ブリジット 2/5 成長と初恋
◆◆◆ブリジット視点◆◆◆
「遠距離対策で、この鋼糸鏢を使うことにしました。
これを袖下に隠し持とうと思います。
本当はもっと重量のある柳葉飛刀を使おうと思ってたんですけど……。
教えてくれるメルヴィンがどうしても駄目だって言って、口論に疲れちゃって……」
「メルヴィンは、何で駄目だって言ったのかしら?」
「柳葉飛刀は大きくて袖下には隠せないから、太ももに隠しておこうと思ったんですけど……。
投げるときに太ももを見せるのは、絶対駄目だって」
それを聞いてデミさんは大笑いをする。
そして「若いって良いわね」と楽しそうに私の頭を撫でる。
「でも、良い選択だと思うわ。
破壊力がほしいなら、その辺にある石でも机でも投げれば良いのよ。
力に特化した武功を使うあなたなら、その机だって片手で投げられるでしょう?
そういう攻撃に変幻自在で躱しにくい鏢を組み合わせたら、相手もかなりやり難いと思うわ。
鏢に毒が塗ってあったりしたら尚更ね」
さっすがデミさんだ。
メルヴィンの言うことには全く納得出来なかったけど、デミさんに言われるとこれが良いと思える。
◆◆◆
「やりましたわ! 当たりましたわ!」
「う、嘘だろう……」
お嬢様は大喜びして、メルヴィンは驚愕の声を漏らす。
メルヴィンと同じく、私も驚いてる。
お嬢様は鋼糸鏢を的に当ててみせた。
普通の的じゃない。
途中に遮蔽物があって、真っ直ぐに投げたのでは当てられない的だ。
それなのに、鏢は弧を描いて的のど真ん中に吸い込まれた。
お嬢様は武功を使えないから『気』を通して鏢を操作は出来ない。
投擲後に鋼糸を巧みに操作して、純粋な技術だけで当ててみせた。
すごい。
今日初めて鏢に触って、さっき使い方を教わったばっかりだなんて、とても思えない。
「お嬢様! すごいです! 尊敬します!」
つい声に力が入ってしまう。
お嬢様は照れ臭そうに笑う。
お嬢様が喜んでくれると私も嬉しい。
「あなたたち!
何をしているのかしら!?
私の大事なお嬢様に、そんな危ない物を持たせるなんて!」
後ろから聞こえた怒声に、びくっとしてしまう。
デミさんだ。
相当怒ってる……どうしよう……。
「デミ。ブリジットたちを怒らないでほしいですわ。
わたくしがお願いをして、無理を聞いて貰いましたの。
悪いのはわたくしですわ」
違う。
裏庭で私がメルヴィンから鏢を教わっているところに来たお嬢様がやりたそうな顔をしてたから、私が「お嬢様もやります?」って誘ったんだ。
お嬢様は、私を庇ってくれてる。
「デミのいないところで、また遊びましょう?」
お嬢様はそう言って笑う。
もちろん付き合う。
デミさんは、とても怖い。
でも、今日のお嬢様はとっても楽しそうだった。
これだけ自在に操れるなら、きっと楽しいだろう。
だから付き合う。
お嬢様が笑顔になると、私も気分が良いから。
◆◆◆
「ブリジット。どこに行くんだ?」
屋敷から出る私に声を掛けてきたのはメルヴィンでした。
「お嬢様にプレゼントするための鏢を買いに行こうかと思います。
もうお嬢様も中等生です。
不埒な男に襲われないとも限りませんから」
もちろん、私が側にいるならそんなことは絶対に許しません。
私の大切なお嬢様にそんなことをしようとする不快極まりない男がいたなら、肉塊へと変えてやります。
でも、学園は私が入れない場所です。
お嬢様自身で身をお守り頂くしかありません。
お嬢様にもしものことがあったらと思うと、気が狂いそうになります。
何か手を打たないと、私の身が持ちません。
「……何ですか? じろじろと見て?」
私の横を歩くメルヴィンは、楽しそうに私を見ています。
その視線が気になりました。
「ああ。ごめん。
背筋を伸ばした綺麗な姿勢を保って大きくない歩幅で歩く姿も、上品な言葉遣いも、もうすっかり貴族令嬢だなって思ってさ。
串焼きを口に咥えて、大股で飛び跳ねながら歩いていた昔とは全然違うなあって、しみじみ思っただけさ」
「いつの話をしているんですか!」
いつまでも無作法のままでなんて、いられる訳がありません。
私を育ててくれたお父様とお母様、それに私がお仕えするお嬢様の名誉に関わります。
「その……昔の君も可愛かったけど、今の君も素敵だよ?」
「き、急に何を……」
メルヴィンはよく、こうやって不意に私を褒めます。
なぜかは分からないけど、最近は恥ずかしく感じることも増えたと思います。
以前は、何とも思わなかったのに……。
「お嬢様の鏢の腕前だけど、今はどんな感じ?」
「もう『水蛇渡河』は完璧にマスターしました。
今は『流星追月』を練習中です」
「嘘だろっ!?」
驚きますよね。
投げた鏢が蛇行を繰り返して遮蔽物をすり抜け、視認出来ない位置にある的を捉えるのが『水蛇渡河』という技です。
鏢に『気』を通しても、そこまで自在に操るのは難しいことです。
それなのにお嬢様は、純粋な技術だけでそれをやり遂げてしまいました。
すごい天賦の才です。
鏢さえあれば、私がいない場所でもある程度なら身を守れるでしょう。
「鏢は、どこの鍛冶師に頼むつもりなんだ?」
「セブンズワース家お抱えの鍛冶屋にしようと思います。
私のものはいつもあそこに頼んでますし、情報が漏れる心配もありませんから」
「それなら、うちの工房はどうかな?
