48.いやではない
ある日の昼下がり、アイリスはパトリックたちと共に休憩をしていた。
「はぁ〜。遠目だったが、やはり綺麗で美しかった…」
「パトリックー、またその話してるの〜?もう、夜会が終わってから、一週間は経つよ〜」
「む、別に余韻に浸っていてもいいだろう」
「お前そう言って、この隊の全員副団長にボコボコにされたの忘れたのか?あんな目にあうのは、もうごめんだ…」
レスターはパトリックを睨むようにしながら、大きく息を吐きだす。
そんなレスターの視線を受けたパトリックは、慌てて言葉を重ねた。
「べ、べつに、あれは俺だけのせいではないだろう!?俺の他にも、何人か話していた奴はいたぞ!」
「だとしても、愛しい女性に少しでも恋情に近しいものを向けられたら、男なら誰しも嫌だろう」
「それはそうだが…。しかし、お前もあのお方を見れば、俺がこうなる理由も分かるはずだ!」
「ま、まあまあ!副団長との手合わせだけで済んだのですから、まだ良かったじゃないですか」
不穏になり始めた雰囲気を諌めるように、アイリスは二人の間に入る。
そんなアイリスを見た二人は互いに一度目を合わせると、どこか呆れたようにアイリスの肩へ手を置いた。
「アルフ…。副団長と手合わせできて喜んでいるのは、お前とニコラスとエルヴィスだけだ」
「ああ、それについてはレスターと同意見だ。俺は楽しそうに笑っているお前たちを見て、普通に怖かった…」
「あはは……」
二人の言葉に、アイリスは思わず苦笑いをしてしまう。
夜会のあと公爵家で手合わせをした時もそうだったが、嬉々とした瞳でルイスに向かうアイリスに、彼は『流石にはしゃぎすぎだ』と告げたのだ。
(けれど、やっぱり手合わせは何度やっても楽しいのよね)
そんな話をしていると、ふと思い出したようにレスターが口を開いた。
「そういえばアルフ。この間見てきた伯爵領の件、副団長はなんて言っていた?」
「その件でしたら、『詰所は一度簡易的に設置する方向でいく』とのことです」
「一一もうひとつの方は?」
「そちらは、『引き続き奴らの動きを探れ』とだけ」
「そうか…」
「一一……」
ここでアイリスは、ニコラスが真摯な瞳で静かにこちらを見ていることに気が付いた。
「ニコラス先輩、どうかしましたか?」
「んーん、なんでもないよー」
ニコラスは、ふるふると首を振る。
(本当に、なんでもないのかしら…?)
アイリスが少しだけ不思議に思っていると、何処からともなく此方へ近づいてくる足音が聞こえてきた。
「やあ、みんな」
「セシル先輩!」
「あー、セシル〜」
「ふふっ、皆がいるのが見えたから、つい来ちゃったよ」
セシルはそう言うと、アイリスたちを見て軽く首を傾げた。
「ところで、皆そんな神妙な顔をしてるけど、何の話をしていたの?」
「あー、例の誘拐の件だよ。この間俺たちで伯爵領に行ったはいいものの、いつも目撃証言がある日だって言うのに馬車は現れなかったんだ」
「それもあって、あの馬車の中を見ることはできなかったんだよ」
レスターとパトリックは、大きく息を吐きだす。
夜会が終わってアイリスが騎士団へ戻ってすぐに、ルイスからこの隊の騎士全員に伯爵領のことが通達された。
事前に伯爵夫妻から聞いていた日時に合わせて向かったが、結果は二人が話していたようになってしまったのだ。
(でも、これで騎士団の情報を流している人物がこの隊にいる可能性が、かなり強くなったわ)
アイリスとて、この隊にいる優しい人達を疑いたくはなかった。
しかし、この事件を解決するためには心を鬼にしてでも、早急に裏切り者を探さなくてはならない。
「おーい、アールフー。ぼーっとして、どーしたの〜?」
「あっ、いえ!なんでもありません!」
考え事をしていると、ニコラスがアイリスの意識を逸らすように目の前で手を振ってくる。
「アルフは頑張り屋さんだけど、考え過ぎるところがあるから俺は心配だよ」
「セシルの言うとおり〜。もっと気楽にいきなー」
「うっ…!善処します」
