号泣と捜索 (アナスタシア視点)
ケイト様とお会いした帰りの馬車の中で、わたくしは涙が止まりませんでした。
笑い話にして下さったからこそ、これまで何とか泣き崩れずに保っていられたのです。
もうわたくしへの想いなど残されていないと思っていたのに、ジーノ様はまだわたくしをお想い下さっていたのです。
そして、わたくしのために泥を被られ貴族位まで失われたのです。
涙を堪えるなんて到底不可能でした。
そういえば、ジーノ様は以前第一王子殿下についてわたくしにお尋ねになっていました。
思えば、ジーノ様が変わられたのはあの日からです。
第一王子殿下に対するわたくしの発言は、社交辞令の範囲を超えるものではありませんでした。
あの発言でジーノ様がご立腹になるとは考えにくく、今まで問題があるものとは考えていませんでした。
ですが、縁談の話をジーノ様がご存知なのでしたら話は別です。
第一王子殿下とわたくしとの縁談を良縁だと、ジーノ様が誤解されてもおかしくはありません。
今更ながら、迂闊な発言をしてしまった愚かさを後悔します。
家に帰り、着替えることもせずそのままお母様の元へと向かいます。
ケイト様のところから泣いて帰り、お母様に抱き着いた途端子供のように大声を上げて泣き出したので、お母様は大層驚かれます。
お母様はわたくしの肩を抱いて下さり、涙で声を詰まらせながらの辿々しいわたくしのお話を根気よくお聞き下さいます。
わたくしがお話を続けているとお母様はだんだん目が三角になり、使用人にお父様を呼ぶよう言い付けます。
お父様がいらっしゃったので、もう一度ご説明します。
「では、小僧が婚約を破棄したのは奴の浮気が理由ではなく、儂から両殿下との婚約の話を聞いたから、ということなのか!?」
お父様は呆然とされています。
「あなた?
第一王子殿下と王太子殿下から婚約の打診があったことは、わたくしもお聞きしております。
でも、病気が治ったら婚約を結ぶなんて話、わたくし一切お聞きしていませんわ?」
お母様が青筋を立てながらにっこりと笑われます。
「いや、しかしだな。
まさか治療薬を開発するだなんて、思ってもみなくてだな」
お父様のお顔からは焦燥がありありと見て取れます。
「たとえ治療薬の開発に成功するとは思わなかったとしても、ジーノさんがアナの治療法を求めて旧世界の遺跡に行ったことは、あなたもご存知でしょう?
アナを治そうと頑張っている人に対して、一体何を考えて、やる気を削ぐようなことを言われたのかしら?」
お母様は一層深い笑みを浮かべられます。
お父様の言い訳がお気に召さなかったようです。
「いや、あの」
「およそこの国の宰相とは思えないあなたの迂闊な一言のために、アナがどれほど苦しんだのか、あなたもよーくご存知でしょう?
後でゆっっっくりとお話ししましょうね?」
お母様は、優雅な笑みと青筋を一緒に浮かべられてそう仰います。
お父様は真っ青で、お顔は引き攣っておいでです。
「それで、アナはこれからどうしたいのかしら?」
「ジーノ様が、わたくしのために周囲からの嘲笑をお受けになって、わたくしのために貴族位を失い平民に落ちるなんて、とても耐えられません。
ジーノ様のご身分を回復させ、ジーノ様の名誉を挽回することに尽力したく思いますわ」
「それは心配いらないわ。
当家なら問題なく出来るもの。
そのことではなくて、ジーノリウスさんのことはどう想っているの?
