、そう捲し立てるな。だが、おかげで頑張れそうだ。ありがとうな、アイリス」

「は、はい」


ルイスがあまりにも嬉しそうな声色でそう言うものだから、アイリスの心臓は更に激しく脈打ってしまう。


(どうして、こんなにも心臓がうるさいのかしら。一一……きっと、ルイス様の所為だわ)


アイリスは恨めしい感情を込めた瞳で、ルイスを見上げる。


そんなアイリスの様子にルイスはふっと笑うと、優しい手つきで彼女の頭を撫でて言う。


「アイリス、気をつけて行ってこい」

「はい。…その、ルイス様も、お仕事頑張ってください」

「ああ。土産話、楽しみにしている」


それだけ言うとルイスはアイリスへ背を向け、手を振りながら部屋から出ていってしまった。


「ルイス様への、土産話。楽しみにしているって…。土産話…」


何度かその言葉を反芻し、あることに気がついたアイリスは自然と溢れた笑みを抑えるのに必死になる。


(また、ルイス様に婚約者として会う口実ができたわ…!)


勝手に緩んでしまう口元をどうにかして抑えようとするのに、全く収まってくれそうにない。


そうこうしている内に、なかなか降りてこないアイリスを心配したマーサの声が、屋敷に響いた。


「アイリスお嬢様!そろそろ出ませと、間に合いませんよ!」

「ごめんなさい、マーサ!すぐ行くわ!」


そう言いながらアイリスは荷物を持ち、急いで部屋を飛び出す。


「マーサ、声を掛けてくれてありがとう!行ってくるわね!」

「はい。お気を付けてくださいね、アイリスお嬢様」


マーサに見送られながら、アイリスはタウンハウスの扉を開ける。


(一一……つぎは、いつルイス様に会えるかしら)


そんな思いを秘め、アイリスは街へと向かったのだった。



***



「あらあらあら!それで?アイリスは公爵様と会えることが、嬉しくてたまらないのね!?」

「しっー!声が大きいわ、キャシー。それに私はアイリスではなくて、『アリス』でしょう?」

「ごめんなさい、アリス。つい舞い上がっちゃった」


キャロルは小声で謝りながらも、ニコニコと満面の笑みを浮かべている。


(まったく、キャロルは相変わらずなんだから...)


ふうっとため息を吐きながらも、楽しそうな様子のキャロルを見て、アイリスもつられるように口元に笑みを浮かべてしまう。


数刻前、無事に街で合流した二人は話に花を咲かせながら、様々な屋台や店を見て回っていた。


「ねえ、アリス。少し座っておしゃべりしない?もっと話を聞きたくなっちゃった!」

「そうね、一一あっ、あそこのベンチはどう?丁度日陰だし、休むにはうってつけだと思うの!」

「賛成!」


そんな話をしながら、二人は近くのベンチへと腰を下ろした。


そして先程屋台で買った食べ物をカゴから取り出し、キャロルへと手渡す。


「アリス、それはどのような物だったかしら…?」

「これはね、ライ麦パンにいろんなフルーツをサンドした物よ」

「まあ!屋台を見ていた時から美味しそうだとは思っていたけれど、目の前で見ると更に美味しそうね!」

「そうでしょう?この間、彼とここへ来た時からずっと気になってたのもあるけど、キャシーなら絶対気に入ると思ったのよ!あなた、フルーツ好きだもの」

「あら、さすがアリス。私の好みを把握しているだなんて、最高だわ!」


「いただきます」と口を揃えたあと、二人同じようなタイミングでそれを一口食べてみる。


「「〜〜っおいしい!」」


口の中に挟まれているフルーツの様々な食感や、甘酸っぱい味が広がっていく。


(この間食べた物も美味しかったけれど、これもとっても美味しい!)


あまりの美味しさに夢中になっていると、あっという間に手の中から消えてしまう。


どうやらそれはキャロルも同じだったようで、彼女は残念そうな顔をしながら口を開く。


「美味しすぎて、あっという間になくなっちゃったわ…」

「ふふっ、そう言うと思って、実はもう1つずつ買っておいたの」

「まあまあ!ありがとう、アリス!」


満面の笑みを浮かべたキャロルが、アイリスにぎゅうっと抱きつく。


「こんなことをしたら、あなたの彼に怒られてしまうかしら」

「そんなことはないわよ!だって、彼も私にとって貴女が親友だって十分わかっているもの」

「あら、嬉しい!」


さらにもう一度、ぎゅうっとアイリスを抱きしめたキャロルは「あ〜あ」と肩を竦めた。


「アリスが誰かのものになっちゃって、嬉しい反面少し悲しいわ…」

「一一そういうキャシーこそ、最近ある人と仲がいいんでしょう?」



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