45.バレてはいけないこと
煌びやかな光が降り注ぐ会場にて、兄のグレンは内心穏やかではなかった。
(あぁ、アイリスはいつ来るんだ…!?早く姿を見たいが、その姿を見て俺は耐えられるだろうか)
表面上はかなり取り繕っているものの、父や母から見たら考えている事などお見通しだろう。
しかし二人は今、付き合いのある貴族たちと何やら談笑しているため、この場にはいない。
「ねえ、グレン様。私のこと覚えていらして?」
「あ、あぁ…」
「まあ!では、私のことは?グレン様とお隣のクラスだったのですけれど…!」
かく言うグレンも、彼目当てに近付いてくる令嬢たちの相手をしていた。
(くそっ!ルイスの奴、家柄とか付き合いとか関係なく、何人か歳の近い令嬢を呼びやがったな!)
ああ見えて、ルイスはかなりアイリスのことを大切に思っている様子だった。
だからきっとこの夜会の最中でもアイリスを一人などにせず、傍に居続けるのだろう。
一一アイリスに近付いてくる男たちを、牽制するために。
(だからって、俺まで牽制する必要はないだろうっ!!もしかしなくともあいつ、俺の可愛いアイリスを独り占めするつもりだな!?)
何故そんなにもアイリスのことを大切に思っているのか、いつからそんな感情を抱いていたのかということを、みっちり問い詰めようとグレンは心に決める。
(そのためには、この令嬢たちをどうにかしなければ…)
どう動こうか悩んでいると、楽団員が奏でている音楽が止まり、扉付近にいる侍従が会場中に響くよう声を張り上げた。
「オルコット公爵家当主、ルイス・オルコット様。バーレイ辺境伯家ご息女、アイリス・バーレイ様」
そう呼ばれ扉から入場してきた二人の姿に、誰もが息を飲んだ。
(まったく、ルイスは相変わらず気持ち悪いくらい綺麗な笑みを浮かべているな。そして、アイリスはいつも以上に可愛くて、美しい…)
アイリスの儚いほどの美しい美貌と洗礼された所作に、会場にいる殆どの貴族が言葉を失っているようだった。
「「「一一………」」」
(やっぱりな)
言葉を忘れ、惚けている者たちを見たグレンは内心ほくそ笑んだ。
先程両親やグレンから離れたところで、『社交に不慣れな令嬢が婚約者など、公爵も不憫だ』とアイリスを侮る者が少なからずいたことは、勿論気が付いていた。
しかし、そのことに気付いていない振りをしたのは、こうなることが分かりきっていたからである。
(アイリスに礼儀作法を叩き込んだのは、社交界一礼儀作法に厳しいと言われるうちの母上だ。社交界での立ち回りも、嫌という程教え込まれている)
離れたところにいる両親へ視線を向けると、どちらも満足そうな表情をしていた。
(これは、後でいっぱい褒めてやらないとな)
視線を戻し、再びアイリスを見つめたグレンは、そう思いながら優しく微笑んだ。
***
(何故かしら。もっと妬みや蔑みの籠った視線を向けられると思っていたのに、あまり向けられていない…?)
不思議に思っていると、ルイスがふっと微笑んだのが分かった。
「ルイス様?」
「あぁ、すまない。少し可笑しくてな」
「?」
くつくつと笑うルイスを横目に、アイリスは改めて会場全体を見渡してみる。
(あの方達は確か、昔よくお世話になっていた人達。あそこに居るのは、ルイス様と付き合いのある家のご当主ね。あとは一一)
事前に預かっていた招待客のリストや教えてもらった特徴を当てはめながら、アイリスは頭で簡単に名前を確認していく。
なるべく勘ぐっている態度を出さないように、歩を進めながら視線を巡らせていると、見知った顔があることに気が付いた。
(あっ!あそこにいるのは、もしかしてエルヴィス先輩!?)
会場の隅の方に佇んでいるエルヴィスは此方を眺めながら、僅かに目を瞠っている。
どのような感情がその瞳に宿っているかはわからないが、何処か驚いたような表情をエルヴィスはしているのだ。
(ま、まさか、私が『アルフ』だってことに気がついたのかしら…!?)
