第625話 居待。
『今朝、気づいたばかりのとある重大な異変』……。
正直、それは耳にしても直ぐには信じられない事かもしれない。
それほどまでに私にとっては衝撃的な出来事であった……。
「…………」
……なんとも信じ難い話なのだが、実はあのエアが今朝から『笑わなくなってしまった』のである。
私からすればそれは天地開闢にも等しき一大事に感じられた。
……いや、いっそ『世界』なんてどうなってもいいから、エアの笑顔の方が大事だとさえ思っている。
因みに、もう少しだけ状況を詳しく説明すると、エアの表情は私のように動かなくなってしまったとかではない。一応は笑っている様には見えるのである。
ただ、伝わってしまうからこそ分かるのだが、その『心』の方は全く笑っていなかったのだ。
それもエアは何かに対してずっと『イライラムカムカ』としている様子で、少しだけ暗い雰囲気も漂っていた……。
「…………」
無論、私はそんなエアの事が気に掛かり『心』で『どうしたんだ?』と想いを寄せてみたのだ……。
だが、そうするとエアは表情ではニコニコとしたまま『──ううんっ、なんでもないよっ!個人的な事だから心配しないでっ!』とそう告げて、今朝早くからどこかへと一人で出かけてしまったのである。
正直、これは互いの『心』が伝わるようになってから初めての出来事だったので、とても心配になった。
……当然、互いの『心』が通じるよりも前は『エアがそんな状態になる事などなかったのに!』とか、そういう勘違いしている訳でもないのだ。
無論『人』であるならば、人知れずに心の中だけで泣く事や悲しくなる事もあるだろう。
激しく怒る事だってあるだろうし、楽しくて心の中で歌ってしまう事だってある筈だ。
……それ位は私にだって理解する心は残っているのである。
なにしろ『聖人』だって普通に愚痴を延々と零すのだから。当然だと思う。
それに、こんな私だって常に無表情をしている訳だが、時々心の中では大量に降ってくる雨に対して沢山の手拭いを用意して立ち向かう事だってあった。
だから、誰であろうとも『心』があるならば、それ位の事があって当然だと分かっている。
……勿論、エアだってそうなのだと。
他の者に言えない気持ちを沢山我慢して、辛い思いを抱いてしまう事も多かろう。
……これまで色々とあったのだから、それも仕方がない話なのだ、と。
「…………」
ただ、先も言ったけれど、互いに『心』を通じ合わせてからはこれが初めての事だったから、私は困惑していた。
それもエアは、問題の核となるであろう『イライラムカムカ』を向けている『対象』を、『ロムにはバレたくないっ!』と必死に隠している様なので……逆にそんな風に思っている事が『心』から伝わってきてしまった為に、尚更に私も気になってしまう状況になっているのである。
……因みに、エアは『心の隠し方』が上手いのか、その『対象』だけは一切漏らす様子がない。
なので、現状私の心を占める思いは『……もしかしたら、私がまた何かしてしまったのだろうか?』と不安に思う気持ちが三割ほどで──。
『……私でも何か力になれる事があるんじゃないのだろうか?』と、愛する者を助けたくて逸ってしまう気持ちが七割ほどある──みたいな、そんなもどかしい気持ちでいっぱいになっていたのだった。
「…………」
……これは、『互いの心が伝わるからこその問題?』とでも言えるのだろうか。
そんな何とも難しい問題を初めて経験した為に、私は対処法に困ってしまっているのである。
無論、出来る事ならば、エアが何に対して『イライラムカムカ』を向けているのか、その『対象』だけでもせめて知っておきたい気はしているのだ。
余計なお世話かも知れないが、余計なお世話かも知れないがー、余計なお世話かも知れないが……。
むむむむー、だが、このまま何もしないと言う選択肢は選びたくない心境だったので、何ともむずかしいと感じてしまっているのである。
勿論、その内自然と解決する問題かもしれないが、なんとなく今回の事は私にも深く繋がっている気がしたので、なんとか関わりたいと思ったのだ。
……ただ、いくら考えても、思い遣っても、どれが正解の道へと繋がりそうなのか……それさえも一切不明で迷ってしまった。
「…………」
……因みに、世間話の一環として、ちょっと前に魔術師ギルドのギルドマスターには『心を通わせている状態』について触りだけ話した覚えがある──エアの事とは完全に別件で、ただの世間話だが。
ただその際は、向こう(彼)はどれだけ本気にしたのか分からないけれども、『相手の心の声を聞く魔法』なども世の中には存在する為に、それに近しい類の話題だと勝手に解釈し勘違いしたらしく、彼はこんな一言で切り捨ててくれたのであった。
『正直、他人の心を読む魔法は有用だとは思うが、浅ましいものだとも思う』と。
もっとハッキリ表現するならば、彼としては『気持ち悪いと感じる魔法だと思う』という、そんな話であった……。
なので、そんな風に言われてしまった手前もあって、その時はそこから先に話は膨らまなかったのだが──ただまあ、一般的にはそう言う感覚なのだと知れて、私としては『へぇー……』と関心し、良き教訓の一部にはなったのである……。
「…………」
……でも、今まさにそれを思い返したのは偏に、『もしかしたらエアも……』というそんな気持ちが、ざわざわと心の中で五割ほどにまで心を占めて急に存在感を表わし始めて来たからであった。
簡単に言えば、『互いに心が通じ合っている今の状態を、エアは嫌悪してしまったのでは?』と。
だから、もしもエアが現状を変えて欲しいと願うのであれば、私としては最優先で『心が自然と通じ合ってしまう状態』を消し去る方法を何か──
「──ちがーーうっ!やだっ!ぜったいにだめっ!今のままで良いからっ!!このままでいいからっ!」
──が、しかし、私がそんなことを一瞬だけ『チラッ』と考えたその途端に、エアはどこからともなく颯爽と空を翔けて戻って来ると、いきなり私のお腹に向かってダイブしてきたのだった。
……ごふっ。
ど、どうやらエアは、本気でそれを消してしまうのは凄く嫌だと思ったらしい。
なら、それは止めるのだ。絶対に考えない事にするのである。
「……うんっ。なら良いんだけど──」
……ただ、そうするとエアは、私のお腹に激突したままで『ロムにイライラの対象を知られる事』よりも『ロムにこのまま秘密にしていた方が危険!』だと思ったらしく──ゴソゴソと古かばんから何かを取りだすと、密かに隠し持っていた『とある二枚の絵』を私に向けて見せて来てくれたのだった。
そして、視るとそこに描かれていたのはなんと私と『黒雨の魔獣』の姿であり──それは所謂『黒雨と泥の魔獣』の普通のツーショットだった訳なのだが……聞けば、エアは『これだけは許せない』と思ったそうで、密かに隠していた『イライラムカムカ』の内容も合わせて私に全部打ち明けてくれたのであった……。
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