9.これは普通のことですか!?
「アイリス、手を」
「ありがとうございます、ルイス様」
馬車を先に降りたルイスが、アイリスに手を伸ばす。
その手を取り、馬車を降りながら綺麗な微笑みを浮かべたアイリスは、内心とても穏やかではいられなかった。
(どうして私今、この方と市場まで来ているのかしら…!?)
そう、アイリスは今ルイスと共に王都にある市場に来ていた。
***
それは今朝のこと、アイリスは休みにも関わらずルイスの元へ呼び出されていた。
「えっ!もう了承の返事が来たのですか!?」
「あぁ」
ルイスから、婚約を承認する手紙と近日中に王都に向けて出発するという趣旨の手紙が辺境伯家から届いたことを伝えられていたのだ。
「意外と早かったですね」
「そうだな。俺も少し驚いている」
事の早さにさすがのルイスも驚いているようだった。
「あぁそれと、グレンからお前宛に手紙が入っていたぞ」
「お兄様からですか…?ってルイス様、今グレンと、もしかしてお兄様のことご存知だったのですか!?」
ルイスの口から兄の名前が呼び捨てで呼ばれたことに気がついたアイリスは、手紙のことよりも驚いてしまう。
その様子を見たルイスは、少し意地の悪い顔をした。
「なんだ、聞いていなかったのか?」
「だっ、だってお兄様が学園を卒業したと同時に私は学園へ入学したんです。手紙は貰っていたとはいえ、なかなか会えなかったんですよ!」
「へぇ、あいつは普段は真面目な奴だったが、妹の話をする時はさすがの俺でも引いたぞ」
「な、なななにを、兄はそこまでやらかしていたのですかっっ!?」
「さぁな。後は本人の口から直接聞いてみるといい。きっと面白いことになるだろうからな」
「………??」
グレンは何をそこまでやらかしてしまったのだろうかと、アイリスは不安になる。
「…おい、アイリス」
考え込んでいたアイリスだったが、ルイスの声にはっとなり、視線をそちらに向ける。
すると何やら真剣な目付きをしたルイスがいた。
「どうしましたか?」
「アイリス、お前今日は休みだよな?」
「はい、そうですけど…」
一体どうしたのだろうか。ルイスの纏う雰囲気のせいで、アイリスまで緊張したような感覚になる。
しかし、次に発せられた言葉にアイリスは緊張など吹き飛んでしまった。
「この後なにも予定がないのなら、俺と市場まで行かないか?」
「一一は?」
「もう一度言わないと分からないか?俺と一緒に市場へ行かないか、と聞いている」
「……えぇぇっ!!」
***
それがつい数刻前の出来事だ。
あの後特に予定がなかったアイリスは、市場に行くことを了承した。否、させられたのだ。
そこからのルイスの行動は早かった。
自身の馬車にアイリス共々乗り込み、オルコット公爵家へ向かったのだ。
完全に萎縮したアイリスを公爵家の侍女たちに預け、身なりを整えさせた。
(……さすが公爵家の侍女たちだったわ、無駄がいっさいなかった。だけど、あんなに大はしゃぎされるとは思っていなかった…)
そう、公爵家の侍女たちはアイリスを見るなり大はしゃぎしていたのだ。
今まで浮ついた話が何も無かった主君が婚約をし、しかもそれがとても綺麗で美しい少女だったのだ。
初めてのお出かけを、最高なものにして欲しいと思うのも仕方がないだろう。
(出発前になぜか生暖かい視線を感じたのよね。どうしてかしら…?)
歩きながら物思いに耽っていると、急に体に衝撃が走った。
「わっ!!」
「全く、俺といるのに何をそんなに考えているんだ?」
ルイスが腰を引いてきたのだと、理解をするのにそこまで時間はかからなかった。
「あ、あの……」
「で?お前は何をそんなに考えている」
「……なんでもない、です」
「一一へぇ」
聞けるわけがない。なぜあそこまで侍女たちがはしゃいでいたのか、そして出発時の生暖かい視線は何だったのか、だなんて。
しかし、何かしら答えないとダメな気がする。そう思ったアイリスは、話題を逸らそうと考えた。
「あ、あのっ!ルイス様!」
「なんだ?」
「今更なのですが、なぜ今日はここに来られたのですか…?」
「なんだ、気になるのか?」
「そ、それはもちろん気になりますよ!いきなりすぎて吃驚しているんです!!ちょっとくらい説明してくれたっていいじゃないですか!」
「それもそうだな」
なんとか別の話に変えられたようだ。
ほっとしていると、アイリスの右手に何かが絡まってきた。
(一一ん?)
不思議に思って見てみると、ルイスの左手がアイリスの右手に絡めるように繋がっていた。
それを理解した瞬間、一一 ヒュッと息が詰まる。
「あ、あの、この手はいったい、何事ですか!?」
「何事と言われてもな。見た通りだか?」
「そ、そういう訳ではなく!!一体なぜこのようにしているのですか!?」
「なんだお前、気づいていなかったのか?周りを見てみろ」
そう言われそっと周りを見てみると、たくさんの人の中に何組か恋人たちがいた。
その恋人たちを見ると、皆今のアイリス達のように、手を絡めて繋いでいる。
「やっと気づいたようだな」
思わずルイスの方を見ると、揶揄うような表情をしていた。
謀られた!!とアイリスは思うものの既に手遅れだ。
「……ルイス様、この手を離していただくのは、」
「ダメだ。というより、この方が自然だし普通だと思うぞ」
「普通……?」
「何をそんなに悩んでいるだ?俺たちは婚約者だ。手を繋ぐことくらい普通だろう」
「一一!!」
(普通!?これが婚約した者同士の普通なの!?そう言われると、普通……のことよね!!きっと…!!)
繋がれた手をルイスに引かれながら、しばらくの間アイリスはぐるぐると頭を悩ませていたのだった。




