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36.彼の色


「一一と、言うことがあったのですが…」

「……なるほどな」



 二人きりの馬車の中、アイリスは昨日の出来事をルイスへ話していた。



 しかしなぜ、ルイスと二人馬車に乗っているのかというと、団長であり王弟殿下であるヴィンセントに会いに行くためである。



(それにしても、ヴィンセント団長と会うために『アイリス』として騎士団へ向かうとは思っていなかったわ。しかもその道中で、昨日の話をすることになるとも…)



 アイリスとて、昨日のことは近いうちにルイスへ相談しようと思っていたのだ。

 だがそうするよりも先に、ルイスに『何かあっただろう』と問い詰められる方が早かった。



 するとここまで静かにアイリスの話を聞いていたルイスが話を聞き終えると同時に顎に手を当て、眉を顰めた。



「話を聞く限り、ウォーレンはかなりきな臭いな」

「はい。なのでルイス様、わたくしアーサーの身辺を探ってみようと思うのですが、よろしいですか…?」

「それは構わないが、ウォーレンにバレると色々と勘付かれるだろうから、騎士団の人間は使うな。そのかわり、公爵家うちの者を数名貸そう。それと、決してお前自身で動こうとするな、わかったか?」

「は、はいっ!」



 予想外の提案に、アイリスは思わず驚く。

 そしてつい、ここ最近ずっと抱いていた気持ちを、無意識に口にしてしまう。



「ルイス様は、私に対して甘すぎるのでは?」



 アイリスがそう言うとルイスはふっと意地の悪い笑みを浮かべ、こちらを真っ直ぐと見据えてくる。



「俺はお前の婚約者だ。お前を甘やかすのも、守るのも俺の役目だろう。なあ?大切な婚約者殿」

「〜〜〜っ!!」



 そんなことを言われ、不本意ながらもアイリスの頬に熱が集まる。



(ーー最近のルイス様は、本当に何処かおかしいわ!!)



 アイリスは先日、家族と公爵家を訪れてからのルイスの言動や態度の変化を、ひしひしと身に感じていた。

 もちろん、今までも度々ルイスに甘やかされているという自覚はあった。しかしここ最近のルイスは、何かのタガが外れたようにアイリスを甘やかしてくるのだ。



(いったい何がどうして、あの鬼公爵と呼ばれたルイス様をこうしてしまったのかしら…)



 ほんの少し途方に暮れていると、カタンっと音がする。



その音に気が付いたアイリスは軽く目を伏せると、隣に来た人物へと苦言を漏らす。



「……ルイス様、走行中の移動は危ないですよ」

「お前が浮かない顔をしているんだ、このくらい許せ」



アイリスの顔を覗き込むようにして、ルイスはそう言う。



「………」



アイリスが何も言葉を発さないでいると、ルイスは美しいマゼンタの瞳をアイリスの瞳と合わせてくる。

ルイスの瞳は相変わらず綺麗で、アイリスはその瞳に吸い込まれるように魅入ってしまう。



(…ルイス様の瞳、いつ見ても綺麗。まるで、きらきらとした宝石のようだわ)



「アイリス、本当にどうかしたのか?」

「ーーいいえ、何も。ただ、ルイス様の瞳が綺麗だな、と考えていただけです」

「……そうか」



 ルイスは短くそう答えると、アイリスの頭へ手を添える。この仕草も、ルイスが最近よくするようになったものだ。アメジスト色の髪に触れる手は壊れ物を扱うかのように優しく、心地よい。



 アイリスは、彼女の髪へ触れているルイスの手首にそっと手を当て、手を離すように促す。



「ルイス様、せっかく公爵家の侍女たちが髪の毛を編んでくれたのです。あまり髪の毛は触らないでくださいませ」

「あぁ、すまない。しかし、今日のお前は一段と美しいな」

「あら、お褒めの言葉をありがとうございます。侍女たちも喜びますわ」



 悠然と微笑むアイリスは、藍色を基調としたエンパイアのドレスを身に纏っていた。



 長いアメジストの髪は左側でまとめられ、ゆったりとした三つ編みになっている。さらに、その三つ編みの先端はルイスの髪と同じ黒色のリボンで結われているのだ。



 アイリスの髪飾りを決める際、一人の侍女が「ルイス様の色を入れましょう!」と提案したところ、この黒色のリボンに即決となった。



(以前もそうだったけれど、公爵家の侍女たちは私の身支度をする時ものすごく楽しげな様子をするのよね…)



 若干の気恥ずかしさはあるものの、ルイスの色を身につけているということが、アイリスを少しくすぐったい気持ちにさせていた。



「ーー……」



 こちらをじっと見つめる視線に気がついたアイリスは、わざと両手を広げて見せる。



「いかがですか?あなたの婚約者の装いは」

「ーー完璧だ、見惚れてしまうほどに」



 ルイスはそう口にすると、三つ編みにされている部分を掬い上げるように持ち、黒色のリボンへと口づけた。



 そうされたことで、アイリスは大きく目を見開いてしまう。

 


「……ルイス様」

「気分がいいな、お前が俺の色を身につけているのは」



 そう言うルイスは目を細め、その美しい顔に妖艶な笑みを浮かべる。



(私よりもよほど美しい笑みを浮かべておいて、どの口が『見惚れてしまう』だなんて言うのかしら)



 アイリスは何だか悔しくなって、ルイス目掛けて両手を伸ばす。そして、彼の両頬をむぎゅっと摘んだ。

 突然のことに驚いたらしいルイスは珍しく数秒固まると、思いっきり眉を顰める。



「アイリス、これはなんの真似だ」

「……なんでもありません。ただ悔しくなっただけです」



 アイリスは、拗ねたようにプイっと横を向いて告げる。

 すると今度はルイスによってアイリスの両頬を覆われ、強制的に彼の方を向くようにされてしまう。



「へえ?アイリス、お前が俺にこうするのであれば、俺もお前に同じことをしても問題ないな?」

「うぐっ…!!で、でも、もとはと言えばルイス様のせいです!!」

「悪いが、俺にはその心当たりがない」



 互いにそんなやりとりをしていると、馬車が止まる気配とともに、御者がコンコンと馬車の小窓を遠慮がちに叩く音が響く。



「閣下、バーレイ辺境伯令嬢。王宮の裏口へとご到着致しました」






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