23.彼に似合うのは
アイリスが街娘として動き始めてから数週間後のある日、アイリスはルイスに呼ばれオルコット公爵家を訪れていた。
もちろん、ルイスの婚約者として一一。
「ルイス様、バーレイ辺境伯令嬢がお見えです」
アイリスを屋敷の応接室まで案内した老執事が、扉をコンコンっと叩き、告げる。
すると、普段と比べ軽装をしたルイスが応接室から出て来る。
「よく来たな、アイリス」
「ご機嫌よう、ルイスさま。本日はお招き頂きありがとうございます」
アイリスがドレスの裾を持ち、カーテシーをすると、ルイスが手を差し出してきたため、アイリスはそっとその手に自身の手を重ねる。
すると、ルイスは重ねられた手を口元へ持っていき、アイリスの手の甲へ唇を当てると揶揄うような表情をして言うのだ。
「では、貴女と今日一日過ごす名誉を、この私に与えて下さいますか?」
そんなルイスにつられるように、アイリスも揶揄うような口調で返事をする。
「ええ、もちろんですわ」
「それでは、参りましょうか」
きっとルイスは面白がっているのだろう。
そんな状況を同じようにアイリスも楽しみながら、エスコートしてくれるルイスに身を任せ、屋敷内を進んで行く。
ふと、どこへ行くのか気になったアイリスはルイスへと聞いてみることにした。
「そういえばルイス様、いったいどこへ向かっているのですか?」
「ん?お前が好きだと言いそうな所だ」
「?」
そう言われ、アイリスは不思議そうに首を傾げる。
(ここに、そんな場所ってあったかしら...?)
疑問に思いながらも、足を止めることなく進んで行く。
すると目の前にある部屋の扉が見えた瞬間、アイリスは目を瞠った。
「ルイス様、もしかしてあの部屋は一一!!」
「なんだ、もう分かったのか」
ルイスはマゼンタの瞳を細め、ふっと笑ったと思うと、部屋の扉をゆっくりと開ける。
すると中からふわっと甘い薫りが漂ってくる。
「わぁ......!!」
なんとその部屋は温室となっており、色とりどりの花が育てられているのだ。
いつの間にかルイスの手が離されていたため、アイリスは部屋の中心へ行き、くるっと辺り一面を見渡す。
(久しぶりにこんな光景を見れるだなんて!確かにこれは、私が好きなものの一つだわ…!)
アイリスは興奮冷めやらぬまま、こちらに向かってくるルイスへとお礼を告げる。
「ルイス様、ありがとうございます!」
「気に入ったか?」
「ええ、とっても!」
「一一そうか」
アイリスの返答に、ルイスは何か眩しいものを見るかのように、その双眸を柔げる。
そしてアイリスの目の前で足を止めると、いきなり頭を撫でられる。
「!」
いきなりのことに、アイリスは頬がじわじわと熱くなるのを感じるが、頭を撫でる手つきは、壊れ物に扱うかのようにとても優しく、丁寧だった。
アイリスからすれば、この状態はかなり恥ずかしいが、何故だか不思議と安心感があった。
(それにしてもルイス様、どうしたのかしら...?)
しかしこのままでは終わらないと感じたアイリスは、そっとルイスに声をかける。
「ルイス様、今日は夜会のお話をするのでしょう?」
「っ!!」
「そろそろお話をしないと」
「あぁ、すまない。すぐお茶の支度をさせるから、待っていてくれ」
そう言い、ルイスにしては珍しく慌てた様子で、バタバタと部屋を出て行ってしまった。
一人部屋に残されたアイリスは、ふと目を惹かれた一つの薔薇へと近づく。
その薔薇は珍しく、紫色をしていた。
(そういえば、オルコット公爵家の家紋には薔薇が描かれていたわね。ルイス様は優しいけれど、とても威厳のある人)
一一そんな彼に、この紫の薔薇はとても似合うのだろう。
そんなことを考えながら、アイリスはルイスが戻ってくるまでの間、たくさんの花を見て楽しんだのだった。
***
「くそっ」
一方、部屋を出て行ったルイスは、温室の扉へと寄りかかり、腕で目元を覆っていた。
そこへ、ティーセットを載せたワゴンを運んできた先程の老執事がやってくる。
その老執事はルイスの様子を見て、ほっほっと微笑んで言う。
「ルイス様、その様子ではアイリス様に嫌われでもしましたか?」
ルイスは老執事を睨みつけると、はぁと溜息を吐き、頭を扉に預けながら腕を組む。
「そういうわけではない」
「長らく貴方様に仕えて参りましたが、かなり拗らせましたねぇ」
「うるさい、仕方がないだろう」
「いい加減、あの話をしてみたらどうですか?その方が一一」
「バート」
そう名を呼ばれた老執事は「失礼しました」と腰を曲げる。
それを見たルイスは、自身の胸元で片手の掌をぐっと握る。
「バート、お前から彼女に、余計なことは一切言うな。これは俺の問題だからな」
「心得ております」
「ならいいんだ。そうだ、もう戻っていいぞ、わざわざすまなかったな」
ルイスはそう言い、ワゴンをバートから貰い受ける。
「いえ、これが私の仕事ですから。なんなりと申してくれて結構ですよ」
「あぁ、頼りにしている」
それを聞いたバートは少し嬉しそうに微笑み、一礼して去っていく。その後ろ姿を見ながら、ルイスは目を瞑った。
その脳裏に浮かぶのは、ルイスの言葉や行動一つで、くるくると変わる彼女の表情ばかりだ。
ルイスは目を閉じたまま、はっと苦笑する。
「重症だな、これは」
その呟きは誰にも聞こえることはなく、ただ静かに空気に溶けていったのだった。




