第99話 恢。
「えと、あの、それで」
……おや、大部良くなったらしい。顔も綺麗になった。
「うんっ、凄かったもんねっ」
「あっ、すみません。ありがとうございました。そのいろいろと」
……あまり詳しくは言えないのだが、画家タマの女性は少し前までちょっと人前に出してはいけないような状態になっていた。丁度よくエアが起きてくれた為、私は彼女をエアに任せて綺麗にしてもらったのである。
浄化一発で綺麗にはなったのだが、何となく新品の大きな手ぬぐいも一緒に渡して、エアにグニグニと彼女の顔を拭いてもらった。
さて、結局、街から一日歩いてきたわけだけれども、私達は良いのだが、君はどうするのかと私は画家タマの女性へと尋ねてみた。街に戻るのか、それともこのまま一緒に付いてくるのか。
「……あの、できれば、一緒に」
すると彼女は私達に付いて来たいと言う。
だが、ついてくるのは構わないけれど、彼女はこの先に何をしにいくのだろうか?私達は海の見える街に行くと言う目的があるのだが、彼女もそこまで一緒に来るのか……ただ、それは本当に彼女の目的地なのだろうか。
「…………」
私がそう問うと、彼女は暫く考え込んだ。
何をしようかと。何をしたいのかと。
そうして、長く考え抜いた末に、彼女は一つ答えを出した。
「あの、わたしに、もう一日だけ時間をいただけませんか?……お二人を画にしたいんです」
彼女のそんな言葉に、エアは嬉しそうな顔をした。私も当然否やはない。
どうやら何もないこのただの道が、彼女のとっての、新たな第一歩の出発点となるらしい。
やはりというか、当然というか、彼女は自分の最初の一歩に画を描く事を選んだ。
あそこで私達に目的もなく付いていくのは間違いだと気づき、必要だと思う行動を選んだのだ。
今はもうちゃんと気を引き締めた顔をしている。確りと前を見れている。
間違えそうになっても大丈夫。彼女は自分が進むべき道にちゃんと戻る事が出来た。
……とそこで、私はとあることに気付いたので彼女に尋ねてみた。
つまるところ私達は、これから彼女の画のモデルになるわけであるが、とすればどんなポーズをすればいいのだろうか……私はポーズなんてとったことがないのである。
まあ、エアならともかく、そもそも私なんぞは画にする程の大層なものではないけれど、それでもまあ、モデルと言う事は、それなりに『若い』とか『カッコいい』と言う証明にもなるし、一応やるからには全力で挑むのが礼儀ではないのかと私は思うのだ。
それに、出来上がったら『王都の友に自慢できるぞ』とか言う内心の喜びとかは、別に置いておくとしても、やはりポーズは大事になるんじゃないかなと私は感じていた。
エアはどんなポーズでも似合いそうだし、本人もなんでも嬉しそうだが、どんな構図で彼女が描きたいのか気になるらしく、その表情からはわくわくが伝わって来る。
今は画家タマとは言え、元はちゃんとダンジョン都市で女性の貴族たちを相手に画を描いていた人物だ。それはもう私達二人をピシッと決まった構図で描いてくれるのだろうとは思うのだが……はてさて。
「なにかご要望はありますか?」
そして、画を描くための準備を整え終わった彼女は、おそらくこれまで何度も使って来たであろうその特別な一言を、私達へと向けて尋ねて来た。そうか、確かにポーズも要望を聞いてみないと決められないと言う事だろう。
だが、それを男性へと話しかける事すら出来なかった人物が自ら声をかけ、理想の画を描く時に筆が持てなくなっていた人物が、相手の要望通りに画を描きたいと言って来たのである。これだけで既に私は素晴らしい進歩だと思った。
これは本当に、彼女にとっても再起の画となる大事なものだ。どうやら彼女も本気らしい。
『私は今、貴方達を描きたいんです』と言う熱意が、その瞳に爛々と輝いて見える。
「おまかせでっ!」
ただ、そんな彼女にエアは無邪気な笑顔でそう告げた。一番難しいかもしれない要望を。
『自由に描いて』と、逆に私達も貴方が描きたいと思うその姿になるからと。
ただ無邪気なだけではあるが、エアのその純粋な優しさは確実に彼女の心を打ったのだろう。
エアの笑顔を見た彼女は、先ほどまでの恐ろしく真剣な表情から、一転して温かな笑みを浮かべた。
瞬間、彼女に圧し掛かっていた余計な重さや若干の息苦しさみたいなものが消え去ったように私には見える。
「それじゃあ──」
──そして、私達は彼女の要望通りの格好をして、今、画を描かれている。
「ふふふーっ」
「…………」
