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43.老執事の想い


ルイスの『愛おしいと思うことを隠さない』宣言から三日。アイリスは、オルコット公爵家の邸を逃げ回っていた。


「アイリス、一旦止まれ」

「む、むむ、むりですっ!!」

「俺が悪かったから。頼むからとりあえず止まるんだ」

「無理なものは、むりですっ!!」


ルイスに捕まらぬよう、アイリスは走り続ける。


(ドレスが動きやすいものでよかったわ…!!これならまだ逃げられる!)


ドレス姿で走ることを、はしたないとおもわれてしまうかもしれない。しかしアイリスにとって、本当に今はそれどころではなかったのだ。


一一なぜなら。


「本当にすまないと思っている。言い訳になるが、あの時は夜会のドレスのことを考える余裕もなかった」

「そ、それでもですっ!!もう少しお考えになってください!!」

「わかっているつもりだったんだが…。まさかあの痕が一一」

「〜〜っ!!もうっ!お願いですから皆がいるところで、その言葉を言わないでくださいっ!」


恥ずかしさで顔を真っ赤にしたアイリスはそう言うと、全力でルイスから離れていく。


訓練の時よりも幾分か早い逃げ足に、ルイスは一瞬呆然とする。

しかしアイリスが走り去った後を見て柔らかく目を細めると、すぐ彼女を追いかけるために走り出す。


「……逃がすものか」


小さく低い声で、独り言のようにルイスの口から紡がれる。



一一そんな二人の様子を、公爵家の使用人達はとても微笑ましく見守っていた。



***



「一一はぁ、はぁ…」


(ここまで来れば、大丈夫かしら…)


ルイスをなんとか振り切って逃げ込んだ場所は、何度か訪れたことのある温室だ。

アイリスは息を整えながら、花々に紛れるように膝を抱えてその場へしゃがみ込む。


(〜〜ううっ!それにしたって、(これ)は本当にどうしましょう)


顔を膝に(うず)めるようにしながら、そっと首筋へ触れる。


自身で触れておきながら、そこにあるであろう赤い痕のことをはっきりと意識してしまい、アイリスの頬に再び熱が集まっていく。


(まさか(これ)がある位置が、夜会で着るドレスで隠れないだなんて…。完全に予想外だったわ!!)



つい先程まで、アイリスは完成した夜会のドレスを試着していた。

しかし、どきどきとした気持ちで試着を終えたアイリスを待っていたのは、頬を赤らめ、必死に視線を逸らそうとする侍女たちと服飾士だったのだ。


『一一?』


何事かと不思議がっているアイリスに、頬を赤く染めたままの一人の侍女が、おずおずと口を開く。


『あ、あの、アイリス様!』

『はい、何でしょう?』

『……た、た、たいへん申し上げにくいのですが、』


アイリスの様子を伺いながら、その侍女は意を決したように口にした。


『く、首筋に、赤い痕が、くっきりと残っていらっしゃいますっ!!』

『えっ!!』


反射的に、アイリスはその場所を掌で覆い隠す。

ばっ!と他の人達に視線を向ければ、皆同意見だと言わんばかりに首を縦に振っている。


『〜〜〜っ!!』


あまりの恥ずかしさに、アイリスはドレスの余韻に浸る間もなく、瞬時に軽装のドレスへ着替えてしまう。


『アイリス、夜会のドレスはどうだった?気に入ってもらえると良いんだが一一』


主悪の根源とも言えるルイスは、何食わぬ顔で試着を終えた部屋へ入ってくるものの、部屋に漂う何とも言えない雰囲気に首を傾げる。


『アイリス?いったい何が……』

『〜〜っっる、ルイス様のおバカー!!』

『は?』


アイリスはそう勢いよく告げると、脱兎の如く部屋から飛び出して行ってしまう。


何が何だか分からない様子を見せるルイスへ、側にいた服飾士が経緯を軽く説明する。


『じ、実は一一』

『…なっ!』


事情を聞いたルイスはアイリスを追いかけるために、すぐさま部屋から走り去って行く。



一一こうして、アイリスとルイスの追いかけっこは始まったのである。



そんなことを思い出しながら、アイリスはきゅっとドレスの袖を握った。


(あの時は思わず、ルイス様に『ばか』って言ってしまったわ。婚約者にそんなことを言ってしまうだなんて、少し反省しなければ…)


