第88話 確。
翌日、宿から出ると、早々にエアが背中に乗せて欲しいと言って来た。
珍しい事だが、昨日背中に乗って少しは気に入ってくれたのだろうと思い、私は二つ返事で了承する。
ただ、なんだか今日は元気なのにエアは随分と大人しい様にも感じた。
どうしたのだろう?まだ昨日の事を引き摺っているのだろうか。
朝食の時は普通に見えたのだが……。
昨日は珍しくエアが怒った。エアの怒る姿を見るのはこれで二度目。いずれも私を守ってくれようとしての怒りである。その事に私は色々な想いを得た。
誰かを想って怒れるような優しい子に育ってくれている。その事に幸いを感じ。
そして、純粋に私自身をエアが大切に思ってくれている。その事に喜びを感じた。
ただ、怒りで我を忘れて無理をし兼ねない。そんな不安も少しだけ残った。
だが、大丈夫だ。エアは少しずつ成長している。
昨日の事もちゃんと受け止めてくれたらしい。
行動には結果が伴うという事を理解してか、少し思慮深くなっている気もした。
現に、朝の食事の時には、残り少ないネクトの数を聞いて、把握し考え、今日食べるのは一個だけにとどめていたのだ。
美味しい物は長く味わいたいという結果を求めての行動であると、私はそれを見ていて察する。おそらくは間違いないだろう。
だが、やはりいきなり全ての気持ちの整理をつけようとするのは誰でも難しいもので、エアも時々思い出すのか私の肩に置く手に力が入る事があった。まだイライラは残っているらしい。
そう言えば昔、友二人ともこんな話をした覚えがある。
イライラしてしまった時にはどうするのか、それを解決する為の方法の話であった。
確かイライラすると……うーむ、何だっただろうか。
さすがに昔なので少し記憶が飛び飛びになっているのかもしれない。
何故だか、その時の記憶が酷く曖昧だ。
だが、確かこんな内容だったような気が……
『イライラした時?あーちょうどいいわね。私昨日ねちょうど嫌な事があったの。それで昨日からイライラしてるんだけど、やっぱイライラした時って甘いのが必要になるのよ。え?食べ物?まあ食べ物もそうだけど、どっちかと言うと食べ物以外の方が重要なの。分かる?誰かに優しくされたいなーとか。甘やかして欲しいなーって思うものなのよ。分かるでしょ?分からない?分かれッ!そういうもんなの!いいわね!……ふぅ、だからね、今日はロムに一つお願いがあるの。……ごほん。今日は一日、ロムは私をお姫様扱いしてください。それも貴方は私の執事役ね。私が言った事には絶対に服従。お願いは何でも聞いて。優しくしてね。私が甘い囁きをして欲しいって言ったら、ちゃんとカッコいいセリフを言うんだよ?それでね……──ガシャン──あ、因みに言い忘れてたけど、今日は周囲に罠を仕掛けておいたから、逃げられないよ?まあ逃げようとさえしなければ発動しないタイプの罠だから、引っかかる事なんてまず無いとは思うんだけど、一応言っておくね。……あれ?ねえ、ロム?罠がいつの間にか発動しているんだけど、これは何?まさか逃げようとした?ううん?してない?……そう。そうよね。私今日はお姫様役だから。ちゃんと執事役として頑張ってくれるよね……わたし、最初に言ったもんね。昨日からイライラしてるって。だから絶対に──』
──うっ、頭が。どうしてもその先の事が思い出せないが、確かそんな事を言われた気がする。
まあ、とにかくイライラした翌日はいつも以上に甘やかされたいという事なのだろう。
現に今、エアが朝から私の背中に乗っているのもそう言う事なのかもしれないと私は勝手に納得した。
そして、もう一人の友曰く『そりゃ、イライラしている時は発散するに限るじゃないか!思いっきり叫んで歌うでも良いし、力いっぱい運動するでもいい、魔法を思いっきり使うってのも気持ちいいだろう。一番は本人が何をしたいかによるな。好きな事にとことん時間を使ってみると良いんじゃないかっ!』
──と言う話であった。思い出した。流石である。こちらは良い教訓となった。
執事とかお姫様とかはまだ少し意味が分かんないので、私はこっちを採用したいと思う。
なので早速、私はエアに何か好きな事をいっぱいして気分を発散してみるのはどうかと提案してみた。
私の予想ではずばり、お腹いっぱいにご飯が食べたいと言うのだろうと考えているので、一緒にこのまま街中の食事処を日が暮れるまでハシゴするのもいいんじゃないかと思ったのだ。
今日は『ダンジョン散歩』も無い日なので、幾らでも付き合う事が出来るぞ。
「じゃあ今日、ロムと一緒に居たい。ずっと背中に居て良い?」
だが、そんな私の予想とは大きく外れた答えがエアからは帰って来た。
私は『もちろん良い』とそれに答える。普段から一緒に居るのだが、それだけで良いのだろうか。
ずっとおんぶしているのは中々にハードだとは思うが、それにしてもささやか過ぎる発散方法である。
私は気になったので、『お腹いっぱい何か食べたくはないのか?』と一応エアに尋ねてみた。
「うん、今日はいいの。その代わり、大樹の森に行ってお昼寝したいから、その時にロムのお腹貸して?」
