31.バーレイ辺境伯家
この日の夕刻、仕事を足早で終わらせたアイリスは、三日間の外泊許可を貰いタウンハウスへと向かった。
(お父様たちは二日前に既に到着しているのよね。怪しまれないように男装のままで来たけれど、皆の前で一度見せているから問題はないはず!)
そして道中何事もなくタウンハウスへ着いたのだが、そこで、アイリスがつい失念していた問題が起こったのだ。
「だ、誰だお前は!?おい、マーサ、ニール!早くこの無礼者をつまみ出さんかっ!!」
「ち、父上、よく見てください!!この青年はアイリスですよ!」
「そうですよ貴方。ついにその目が節穴にでもなりまして?可愛い娘の男装を見抜けないだなんて、貴方の愛はそんなものですか」
「うぐっ…!!瞳の色は確かにアイリスと同じだが、雰囲気がまるで違うじゃないかっ!!あの子はもっと、愛らしくて可憐だっただろ!?」
取り乱す父に、母であるジュリアはどこか呆れた眼差しを向ける。
(一一そういえば一度男装をしてみた時、たまたまお父様だけいなかったのよね…。すっかり忘れていたわ)
そう、アイリスの男装姿を父のギルバートだけは見たことがなかったのだ。そのため、男装したアイリスを不審者と間違えてしまっていた。
「ごめんな、アイリス。事前に父上にも、お前が男装でどんな姿なのか伝えておくべきだった」
「いえ、この姿で来た私が悪いのですから、お兄様は謝らないでください」
兄のグレンが『アイリス』と呼び謝罪したことで、ギルバートの警戒は少し薄まったのだろう。
「ほ、ほんとうに、アイリス、なのか…?」
未だ疑いながらも、ギルバートは先程よりも落ち着いた様子を見せる。
「……はぁ」
しかし、そんなギルバートにジュリアは痺れを切らしたのか、ため息を吐くと男装したままのアイリスへと近づいた。
「久しぶりね、アイリス。貴女が元気そうで、母は安心しました」
「お母様…。お会いできて嬉しいです!」
「えぇ。私もですよ」
ジュリアはそっと、アイリスの頬に触れる。
「さあ、アイリス。はやくその鬘を取ってしまいなさい。娘を疑ったことを、お父様に後悔させてあげるのよ」
「…あはは」
アイリスは、つい苦笑いをしてしまう。
そして、ジュリアの言う通りに鬘を外し、髪を纏めていた網と髪紐も外す。
「あ、あぁ…!!」
さらりと、アメジスト色の髪が腰辺りまで流れる。
その髪は、鬘を被るために押さえつけられていたのもあり、くるくるとした痕がついていた。
(やっぱり痕がついちゃうのよね。癖にならないといいのだけれど一一)
「アイリス〜〜〜!!」
「わっ!!」
痕がついた髪をくるくると指先で弄んでいると、突然ギルバートに抱きしめられる。
「ちょっと貴方!!私まで巻き込まないでくださいな!!」
よく見ると、アイリスの近くにいたジュリアも巻き込まれたのか、ギルバートに抱きしめられていた。
「アイリス〜!!ほんっっとうにすまない!愛しい娘の男装が分からないだなんて、父親失格だ…!!」
「……お父様」
ぎゅうっと、さらに抱きしめてくる腕に力が込められる。
さすがに苦しくなり、アイリスは抗議の声をあげる。
「お父様!これじゃあ苦しいです!」
「む?すまない、つい力を入れすぎてしまった」
そう言うとかなり力が緩められたため、アイリスはその隙に腕から抜け出す。すると、ジュリアもアイリスと同じようにその腕から抜け出していた。
「……そんなすぐ離れなくてもいいじゃないか」
二人一気に腕の中から抜けたことで、ギルバートはどこか寂しそうな表情をする。
しかしそれも束の間。寂しそうな表情から一変、真摯ながらも優しさを滲ませたような、慈愛溢れる表情に変わる。
「しかし、本当に久しぶりだな、アイリス。だいぶ騎士姿が板に付いていて、父様は驚いた」