あんなことがあって、やっぱり赦せない?」
「……病気が治ってから、本当に治療出来たのかの確認のために何人もの宮廷魔道士の方々がいらっしゃいました。
わたくしをご覧になった魔道士の皆様は、一様に奇跡だと驚かれていました。
魔道士の皆様は、ジーノ様の論文は現在の魔法学の数百年先を行く驚くべき理論だとも仰っていました。
そのとき、わたくしは思いましたの。
本来なら数百年先に発明されるはずだった治療薬を、ジーノ様はわたくしのために今ご用意下さったのだって。
わたくしのために奇跡を起こして下さったんだって、そう思いましたの……
そう思ったら……涙が止まりませんでしたの」
言葉が止まってしまいます。
涙が止まらない状況で、更に当時の気持ちを想い出してしまい感極まってお声が出なくなってしまったのです。
お母様はお話の続きを催促するでもなく、お優しい目で静かにお待ちになって下さいます。
「……わ、わたくしは、今も変わらずジーノ様と結ばれたく思います……
わたくしのために奇跡を起こして下さる方も、わたくしのために全てをお捨てになる方も、他にはいらっしゃいません……
お会い出来たことが奇跡のような……本当に、本当に、素敵な方です
……もう、ジーノ様以外は考えられません」
涙で言葉を詰まらせながらですが、お話を続けます。
何とか申し上げたいことはお伝え出来ました。
「そうね。あんな人、他にいないでしょうね。
アナ、手放しては絶対に駄目よ」
お母様が再婚約をお認め下さったので、あとはジーノ様をお捜しして、もう一度縁談を調えるだけです。
嬉しくてますます涙が零れてしまいます。
ジーノ様とお茶会やお庭の散策をご一緒して、他愛もない、ですがとても楽しいお喋りがまた出来るのです。
穏やかで何気ない日常がどれほど大切なものだったのか、今なら痛いほど分かります。
◆◆◆◆◆
セブンズワース家は総力を挙げてジーノ様をお捜ししていますが、捜索は難航しています。
目撃情報をまとめてみると早馬でも辿り着かないような距離を一晩で移動したことになるなど矛盾も出てしまい、情報も錯綜しました。
王都でジーノ様を見失った隠密三人の方からも直接お話をお聞きしましたが、ふいと路地裏に入ったので追い掛けたら姿はなく煙のように消えていたというのです。
隠れるような場所はなく、移動したとしても目視出来る範囲にいないとおかしい、という状況だったそうです。
東方には、忽然と姿を消す技を使うニンジャーという集団がいるそうです。
見失うということは考えられない状況で消えたため、ジーノ様はニンジャーの技を使うのではないかと隠密衆の方々は推測していました。
忽然と消える技は、ニンジャーでも上位に位置するハイクラスニンジャーでないと使えない難しい技だそうです。
もしジーノ様がハイクラスニンジャーなら隠遁術の手練ということであり、セブンズワースの隠密衆でも移動の痕跡を追うのは困難とのことでした。
目撃証言の矛盾も、隠遁術の手練の技だろうと隠密の皆様は推測していました。
どうやらそう簡単には見つかりそうにないようです。
その報告をお聞きして、わたくしは落ち込みました。
◆◆◆◆◆
学園を卒業し成人したので、いよいよ社交界デビューです。
ジーノ様が未だ見つからないので、エスコートはお父様にお願いしました。
お父様は、わたくしの社交界デビューをエスコートするのが夢だったらしく上機嫌でした。
ですが、誰のせいでこうなったのかとお母様からお叱りを受け、しゅんとしていらっしゃいました。
デビューということで簡素な形式の夜会をお父様とお母様はお選び下さいました。
これなら細かいマナーがないので多少失敗しても大丈夫です。
簡素な形式なので紹介されてから入場するのではなく、着いた人たちからめいめいに入場する形式でした。
社交界デビューに際しては母親から花冠を贈られ、それで髪を飾るのが伝統です。
わたくしが花冠を頭に載せてお父様のエスコートで入場すると、会場は響めきました。
筆頭公爵家の当主ということでお父様のお顔は皆様もご存知なのでしょう。
ですが、お父様がエスコートする『花冠の乙女』に思い当たる人物がいないのだと思います。
それでも髪色や瞳の色、私の年齢等のヒントから『花冠の乙女』がわたくしであると見当を付ける方もいらっしゃいます。
そういう方は、目を皿のように大きく開けられてわたくしをご覧になっていました。
お父様と初舞踏を踊り、しばらくお父様とお話しした後、お父様はお仕事の話をするために男性たちの集まりの場へと向かわれました。
一人取り残されるわたくしは、いつもならここで壁の花となります。
ですが、その日は多くの男性が私の元へと集まって来られました。
皆がわたくしをダンスにお誘い下さり、中にはデートのお誘いまでされる方もいらっしゃいました。
過去にわたくしとの縁談があった方々からもお声を掛けて頂きました。
縁談ではわたくしへの不満を隠そうともしなかった方々が、今日はわたくしの美貌をお褒めになり、ダンスや観劇にお誘いして下さいます。