ふむ、なるほど。それはいい考えだと確かに私も思った。
元々寝ると言う行為は精神の安定に必要不可欠だし、やはりなんだかんだ言ってもあの場所はとても居心地が良く凄く落ち着くのである。
精霊達も喜ぶだろうし、そうと決まれば、一旦宿を清算してから早く向かうことにしよう。
「うんっ!」
……だが、そんな風にのんびりと宿に戻っていると、前方からはどこかで見た事がある、お揃いの黒いローブと黒いとんがり帽子を被った集団が目に入った。
「ややっ!?そちらに居られるのはエルフの方ではございませんかなっ?先日はどうも!この間の礼を言いたいと思っていたのですが、こんな所で丁度良く会えるとは運命かもしれませんなっ!わっはっは」
それも先頭に居るのは満面の笑みをしたあの老人である。
あー、頭の頭痛が痛む。そんな重複した痛みを私は感じた。
……先日どころか、昨日見たばかりの見たくない顔が幾つか見えてしまったのである。
背中にいるエアは既に両手を高く上に挙げて、久々に見る『がおおぉぉぉぉ』のフォームで既に戦闘態勢バッチリである。……どうどう。落ち着きなさい。今は私の背中にいるのだから、突進はできないぞ。
動きたそうにするエアを私はなんとか宥めながら、笑いつつ話しかけてきた黒とんがり帽子達に『何をしに来たのだ?』と私は尋ねた。
『いやいや、ただの偶然ですよ。わははは』と言ってはいたが、これは流石に誰にでも分かるだろう。
──嘘つけ。絶対に、確信犯である。
……はぁぁ、忘れていた。こういうタイプは本当に諦めが悪い。一度や二度断ったくらいじゃ中々に諦めないのだ。
だが、今この者達の相手に会話するのは流石にエアの機嫌を損ねる事にもなるし、私も正直言って忌避感しかない。
なので、昨日心に誓った通りに、彼らに近寄らない事に決めさっさと宿に向かう為に『そうか、それでは用事があるので失礼する』と言ってスタタタターと私は速攻で走って逃げた。……君子危うきに近寄らず。
「やや?おっと私どもも同じ方向にちょうど用事がありますので、ご同道してもよろしいですかな?」
だがしかし、その見かけによらず黒とんがり帽子の老人は中々の速さで私達に追走してきた。
……まったくよろしくありませんが?この老人、意外と健脚なのが忌々しい。それなら散歩中もちゃんと歩けただろうに。
このまま彼らはずっと追いかけて来る気だ。こっちに来るな。帰れ。
なに?礼がしたいのだと?まったく要らん。帰ってくれた方がどちらかと言うと礼になって嬉しい。
そんなつれない事を言わないで欲しいのだと?『三顧の礼』と言う言葉もある。だから一度くらいはちゃんと話だけでもしませんかだと?……知らん言葉だな。耳長族の辞書には書いてないぞ。
そもそも二度も三度も来るなと言いたい。迷惑だ。断る方の気持ちも考えて欲しいものである。
ハッキリ言って私は『ノー』と言える耳長族なので、何度来ても答えは変わらない。
「絶対に嫌だ。断る」
「そんな事言わずに」「そうです。校長がここまで頼んでいるのですから」「一度くらいお話だけでも」
黒とんがり帽子だけではなく、その周りの子とんがり帽子達まで口を出してきたのので、流石の私も手を出す事にする。まあこの場合は魔法を使わして貰った。
このまま宿にまで来られてしまうのは困るので、その前になんとかしようと思う。
それに、相手を寄らせないだけならば幾らでも方法はあるのだ。私の得意分野である。
昨日の事で私も幾つか反省した。自分自身の口下手なのはもちろんの事として、彼らに対しても早い段階で魔法で眠らすなり、まやかしをかけるなりして無力化していれば何も問題は起こらなかった筈なのである。
と言う事で、私は速足で逃げながらも誰にも気づかれない内に魔法を使い、黒帽子集団を一気に眠らせてしまった。
彼らはほぼ抵抗もなく、みな糸が切れるかのようにぐにゃりと体勢を崩していき、その途中でポワンと宙に浮かぶ。
流石に走った勢いで眠ってしまうのは危ないので、全員を浮かして適当な所に纏め、そのままポイしておいた。
……もう二度と出合わない事を祈る。さらば。
「待たせたなエア。では、一旦森に帰ろう」
「うんっ!」
と私が背に居るエアにそう尋ねると、エアは待ってましたと言わんばかりに満面の笑みでそう答えた。
宿で清算した私達は、そのまま路地へと入り、【転移】で大樹の森へと帰る。
帰った私達は、約束通りお昼寝をして、エアは夕方位まで白いまくらでじっくりと熟睡していた。
何があるわけでもないが、ここは私達の帰る場所なのだと、そう深く実感できる一日であった。
「ろむ……すき……」
その夕暮れ間際、日の光なのか、本人の赤さなのかは分からないが、私のお腹に頭を乗せているエアは、私から顔を背けて耳を赤く染めたまま、小さくそんな呟きを発した。
私はそんなエアの後頭部をポンポンすると、『ああ。私もだ』と更に小さな囁きで返す。
何かが急激に変ったわけではないが、何かが少しだけ変わったような、そんな穏やかな一時だった。
またのお越しをお待ちしております。




