35.噂の婚約者
賑やかな食堂の喧騒に紛れるように、ある場所で大きな声が上がる。
「え!?アルフ、お前明日からしばらく騎士団いないの!?」
「む、聞き捨てならないぞアルフ!!お前がいなかったら、誰が他の荒くれ者たちを落ち着かせるんだ!!」
「ちょっ、先輩!落ち着いてくださいっ!!!」
セシルとパトリックの勢いに、アイリスは思わず仰け反ってしまう。
(明日から夜会が終わるまでの約二週間、騎士団に来れないことを話しただけなのに…。まさかこんな反応をされるとは思わなかったわ)
そう、実はアイリスは、明日から公爵家へ滞在しなければならないのだ。
それもこれも、ほとんどルイスによる半強制的な決定だが、夜会前に任務で攫われないための対策でもあった。
もちろん夜会のことと、公爵家へ滞在すると言うことは話していない。両親の病気の看病だと、それとなく誤魔化しておいた。
「そっか〜、アルフがいないと、なんだか寂しいねぇ」
もぐもぐと咀嚼しながら、のんびりとした口調でニコラスが告げる。それに続くように、アイリスの隣に座っているレスターも口を開く。
「そうだなぁ。まあ、ここ最近はアルフもかなり重要な任務を任されてたし。親御さんの看病とはいえ、少しは故郷でゆっくりしてこい」
「…レスター先輩」
アイリスは嘘をついている心苦しさから、胸が締め付けられる。
それと同時に、夜会が無事に終わったら何かお礼をしようと心に決めたのだった。
「そういえば、確か二週間後だったよな?副団長の婚約発表の夜会」
そんな何気ないパトリックの言葉に、アイリスの心臓がどきっと跳ね上がる。
「あ〜、そういえば、そうだったね〜。僕はその日、会場の警備を任されたんだぁ」
「ニコラス、いいなぁ。俺はその日、騎士団で遅くまで仕事があるんだ…」
「心配するなセシル、会場の警備はこの中だとニコラスとパトリックの二人だ。ちなみに俺もお前と一緒で仕事がある」
「ふっ、残念だったな二人とも!警護も完遂しながら、遠目ではあるが俺たちは噂の婚約者殿を見てくる!!」
アイリスはその様子を見ながら、「あはは」と苦笑するしかなかった。なんせ、パトリックが話す噂の婚約者は、すぐ近くで男装しているのだから。
(夜会では、絶対にアルフの片鱗を見せないようにしないと…!!)
そう意気込んでいると、後ろから肩を掴まれるのを感じた。
「!!」
「アルフ、悪いが少し手伝ってくれないか?」
何事かと考える間もなく、肩を掴んできたエルヴィスが申し訳なさそうな様子で言う。
「エルヴィス先輩!」
「実は武器庫の備品の片付けを頼まれたんだが、一人では終わらなそうでな。午後に仕事が少ないのはお前だけだったんだ、頼めるか?」
「分かりました!僕でよければお手伝いします!」
アイリスが勢いよく返事をすると、エルヴィスが、ふっと安堵の笑みを浮かべた。
「ありがとう、助かる」
「いえ、いつもお世話になってるので!」
そんな会話をしていると、ニコラスが口を開いた。
「あっ、エルヴィスは〜、副団長の夜会、参加するの〜?」
「はい。学園にいた頃、副団長にはよくしてもらっていたので、その繋がりで招待を受けました」
「えっ!?ってことはお前は、貴族として参加するのか!?」
「はい」
エルヴィスは淡々とした声色でそう答えると、パトリックがおもむろに立ち上がり、びしっとエルヴィスを指差す。
「いいか、エルヴィス!!俺はその日、会場に警備としている!もし婚約者殿に会ったら、その姿をお前の脳裏に焼き付けてこい!!」
「……それは、なぜ」
「だって、気になるだろ!?あの副団長を落とした人だぞ!絶対に、ぜーったいに綺麗で美人なはずだっ!!だから、遠目でしか見れない俺に変わって、しっかり見て来い!!」
「はいはーい。パトリック〜、落ちつこーねー」
ニコラスがパトリックを抑え込み、椅子に座らせる。座らされても尚、パトリックは何か語っているが、皆それを無視する。
レスターは椅子から立つと、気にするなと言わんばかりに、エルヴィスとアイリスの背中をぽんっと叩く。
「エルヴィス、アルフ、こっちは気にせず行って来い。パトリックのあれは、放っておけばそのうち治る」
「は、はい」
「じゃあ行こう、アルフ」
***
「エルヴィス先輩。先輩は、副団長の婚約者の方が気にならないのですか?」
「俺か?別に、副団長がお選びになった方だ。きっと素敵な人なんだとは思うし、率直におめでたいとしか思わんが」
「なぜそんなことを聞くのか」と言わんばかりに、エルヴィスは顔を顰めた。
アイリスは口元を引き攣らせるように笑いながら、「何でもありません」と告げる。
その後も何気ない会話をしながら歩き、もう少しで武器庫だというところで、二人は突如呼び止められてしまう。
「おい!アルフ・クレイグ!エルヴィス・マーシュ!」
エルヴィスとアイリスは訝しみながらも、ゆっくりと後ろを振り返る。
二人を呼び止めた人物は、ツカツカと正面にやって来て仁王立ちをしたかと思うと、何か用があるはずなのに黙り込んでしまう。
(えっと、この人は誰だったかしら…?今の隊に来る前に、見たことがあると思うのだけれど)
アイリスが記憶を思い起こしていると、隣にいるエルヴィスが何処か面倒くさそうな顔をする。そして、普段よりも幾分か低い声色で言う。
「アーサー、貴様何をしに来た?」
「!!」
アイリスはふと、この人物のことを思い出した。
アーサー・ウォーレン、確かエルヴィスと同期でウォーレン子爵家の三男だ。しかし、騎士団に入ったのは良かったものの、訓練について行けず、途中からあまり訓練に参加せずに街で遊ぶようになってしまったらしい。
(私が騎士団に入ってすぐの頃、副団長に絞られてた人だわ。この人のことは、何となくブレットとかから聞いていたけれど……)
それにしたって、いったい何の用があって二人を呼び止めたのだろうか。
不思議に思っていると、アーサーが高圧的に告げる。
「いや何、騎士団で3番目の実力を持つ男と、期待の新人君に忠告をしに来ただけだ」
「忠告だと?」
「あぁ、そうだ。今お前たちは呑気に活躍しているかもしれないが、いつ足元を掬われるか分からないだろう?一一だから、あまり調子に乗らないことだ」
アイリスは言葉を発することなく、ただただアーサーを静かに観察していた。
すると、アーサーがじろっと、一瞬アイリスを睨みつけるように見る。
「……」
「…それだけだ、じゃあな」
特に他に言うでもなく、アーサーはそれだけ言うと、手をひらひらと振りながら去って行く。
その後ろ姿を眺めながら、エルヴィスはぽつりと呟いた。
「アルフ、あいつの言うことはあまり気にするな。だが、少し警戒を強めておけ」
「わかり、ました」