暗器の製作なら、うちが一番だよ?」
「ブルガーノフ家が工房を持っていたんですか?
初耳ですけど」
「外部からの注文は受けていないからね。
当家の仕事だけを受ける、当家秘伝の技術を持つ製作部門さ」
「……私がお願いしても大丈夫なんですか?
家門の秘匿技術なんですよね?」
「お嬢様がお使いになるものを駄目だなんて、間違っても言わないよ。
当家の家訓は『絶対の忠義』だからね」
メルヴィンの家もそうなんですね。
セブンズワース家一門は、忠義を重視する家が多いです。
私のオードラン家も『不滅の忠誠』が家訓です。
家柄よりも実力が、実力よりも忠誠が、より評価される家門だからだと思います。
私の家が騎士爵家から子爵家に陞爵されたのも、お母様が素晴らしい忠義を見せたからだと聞いています。
「では、お願いしても良いですか?」
「もちろんさ。
さあ。行こう」
わあーーーーーーーーーーーーー!!!
心の中では大絶叫でした。
メルヴィンが突然、私の手を握ったのです。
「どうしたの?」
優しく笑うメルヴィンは、特に動揺はしていないみたいです。
私だけが、大きく動揺しています。
「……べ、別に」
悔しいから平静を装いました。
彼の屋敷に向かう途中、ずっとどきどきしていました。
高鳴る鼓動が繋いだ手から伝わってしまわないかって、ずっと心配でした。
◆◆◆
月日は流れ、お嬢様は奥様に、奥様は大奥様になりました。
デミさんはもう随分前に、大奥様付きの専属使用人へと異動になっています。
異動のタイミングで私も専属使用人見習いから格上げされ、奥様の専属使用人になりました。
「最近は黒い鯉の魔法をよく使っているんだって?」
買い物に出た私に話し掛けて来たのは、私の横を歩くメルヴィンです。
「もっと強力な切り札が出来たのです。
もう黒い鯉の魔法は、私の切り札じゃありませんから」
お嬢様は、ジーノリウス様から魔法を習い始めました。
ついでに私も、ジーノリウス様に魔法を教わっています。
おかげで強力な魔法も覚えることが出来ました。
今はその新しい魔法が、私の切り札です。
「執事長から聞いたよ。
おかげで『闇の鯉』の通り名が付いたみたいだね?」
大公国が建国されて以降、奥様を狙う輩も急増しています。
黒い鯉の魔法でそれらを始末していたら、そう呼ばれるようになっていました。
「遠距離なら、鏢よりもあの魔法の方がずっと強力だからね」
メルヴィンの言うように、黒い鯉の方が鏢よりずっと強力です。
高速で宙を泳ぐ鯉は、私の意思で自由に動かせます。
鏢以上に変幻自在です。
そして、光を一切反射しない闇を固めたような私の鯉は、触れたもの全てを消滅させることが出来ます。
鎧を着た敵だって簡単に風穴を開けられますから、殺傷力も鏢より遙かに上です。
「もう鏢を練習する必要も無いね……」
メルヴィンの笑顔は、寂しそうでした。
幼い頃から今までずっと、メルヴィンは鏢の修練に付き合ってくれました。
王都の外で修練したときは、帰りに二人でよく食事もしました。
楽しかったですが、それももう終わりです……。
「立ち止まってはいられないのです……。
どうしても、もっと強くならなくてはなりませんから。
ですから、もっと努力しなくては」
これまでは、デミさんを目標に頑張って来ました。
でも、もっと高い目標が出来てしまいました。
ジーノリウス様です。
ジーノリウス様は、強かったです。
今まで一番強いと思っていた執事長やメイド長、デミさんよりもずっと強かったです。
奥の手まで全て駆使して、持てる力の全てを尽くしても簡単に遇われてしまいました。
ジーノリウス様より、強くならなくてはなりません。
主君より弱い護衛なんて、存在価値がありません。
それに私は、奥様を危険な目に遭わせてしまいました。
私の力不足が原因です。
全てを圧倒するだけの力が私にあれば、あれほど危険な状況にはなりませんでした。
もう二度と、あんなものを経験したくありません。
奥様をお守り出来ないかもしれないという恐怖も、無力さを痛感させられる悔しさも。
何としても、私は強くならなくてはなりません。
だから、どんなに寂しくても、もう鏢には頼りません。
「君は、頑張っているよ」
そう言ってメルヴィンは、私の頭をぽんぽんと叩きます。
私はあんまり身長が伸びませんでしたが、メルヴィンはぐんぐんと背を伸ばしました。
今では相当な身長差です。
私よりもずっと高いところから、私よりもずっと大きな手で、メルヴィンは私の頭を叩きます。
胸が詰まるような、変な気分になります。
でも、悪い気分ではありません。
「あの黒い鯉だって、今は五匹同時に操れるだろう?