私の背中でエアが嬉しそうに笑っているが、本当にこの格好でいいのだろうか。
肖像画などはもっとキリっとした感じのポーズをとると思っていたのだが……まあ、いいか。
なんと私は今、なんとエアをおんぶしながら、画を描かれていた。
彼女の要望は『エアをおんぶしている私』の姿だったのである。
何故彼女がこのポーズを選んだのか、その理由を尋ねてみると『最初にお二人を見た時に、"幸せの形"って、きっとこんな形をしているんじゃないのかなって思ったんです』と言う答えが返って来た。
私は普通に仏頂面をして立っているだけだし、後ろのエアはニッコニコで笑っているだけなのだが、彼女がそれでもいいならと私達も同意する事にする。
「少しは動いても平気ですので、無理ない範囲で動かない様に、そのままでお願いします」
とそうして、彼女は画を描き始めた。
ただ、その時の彼女には見えていなかっただろうけど、私達の周りには実は精霊達も一緒に居たりする。
『旦那の隣は俺がいただきますっと』『ちょっとまって!わたし反対側っ!』『あっズルい!』『ちょっと勝手に決めるのは良くないと思います!』
……君達、仲良くしなさいよ。まったく、しょうがないんだから。
彼らも私達と一緒に画に描いて欲しかったのだろう。
もちろん、彼らも彼女に描いては貰えない事は知ってはいる。彼女は見えていないからだ。
だがそれでも、一緒に並びたかったらしい。
私とエアにとっても彼らの存在は隣に居て当然なのだから、みんなで並んでくれる方が嬉しかった。
……ただ、出来るならば、やっぱ折角だしと一緒の画が欲しくなるのが、皆の共通の気持ちである。
と言う事で、私は魔法を使って、自分達の今の光景を、画家タマの彼女側から見た視点で【空間魔法】で覗き見し、自分の頭に一瞬の光景を切り取って記憶に焼き付けた。……いてて。
まあ、あまり連発しては出来ないけれど、やってみたら思いのほか上手くいってしまった。問題もあまりない。……それに、何気にこれは初めての試みだったが、少し面白いと感じた。
私の脳内には今、精霊達も含めたみんなの姿が、切り取られた一枚の絵の様にして見えている。
素人的な切り取り方だった為、範囲内に一応みなが入ってはいるとは言えるものの、頭はほぼギリギリスレスレのラインだし、足は中途半端に膝丈位で見切れてしまっているが、それでもみなの表情等は問題なく分かる充分な絵であった。
そして私は早速、その一枚をみんなの頭にも魔力を使って気を付けて送ってみた。
「わあっ!」
『旦那、これって』『凄い私達が一緒だっ!』『すごいっ』『ちゃんと絵の中にいますね』
そして、どうやら上手くいったらしく、ちゃんとエアや精霊達の頭にも同じ光景が見えたらしい。
細心の注意を払ったので大きな問題もみられなかった。
エアも精霊達も、頭に浮かぶその画に喜び、笑っている。私もそんな風に喜ぶ彼らを見て、心の中で笑みを浮かべた。
ただ、こっちでこんな事をしている間も、画家タマの彼女の方はずっと変わらず集中してくれて画を描いてくれている。その集中力は驚嘆する程に素晴らしいものだ。
彼女の言葉通り、多少の動きは本当に問題ないらしく、私とエアだけ格好は変えずに、精霊達が入れ替わりで場所を変えながら、何回か同じように私達は魔法で瞬間の絵を切り取り続けた。
……ただ、これが予想以上に、いや、かなり熱中する程に楽しかったので、時間も忘れて私達は遊んでしまった。そして、気づいた時にはもう辺りは夕暮れ間近にまで時間が差し掛かっている。
その間ずっと作業に没頭していた彼女にも流石に疲労の色が見え始めていたが、ギリギリ夕暮れが沈んでしまう前に、彼女はいきなり立ち上がった。
そして、満足のいく絵を描けたのか納得して何度か頷くと、最後に『出来ましたっ!』と元気な良く笑って私達に完成を報告したのである。
……その報告に、私達は早速と、その出来上がった画を見に行くことにした。
因みに、精霊達にも勝手に回り込んで先に見ない様にと言っているので、これが全員の初見である。
彼女には見えてないだろうが、私達は一丸となって一斉にぞろぞろと移動する。
そして、ガカタマの女性の後ろへと回り込むと、みんなでその画を見て、息をのんだ。
──そこには、背中で嬉しそうに笑うエアと、エアを見て普通に微笑む私が、そこには居たのである。
「すごーーーーーいっ!」
「…………」
『こりゃすげえ』『わぁーきれーねっ!』『笑ってる』『初めて見たかもしれませんね』
エアは先ほどよりも、更に感動したように声を上げた。
その笑顔は今日一番に嬉しそうな笑みをしている。