そんなことはないだろうと思いながら、更に視線を巡らせていく。
すると、隣からルイスの少し呆れたような声が聞こえてくる。
「アイリス、その辺にしておけ」
「す、すみません。つい気になってしまって」
「別に怒ってなどはいないから、大丈夫だ。ただ、そろそろ気を引き締めておけ」
ルイスはそう言うと、ホールの中央に来たあたりで足を止める。
そしてアイリスの手を優しく引きながら、ルイスは後ろへとゆっくりと体を招待客の方へと向けた。
「皆様、今宵は私達のためにお集まり頂き感謝します」
騎士団で聞き慣れた低くて淡々とした声が、会場に響く。
「早速ですが皆様に、私の愛しの婚約者をご紹介いたします」
ルイスの『愛しの』という言葉に、会場中が騒ついた。
隣にいたアイリスでさえ、表情には出さないもののその言葉に驚いてしまう。
(どうしてルイス様はいつも、このような場面でそのようなことを言うのかしら!?)
「彼女は、バーレイ辺境伯家のご令嬢。アイリス・バーレイです」
騒つく聴衆をそのままに、ルイスはどんどん話を進めていく。
アイリスはどきどきと高鳴る気持ちを抑え、笑みを浮かべながら、指先の一つ一つに集中してカーテシーをする。
「ただいまご紹介にあずかりました。アイリス・バーレイと申します」
そう口にした途端、いきなりルイスに腰を引き寄せられる。
「!?」
「彼女は危なっかしい所もあるが、このように美しく聡明で、私はそんな彼女をとても気に入っている」
まるで告白するような言葉に、彼の気持ちを知っているアイリスでさえ、恥ずかしくなってしまう。
「一一そういうわけで、これからどうぞよろしく」
その声色は穏やかだが何処か有無を言わせないような、そんな圧をひしひしと身に感じる。
ちらっと周りの様子を伺うと、数人の男性が少し青ざめている様子に見えた。
(ルイス様がこんな笑顔で周りを牽制している姿なんて、かなり珍しいものね)
「では皆様。どうか今宵は、存分に楽しんでいってください」
にっこりと、ルイスは表の顔で柔和に微笑んだ。
ルイスの言葉を皮切りに、パチパチと少しずつ拍手が起こり、それぞれが談笑を再開し始める。
アイリスも例に漏れず、引き寄せられたままの状態でルイスを見上げ、むぅっと頬を膨らます。
「……ルイス様、絶対に今のはわざとでは?」
「なんのことだ?」
「『なんのことだ?』ではなくっ!こんなあからさまに牽制しなくとも、私に近付く男性など居ませんよ!」
「……お前、それ本気で言っているのか?」
「?」
ルイスは怪訝そうな顔で、アイリスに視線を向ける。
何故そのような視線を向けられるのか不思議に思っていると、ルイスは「はぁ」っと息を吐き出した。
「まあ、お前は別に分からなくてもいい」
「そう言われると、余計気になるのですが…」
そんな問答を繰り返していると、「ルイス様」と彼を呼ぶ声が聞こえてくる。
その声に聞き覚えがあったアイリスは、勢いよく振り向きたいのを抑え、ルイスと共に振り返った。
(エルヴィス先輩!!)
「エルヴィス、よく来たな」
「はい、ご招待頂きありがとうございます。そして、ご婚約おめでとうございます」
「あぁ、ありがとう。さあ、アイリス」
「はい。ルイス様」
全くもって初対面ではないが、『アルフ』ということがバレないよう、アイリスとしてエルヴィスへ礼をする。
「お初にお目にかかります。アイリス・バーレイです」
「初めましてバーレイ嬢。私はエルヴィス・マーシュと申します」
「まあっ!もしかして、王国騎士団の中でもかなり強いと言われている、マーシュ侯爵家のお方でいらっしゃいます?」
「えぇ、恐らくは。一一私のことをご存知で?」
「それは勿論!私、ルイス様に騎士団の話を聞きたいと我儘を言ってしまうほど、剣術に興味がありますの!」
アイリスはにっこりと笑顔を浮かべながら、慎重に言葉を紡いでいく。
エルヴィスは、無邪気に話すアイリスに毒気が抜かれたのだろう。一度ルイスへ顔を向けると、何処か柔らかな雰囲気で口を開いた。
「ルイス様は剣術好きな婚約者ができて、幸せですね。とても羨ましい」
「そう言われても、アイリスは俺の婚約者だ。お前も剣術好きな女性を探せば良いことだ」
「ははっ!それはそれで、難しいのですよ」
エルヴィスはそう言うと、「しかし一瞬驚きました」と少し苦笑する。
「驚いた、とは?」
「実はバーレイ嬢を見た時、騎士団にいる後輩に姿が重なったのです。そんなことは、ないはずなのですけどね」