「ありがとう、ございます」
アイリスはギルバートの言葉に嬉しくなり、はにかむように笑う。
「そしてもう一つ。アイリス、遅くなってしまったが、婚約おめでとう」
「!!」
思わぬことを告げられ、アイリスは目を瞠る。
するとそのすぐ後、突然「はあぁぁ〜」と大きなため息を吐いたギルバートが、顔を覆い一気に脱力していくのだ。
「お父様!?」
「アイリス、これはただの親バカの姿よ。心配する必要はないわ」
混乱するアイリスを傍目に、ジュリアはどこか冷めた視線をギルバートへ送る。
そんなジュリアに噛み付くように、ギルバートは脱力しながらも抗議をする。
「親バカは認めるが、少しくらい心配してくれてもいいだろ!?なあ、グレン?」
「父上、アイリスにきちんと祝福を告げたのは褒めます。ですが、そろそろ本気で娘離れしてください」
「なっ、お前だって、アイリス大好きだろう!?なのになんでそんな飄々としてるんだ!」
「一一……父上」
グレンはぎゅうっと掌を握りしめると、叫ぶように言うのだ。
「俺だって、可愛い妹がルイスの下へ嫁ぐっていう事実だけで、胸が苦しいんですっ!!でもっ、俺は兄として妹の幸せのために、取り繕って、我慢しているんです!!」
「〜〜グレンっ!!」
瞳に涙を浮かべた二人は、ひしっと縋るように互いを抱きしめ合う。
(なんだか、私が家を出る前より悪化しているような…)
「アイリス」
二人を呆然と眺めていると、背中にそっとジュリアの手が添えられる。
アイリスは顔だけ振り返り、ジュリアと軽く目を合わせた。
「あの二人は放っておきなさい。暫くはああなっているだろうから」
「ええ、そうします」
「それと、オルコット公爵家を訪問するのは、明日の午後一時よ。バーレイ辺境伯家として、オルコット公爵の婚約者として恥じぬように行動なさい」
それを聞いたアイリスは、くるっと後ろを振り向き、口元に笑みを浮かべて告げる。
「ご安心を、お母様。全て心得ていますわ」
「一一そう、楽しみにしているわね」
ジュリアは目を伏せ、ふっと笑う。
きっとジュリアは、貴族令嬢として振る舞うアイリスの姿を見ておきたいのだろう。なんせアイリスに淑女教育を施したのは、ジュリア本人なのだから。
「もし貴女が無作法なことをしたら、もう一度私が礼儀作法を叩き込みますからね」
「え!?それだけは嫌です!!」
「ならばそうならないよう、しっかりやりなさいな」
「はい…」
ジュリアからの厳しい淑女教育を思い出し、背筋に悪寒が走る。
あまりの厳しさに、アイリスは幼い頃もう二度と、ジュリアに教わらないようにしようと、心に決めたのだ。
「ふふっ、そんなに恐れることはないわよ、アイリス。やるとしても、ちょっと教え直すだけだから」
「いえ、ぜーったい、教え直させませんのでっ!!」
「あらそう、残念ねぇ」
全然残念そうに思っていないだろう声色で、ジュリアは楽しそうに言う。
かと思うと、突然アイリスの体を上から下にさっと眺め、「そうだわ」と呟いた。
「アイリス、そろそろ夕食にするから着替えて来なさい。久しぶりの団欒ですもの、騎士姿ではなくて貴族令嬢としての姿でいて欲しいわ」
「わかりました。では、着替えて来ますね!」
アイリスはそう言うと、いそいそと扉へと向かう。
すると後ろから、ギルバートとグレンを叱るジュリアの声が聞こえてくる。
「貴方!グレン!いつまでも抱きついてないで、いい加減しゃんとなさい!」
「「は、はいっ!!」」
そんな様子を見ていると、アイリスは「帰ってきたのだ」とひどく実感する。
(やっぱり、この賑やかさが我が家よね。見ているだけでも楽しい…!!)
アイリスは、ふふっと静かに笑うと、自室に向かうためにその部屋を後にしたのだった。