そして、その画には精霊達も同じく感動しているようであった。
精霊をも感動される画と聞けば、その凄さも良く分かるだろう。
だが、なんと言ってもおそらくはきっと、一番感動していたのは、私だったと思う。
……胸を打たれれる事に、その画の中で私はちゃんと、笑っていたのだ。
長い旅の途中で、私が失くしてしまったものの一つである笑顔を、その画の中の私は取り戻していた。
……それを見て、私は感動せずにはいられない。こんな風にかつては笑っていたのだろうかと思うと、胸は自然と熱くなった。
私の心には今、言葉に出来ない程の歓喜に包まれている。
たった一枚の画に何にが出来ると、人によっては思う者がいるかもしれない。
画で腹は膨れないと、そんなものの価値なんかわからないと。金の方がマシだと。
だが、この画は間違いなく、私にとっては値段が付けられない程の価値があった。
心を癒してくれた。そして救ってくれた。
そして、こんな未来を見てみたいと、そう私に思わせてくれたのだ。
……その感情にもはや価値など付けられないと、測り知れないと、私は心の底から思った。
「どうですか?」
心身ともに、全力を尽くしたのだろう。
彼女からは強い疲労の色が滲み出ていたが、その顔にはやりきった者特有の輝きのある笑顔が見える。
「ああ、素晴らしい。とても素晴らしく思う」
だが、その感動を伝える術として私の口から出てきたのは、そんな陳腐な言葉でしかなかった。
それでも良いと思うかもしれないが、私はもっとなにかを、言いたいと思ったのだ。
それが出来ない事をこれほど歯痒く思った事が無いと言える程に。
言葉とはなんとも難しいものだ。この想いを全て伝えるのに、適したものがみつからないのだから……。
だから、私はまた、魔力を使って素直な気持ちを彼女へと向けてみる事にした。今の私の精一杯の気持ちを、全部乗せて。
残念な事に、彼女はあまり魔法の力を鍛えていないみたいなので、私の伝えたい想いはきっとほんの一部だけしか伝わらないだろうと思う。
だがそれでも、伝えたかった。感謝を越えた想いを。その一部だけだとしても。
すると、そんな私の思いが少しは伝わったのだろうか、満足と言うよりはどこか安堵したような表情を彼女は浮かべた。
ただ、彼女は微笑むと、そのまま後ろにパタリと倒れてしまう。……どうやら本当に全力を出し尽くしてくれたらしい。
「心の底から、感謝を……」
眠ってしまった彼女へと、私は感謝を告げながら【回復魔法】と【浄化魔法】を丁寧にかけた。
そして、結局私達はこの場でもう一晩夜営する事を決める。
今度はちゃんとテントも張り、焚火を作って、彼女にはそのテントの中で寝てもらった。
テントの外に居る私達は、みんなで少し遠目に焚火を囲みながら、一緒にその画を見続けている。
みんなでのんびりとその画を見ているだけだが、不思議な時間が私達の間には流れていた。
とても心地の良い時間である。
その画は、何度見ても良いと私は思った。……私はこの画を随分と気に入ってしまったらしい。
その夜は温かい気持ちに包まれたまま、私もまた眠りについた。
「──持って行ってください」
そうして翌日、旅の支度が出来た私達に、彼女は完成した画を渡してくれる。
だが、彼女の再起の証明でもある大事な画をいいのだろうか。
「見たくなった時には私はまたいつでも描けますから。この画はもう一生忘れません」
そう言って彼女は笑っていた。
どうやら彼女は無事に、第一歩を踏み出せたらしい。
その笑顔には昨日とはまた一味違う雰囲気の良さと心強さを感じる。
そして別れ際、街まで見送ろうかと思っていた私達に、彼女は一人で街へと帰ると言いだした。
『街まで見送りは必要ないのか?』と尋ねたら、彼女は首を横に振って断り『今は一人で歩き出したい気分なんです。応援してて下さい。……わたし、がんばりますから』と微笑んで去って行った。
付いて来た時もあっという間だったけど、去る時もあっという間で、あまりにあっさりし過ぎていて寂しさも感じる暇さえない。
ただ、立ち去る時の笑顔は『きっとまた会いましょうね』と言っている様な気がした。
彼女は一度も振り返る事無く歩いていく。その歩みは未来へと向かって輝いている様にもみえた。
私達はそんな彼女の元気な姿を見て安心すると、踵を返してみんなで揃ってまた海へと向かって歩き始める。
私達の手の中には、自分達もこうなれたらいいなと思える理想の二人が、優しく微笑みあっていた。
またのお越しをお待ちしております。




