34.困惑する記憶
「一一と、言うことでルイス様。私に婚約を命じた理由を、お教え願えます?」
「………」
にっこりと、アイリスは微笑む。
アイリスの目の前には、何処か気まずそうな顔をしたルイスがいる。
そんな様子のルイスに構うことなく、アイリスは腰に手を当て、胸を張ってみせる。
「私、貴方様が理由をおっしゃるまで動きませんからね!」
せっかくグレンに与えてもらった機会なのだ、アイリスはルイスを逃がす気など毛頭なかった。
「…...どうしても、言わなくてはだめか?」
「だめです!まず第一に、婚約者である私より先にお兄様が婚約の理由を知れるだなんて、ずるいじゃないですかっ!!」
そこまで言うと、ルイスは額に手を当ててため息を吐く。
「君がいきなり押し掛けてきたかと思えば、そういうことか」
「?」
「アイリス。初めに婚約の理由を伝えなかった俺にも非があるが、そもそもこの俺にも言い難いことがあると分かっているな?」
「それはもちろん分かっていますが、やはり誰よりも先に、私に教えて欲しいじゃないですか」
これが完全に自分勝手な我儘だということは、アイリスはもちろん自覚している。
例えこの婚約が、ルイスに利用されるためだけのものであったとしても、それら全てをアイリスはきちんと受け止めたかった。
「一一はぁ。…全く、俺の婚約者殿はお淑やかそうでかなり頑固だな」
「それ、褒めてます?」
むうっと、アイリスが頬を膨らますと、それを見たルイスは可笑しそうにくつくつと笑う。
その顔が普段よりも随分と幼くて、自然と胸がどきっと音を立てる。
(ルイス様も、こんな表情するのね。なんだか少しあどけなくて、可愛らしい。ーー……って私、何を考えているのかしら!?)
アイリスはそんな自身の胸内を誤魔化すように、わざと明るい口調で告げる。
「ルイス様!結局のところ、お話ししていただけるのか、そうでないのかどちらなのですか!?」
「いきなりどうした。心配しなくても、たった今その答えが出た」
ルイスはそう言うと、どこか神妙な面持ちをしてアイリスの方へ一歩近づく。
「アイリス、これから俺がすることをグレンには言うなよ。きっと、怒るだろうから」
「ルイス様?いったい何を一一」
「考えているのですか」と紡ぐより先に、ルイスによって腰を引き寄せられる方が早かった。
「ーーっ!!」
驚きで目を瞠ると同時にアイリスの頭にも手を添えられ、ぐっとルイスの胸元へ押し付けられる。
瞬く間に起きたことに、アイリスは混乱してしまう。
しかしアイリスの視界は、ルイスが着ていたベストの黒色で埋め尽くされており、腰と頭にはルイスの手がある。
(も、もしかして私、だ、抱きしめられてっ……!!)
抱きしめられていると自覚したことで全身が火照り、心臓がどきどきとうるさいくらい拍動している。そのことがルイスに伝わってしまいそうで、アイリスは気が気ではなかった。
「あ、あの、ルイス様!?な、なんで、こんな…!!」
「………」
狼狽えるアイリスとは裏腹に、抱きしめてきた張本人であるルイスは黙ったままだ。
いったいどうしようかと考えていると、アイリスの耳元でルイスがぼそっと呟く。
「…俺にこうされて、嫌ではないか?」
「えっ、と。嫌、というより、心臓がどきどきしすぎて、今にも飛び出てきそうなので、あの、離してもらいたい、です」
「ははっ。安心しろ、そう簡単に心臓は飛び出てこない。ーーでも、そうか。どきどきしすぎる、か」
ルイスはそう言うと、ぎゅうっとアイリスを抱きしめる腕にさらに力を入れる。
そうされたことで、アイリスとルイスの間にはほとんど隙間がなくなってしまう。
(〜〜〜〜っ!!!)
アイリスは、もう限界だった。今まで家族にしかこのように抱きしめられてこなかったのだ。免疫などあるはずもない。
(心臓は簡単に飛び出てこないだろうけど、私の気持ち的には、もう無理だわ!!これ以上は私自身ももたない!!)
「る、ルイスさーー」
「アイリス、婚約の理由だが、それを話す前に一つ教えておくことがある」
その言葉で、アイリスは一度冷静さを取り戻す。
「教えておくこと、ですか」
「そうだ。まあ、お前は少しも覚えてはいなかったようだがな」
「?」
確かタウンハウスにルイスが来た時も、「本当に覚えていないんだな」と言っていたのをアイリスは思い出す。もしかして、そのことと何か関係があるのだろうか。
アイリスが不思議に思っていると、ルイスの口から衝撃的なことを告げられる。
「いいか、アイリス。お前が齢五つの頃、俺たちは出会っている」
「え」
(ーー私とルイス様が、幼い頃一度会っている…?)
「別に、無理に思い出さなくてもいい。俺が覚えていれば十分だから」
ルイスはそれだけ言うと、するりとアイリスを抱きしめていた腕を離す。
そして、困惑した眼差しでルイスを見上げるアイリスの頭を優しく撫でる。
「今日はここまでだ。婚約の理由は、夜会までにはきちんと話す。さあ行こう、ギルバート殿たちが待っている」
「…はい」
アイリスはエスコートされながらも、突然告げられた事実にぐるぐると頭を悩ませるのだった。