鯉の速さも精確さも、最近は驚くほど向上してるよ。
武技だってそうだよ。
ここ最近、位置取りは目に見えて良くなったし、技の繋ぎにも隙が少なくなったよ」
やっばり、メルヴィンは私をよく分かっています。
彼が教えてくれたのは、暗器術だけではありません。
鏢の修練が終わった後にする家伝武功の修練も、幼い頃からずっと付き合ってくれました。
どうすれば私はもっと強くなれるのかを、幼い頃からずっと一緒に考えてくれました。
私の技を、戦い方を、一番よく分かっているのは彼です。
それに彼は、戦闘に対する理解が私よりもずっと深いです。
アドバイスはいつも的確でした。
画期的な改善案には、度々驚かされました。
そのおかげで、私は成長出来ました。
今の私があるのは、彼のおかげです。
「本当に頑張っていると思うし……そんな君は……とても輝いて見えるよ?」
「な、何を突然……」
不意討ちのように私を褒めるのは、相変わらずです。
頬が熱くなるのを感じます。
「どうしたのさ?
教会をそんなにじっと見詰めて」
小さな教会を通り過ぎるとき、私の視線に気付いたメルヴィンはそう尋ねます。
「もうすぐここで結婚式があるんだなって、思って。
入口の扉が飾り付けられているし、さっきリボンで結ばれた花を大量に中に運んでいましたよね?
あれは結婚式の準備なんです。
貧民街にいた頃、この教会はときどき来ていましたから。
それを思い出していたんです」
「え?
ときどき教会に行ってたの?
君って、そんなに信心深かったっけ?」
「お祈りに来ていたわけではありません。
この教会は小さいですけど雰囲気が良いから、平民がよく結婚式を挙げるんです。
平民の結婚式は、式の後に教会の入口でお菓子を配りますから。
そのお菓子が目当てでした」
貧民街の浮浪児がお菓子を食べられるのなんて、結婚式に参加したときだけです。
臭い、汚いと言われて追い出されないように、教会が準備を始めると川で体と服を洗って結婚式を心待ちにしていました。
お菓子が待ち遠しくて、この教会の結婚式の前はいつもうきうきしていました。
「思い出しますね。
薄汚れた服しか着たことがない当時の私には、汚れ一つ無い純白のドレスの花嫁は、びっくりするぐらいに綺麗に見えました。
本当に、別世界の人だって思えるぐらいに綺麗でした……」
「今の君は貴族令嬢なんだから、もっとずっと綺麗なドレスを着られるよ」
「結婚するつもりはありません。
私は生涯、奥様にお仕えしたいですから」
結婚をすれば、出産が待っています。
少なくとも妊娠中は、専属使用人の座を誰かに譲らなくてはなりません。
一度他の人に譲り渡してしまえば、出産後にまた奥様にお仕え出来るかは分かりません。
「君は優秀だから、出産を終えたらまた専属使用人に戻れると思うけどな」
「同年代では私が一番強いかもしれませんけど、家門全体で見れば私より強い人が何人もいます」
執事長、メイド長、デミさん……強くなればなるほど、あの人たちの桁違いの強さが分かります。
護衛以外の仕事だって、私よりずっと出来ます。
そういう人たちに、奥様付き専属使用人の座を奪われてしまうかもしれません。
「でも……僕は、花嫁衣装を着た君を見てみたいけどな。
きっと驚くぐらいに綺麗で、僕は君から目が離せなくなると思う」
「だから……何で唐突にそんなことを……」
12/8に発売される3巻の特典情報です。
ゲーマーズ様で購入されると特典SSが付きます。
SSの内容は以下の通りです。
■タイトル:『アナとジーノの子育て奮闘記』
■あらすじ
普段は王都にいるアナのお父様とお母様が、セブンズワース領で暮らすアナたちの許を訪れます。
二人は以前よりずっと、頻繁に領地を訪れるようになりました。
アナとジーノの子供たち、つまり孫が目当てです。
「おばあしゃま、ごいっしょにお歌を歌いたいでしゅわ」
遊びに来た祖父母に、下の双子の姉妹は遊んでほしいとせがみます。
祖父母の二人は、だらしない笑顔になってしまいます。
そこで、いたずらっ子の長男君がトラブルを起こします。
その対応で、ジーノとアナがお互いへの深い愛情を見せます。
三児の親となっても変わらず、アナとジーノは砂糖を吐きそうな関係でした。