ですが、あまり嬉しくはありません。
縁談時に「ブスが喋るな」「気持ち悪いから近付くな」等とわたくしに仰った方々から急に猫撫で声でデートにお誘い頂いても、その手のひら返しを気持ち悪く感じてしまったのです。
デートにお誘い下さった方々には、婚約中の方も多くいらっしゃいました。
婚約破棄される苦しみを知るわたくしとしては、軽蔑しか出来ませんでした。
全身瘤だらけだった頃、挨拶以外でわたくしにお声を掛けて下さる男性はいらっしゃいませんでした。
あの頃のわたくしは、パーティでは息を潜めるように壁際に立ち、お美しいご令嬢が男性に囲まれて華やかに笑われるお姿を一人遠くから眺めていました。
そのときのわたくしは、男性に囲まれ楽しそうなご様子の令嬢を羨ましく思っていました。
ですが、実際に自分が似たような状況に置かれると、煩わしいというのが本音でした。
もし心に決めたお相手がいないなら、選り取り見取りのこの状況を喜べたのかもしれません。
しかしジーノ様という心に決めた方がいるわたくしは、どなたからお誘いを受けたとしてもお断りするしかありません。
お誘いを受けてはお断りするということの繰り返しは、生産性のない無意味な作業のように思えました。
「ああ。
女神のような美しさだ。
あなたに歌を捧げる栄誉を、この私にお許し頂きたい」
「せっかくですがご遠慮させて頂きますわ。
身に余る光栄ですもの」
社交辞令を使って事務的に返答しているときに気付きます。
わたくしは、皆様に「美しい」とお褒め頂きたいのではなかったのです。
ジーノ様に「可愛い」とお褒め頂きたかったのです。
「可愛い」と仰るジーノ様の低いお声を、またお聞きしたいです。
ジーノ様は、今頃何をされていらっしゃるのでしょうか……。
話し掛けて下さった沢山の男性とお話しして思ったのは、どの男性も自慢話が多く子供っぽいということです。
ジーノ様なんて、セブンズワースの隠密衆からも逃げ遂せる程の逃走術をお持ちなのに、一言もわたくしにご自慢して下さいません。
国内随一と謳われる当家の隠密衆が絶賛するくらい高度な技術なのです。
わたくしに自慢されてお教え下さればよかったのに……。
頼りないわたくしですので、お悩みをご相談下さらないのは仕方ありません。
でも、ご自慢くらいはして下さってもいいと思いますの。
お教え頂けないのは寂しいです。
自慢話以外にも、同年代の男性の皆様は物の見方や考え方が感情的、独善的、狭窄的であり、やはり子供っぽいという印象でした。
ときにお父様よりもお歳を召した方のように感じるほど深い包容力をお持ちのジーノ様は、やはり特別な方です。
多くの男性とお話をし、やはりジーノ様以外考えられないと改めて思いました。
わたくしは考え込んでしまいました。
わたくしが顔中瘤だらけだった頃、あの方々はわたくしに冷淡な態度を取っていらっしゃいました。
それが今は、好意を全面に押し出したような態度へと変わりました。
では、ジーノ様はどうでしょうか。
顔中瘤だらけのわたくしをジーノ様は可愛いと仰って下さり、醜いわたくしに好意をお示し下さいました。
容姿が変わり、多くの男性がわたくしへの態度を変えられたのです。
ジーノ様もまた男性であり、わたくしへの態度を変えられるのではないでしょうか。
恐ろしくなってしまいました。
以前の容姿でしたら、ジーノ様が可愛いと褒めて下さったのですから大丈夫でしょう。
きっと、また「可愛い」とお褒め下さいます。
でも、今の容姿はどうでしょう。
わたくしを目にされたジーノ様がもし落胆されたら……。
学園卒業前の約一ヶ月間、ジーノ様はわたくしに視線を向けて下さいませんでした。
わたくしへのご興味を失くされ、冷たく無関心になってしまわれたジーノ様は、ああなってしまわれるのでしょうか。
想像すると体が震えます。
そうですわ。
確か容姿を変える医術があったはずですわ。
早速主治医の先生をお呼びしてご相談しましょう。
◆◆◆◆◆
わたくしの呼び出しに応じて主治医のスザンナ先生がお越し下さいました。
「スザンナ先生。お伺いしたいことがありますの」
「ええ。何でもお聞き下さい。
私で分かることでしたら、全てお答えしますよ」
「わたくし、病気が完治しましてお顔から瘤が消えましたの」
「ええ。そうですね。
おめでとうございます」
「それでご相談なのですが、瘤をもう一度作ることは出来ますか?」
「……あの……今なんと?」
スザンナ先生は、わたくしに尋ねられます。
「わたくし、瘤をもう一度作って元のお顔に戻したいと思っておりますの。
先生の医術でそれは可能でしょうか?」
「…………」
スザンナ先生は、目を丸くされお口を開けられたまま何も仰いません。
横を見れば、ブリジットもまた目を皿のようにしてわたくしを見ていました。
「スザンナ先生?」
「……え? あ、ええ。
もちろん可能ですよ。
瘤を取ることは難しいのですが、作るのは簡単です。
皮膚の下に針で液体を入れるだけですから」
「まあ。出来るのですね?