だがあの場では、恥ずかしさのあまり逃げると言う選択肢しかなかった。

そして逃げ出してきた今でも、ルイスにどんな顔をして会えば良いのか全く分からないのだ。


ただでさえ最近のルイスは以前よりもアイリスに対する感情を隠さなくなり、恥ずかしさでいっぱいだった。


(こんな調子で、夜会を無事乗り越えられるかしら)


顔を膝に埋めたまま、アイリスは一度瞼を閉じる。


(……ルイス様に触れられたり、『愛おしい』と言われることが、恥ずかしいだけで嫌なわけではないのよね)


むしろそうされる度に、アイリスの心臓は痛いくらいにどきどきと脈を打っている。


(この感情が何なのかは分からないけれど、私だってルイス様のことは尊敬しているし、大切だわ…)


そう考えていると、コツ、コツと誰かが温室に入ってくるのが分かった。


「……!!」


突然の足音に、アイリスの肩がビクッと揺れる。


その人物はアイリスが隠れている場所の近くまで来ると、静かに彼女の名を呼んだ。


「アイリス様。どうかそのままお聞きください」

「一一その声は、バート、さん?」

「ええ、左様でございます」


柔らかな声色で、バートは話す。


「ど、どうして、バートさんがここに…」

「ルイス様は急な仕事が入ってしまいまして。そのため、ルイス様からこの場所と、言伝を預かって来た次第です」

「言伝、ですか?」


いったいどんな内容なのだろうかと、アイリスは内心ひやっとしてしまう。


「『ドレスの件は悪かった。当日に化粧で隠せなかった場合も考えて、俺が諸々手配する』」

「一一……」

「そしてもう一つ、『お前に『バカ』と言われるのは、何処か新鮮だった。これからも、言いたいことはどんな事でも構わず言え』とのことですよ」


その言葉に、アイリスは息を呑む。


(ほんとうに、あのお方は…)


こうも甘やかされてしまっては、いずれアイリスはダメ人間になってしまいそうだ。


(甘やかされ続けるのはダメだと分かっているのに、ついルイス様には我儘を言ってしまう自分がいるのよね)


すると黙り込んでしまったアイリスを心配するように、バートが言葉を継ぐ。


「アイリス様。あのルイス様のご様子ですと、あの御方の想いをお聞きになったのでは?」

「うっ…!!そ、それ、は」

「ははっ。そのご様子は、どうやら(わたくし)の読みが当たっているようだ」


バートは少し揶揄う様な口調で、アイリスへそう告げる。


反論も何もできないアイリスは顔が見えないと分かっていても、つい両手で顔を覆ってしまう。


「ですがアイリス様、これだけはどうか覚えておいてくだされ。ルイス様は幼い頃から、ずっと貴方様一人だけを想い続けています。ご両親から他のご令嬢との縁談を勧められても、断り続けるほどに」

「!!」

「その感情が今、アイリス様と婚約できたことで少々暴れていらっしゃいますが…。それだけ、貴方様とお会いできたことが嬉しいのです」


そう話すバートの声色は、とても優しい。それだけルイスのことを想っているのだと言うことが、バートの顔を見なくても伝わってくる。


「なのでアイリス様。ルイス様に遠慮なく、御自身の感情をぶつけてみてください。それが、きっとお二人のためでしょうから」

「……っはい!」


(ルイス様は、ちゃんと私の言葉を受け止めてくれる方。だからこそ、私からももっと気持ちを伝えていきましょう!)


アイリスは立ち上がると、くるっと後ろを振り向きバートへ視線を送る。


「バートさん、ありがとうございます!」

「いえいえ。私はただ、ルイス様のお言葉を伝えたまでです」


軽く目を伏せるバートに、アイリスは微笑む。

そして勢いよく、ぐーっと伸びをした。


(今夜ルイス様が帰って来たら、夜会に向けてのお話をしないといけないわね!)


「忙しくなりそうだわ」と、アイリスは小さく呟く。



一一そして、あっという間に日々は過ぎ、いよいよ婚約発表の夜会の日がやってきた。



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