よく見ると、レスターとパトリックも同意するかのように頷いているのだ。
何だかいたたまれない気持ちにアイリスがなっていると、セシルが口を開いた。
「ねえ、アルフ。また『クレア』として街に行くんでしょ?」
「はい。副団長にも、そのように命じられていますし」
「そっか〜。そうすると、次アルフが『クレア』として街に行く時は、俺が護衛役だね」
「えっ、そうなんですか!?」
「うん。よろしくね、アルフ」
そう言って微笑むセシルの両脇を、パトリックが突如抑え込んだ。
「ちょっ!パトリック、急になに!?」
「セシル、お前ばっかりずるいぞ!俺もアルフと街へ行きたい!」
「おいおい、それじゃ用件が変わってくるだろう」
「そうだよ〜、パトリック。セシルは、あくまで護衛として、アルフと街へ行くんだから〜」
「だとしてもだっ!!一一そうだ、アルフ!」
「は、はい!」
「今度の休み、俺と街へ遊びに行かないか!?」
必死な様子でそう告げるパトリックに、アイリスは再び苦々しい笑みを浮かべるしかできなかった。
「ごめんなさい、パトリック先輩。その日は、学園時代の友人と出掛けるんです」
「なっ……!!」
撃沈していくパトリックを見ながら、アイリスは夜会の日のことをふと思い出した。
***
ダンスが終わり、キャロルたちと話していた時だった。
「あっ!そういえば、大事なことを忘れていたわ」
「大事なこと?」
「えぇ!ということで公爵様。少しの間、アイリスをお借りしても?」
「あぁ、構わないぞ」
ルイスがそう言うやいなや、キャロルに腕を組まれたアイリスは、強制的に窓際の方へと連れて行かれる。
そして互いに身を寄せ合ったかと思うと、内緒話をするように小さな声で、キャロルが話し始める。
「アイリス、久しぶりに街へ買い物へ行かない?」
「キャロル、まさかそれって…」
息を飲み込むアイリスに、キャロルは悪戯っ子のような顔で言う。
「もちろん、貴族だとバレないように変装をしてよ!」
「まあ!やっぱりそうなのね!」
「ええ!学園にいた頃は、長期休暇の時によくやっていたわね。あぁ、懐かしいわ!」
どちらともなくはしゃぎながら、とんとん拍子に日時や集合場所を決めていく。
(そうだわ。念の為、このことはルイス様にも話しておきましょう)
この夜会が終わったら、アイリスは公爵家から騎士団の宿舎へ戻るつもりだ。
しかし首謀者たちに目をつけられた以上、どこでアイリスたちの会話や動きを見ているか分からない。
そのため、なるべくルイスと情報を交換しておきたかったのだ。
(今夜で公爵家に滞在するのは最後…。せっかく侍女の皆やバートさんとも仲良くなれたのに、残念だわ。それに、ルイス様とも……)
「ふふっ。アイリスってば、もしかして公爵様のことを考えているの?」
「ふぇっ!?な、なんでそう思うの…!?」
「だって、顔にそう書いてあるんですもの」
アイリスは、ばっと頬を押さえる。
そんなアイリスに、キャロルは紫の瞳を柔らかく細めた。
「ねぇ、アイリスは公爵様のことどう思っているの?」
「どうって…」
「うーん、そうねぇ。例えば一緒にいて安心するとか、あとは異性として好きとか」
『好き』という言葉に、アイリスの肩がびくっと跳ねた。
そして少し俯きながら、もごもごと口を開く。
「そういう『好き』、は、正直まだ分からないの。けれど、ルイス様は私の好きなことをさせてくれて、優しくて、何よりわたくしを、大切にしてくださっているわ」
だんだんと声が小さくなっていくアイリスに、キャロルはふっと笑みを零した。
「アイリス。公爵様に触れられて、嫌ではない?」
「は、恥ずかしいけれど、ルイス様に触れられるのは、いやではないの…」
「そう…」
キャロルは何処か満足そうな表情を浮かべると、アイリスの肩へ優しく手を添えた。
「さあ!話も済んだことだし、そろそろ二人のもとへ戻りましょうか」
「キャロル?いまの質問は、いったい何だったの!?」
「ふふっ、ちょっとした意識調査よ!」
「ええっ!?」
***