それでは、肌の一部を元の緑色に戻すことは可能でしょうか?」
「…………」
「あの、先生?」
「……え、ええ。出来ますよ。
入れ墨を入れるだけでいいのですから」
「まあ、素晴らしいですわ。
では、早速お願いしたいですわ」
「お、お、お、お待ち下さいお嬢様!」
慌てた様子でブリジットが声を掛けてきます。
「あら? 何かしら?」
「そのようなことは一度、旦那様と奥様に相談された方がいいと思います。
そうですよね? スザンナ先生?」
「え、ええ。
もちろん施術には、公爵と公爵夫人の許可があった方がいいですね」
「まあ。それでは早速、お父様とお母様に許可を取ってまいりますわ」
そうですわね。
お母様は、わたくしを綺麗に産めなかったことを後悔していらしたんですもの。
今度はわたくしの意思で容姿を変えるのですから、お母様がお気になさる必要は何一つないことをはっきりさせておかなくてはなりませんわね。
「それで、わたくしのところに来たわけね」
お母様がそう仰り、深いため息を吐かれます。
「ねえアナ。
医術で容姿を変えることはいつでも出来るわ。
だから、どちらがいいかはジーノさんに選んでもらうというのはどうかしら?」
「まあ。
さすがお母様ですわ。
そうですわね。
ジーノ様のために容姿を変えるのですから、ジーノ様にお選び頂くのが最良ですわね」
お母様のご意見に従い、ジーノ様のご意向に合わせることに決めます。
わたくしの言葉をお聞きになって、お母様は深いため息を吐かれます。
それにしても、あれほど嫌っていた瘤だらけの顔に戻りたく思うなんて、世の中分かりませんわね。
ですが、今のわたくしにとって最も重要なのはジーノ様と復縁することです。
パーティで男性に囲まれるという憧れだったことも経験し、それが思ったほど楽しいものでなく、むしろ煩わしいものだということも分かりました。
もう元のわたくしに戻っても構いません。
◆◆◆◆◆
ジーノ様が姿を消されてからもう3ヶ月経ちますが、未だにジーノ様が見つかりません。
いかに優れた逃走術をお持ちだとしても、人間である以上生活しなくてはならず、その生活の痕跡はなかなか消せるものではないと隠密の方々は仰っていました。
貴族が平民に紛れて生活することは容易なことではありません。
生きるために生活の糧が必要になるからです。
平民に落ちた男性貴族の大半は、生活の糧が得られず路上生活を送ることになるそうです。
ですがジーノ様の場合は、商会を経営された経歴をお持ちです。
商人として生活されていることも考えられます。
そこで隠密衆の方々は、路上であぶれている方、最近商会に雇われた方や最近商会を起こした方、手持ち資金で生活していることも考え働いていないのに生活が出来ている方を対象として、他国にまで手を広げて捜索しているそうです。
ですが、未だにジーノ様らしき方の情報は得られていません。
こういう場合、既に亡くなられているか、他国や別の貴族に囚われている可能性が高いと教えられ、わたくしは不安で胸がいっぱいになり泣いてしまいました。
わたくしには祈ることくらいしか出来ないので、毎日教会に行きご無事をお祈りしています。





