176、大輝
「なぁ、大輝君ってさ。彼女とかいたことある?」
体育祭の種目決めをした日の放課後、井坂君が私の席の横に腰かけて訊いてきた。
私は急に大輝の話が出たことを不思議に思いながらも、正直に答える。
「中学の時からモテてはいたけど、付き合ったって話は聞いた事ないよ。」
「ふぅん。じゃあ、好きな人の話とかは?」
「……??好きな人どころか、中学の時は女子ウゼーってずっと言ってたけど。」
「………。」
ここで井坂君が渋い顔をして黙ってしまって、私は一体なんなのか気になって尋ねた。
「なんで急に大輝の話なの?大輝の交友関係なんて、私たちには関係ないでしょ?」
「いや!!だって…仮にも俺らの弟なわけだろ?そろそろ好きな人でもできないと将来が心配でさ~。」
俺らの弟…
井坂君の何気ない言葉に、私は井坂君の中で大輝が自分の弟のようになってることにキュンとしてしまった。
単純だけどカンナさんの事を忘れて、井坂君に飛び込んでいきたくなる。
ダメダメ…
まだカンナさんのことを井坂君のタダの幼馴染だって思えてないんだから、きっちり気持ちの整理をつけないと…
私はコホンと咳払いして落ち着くと、鞄を持って立ち上がった。
「大輝はそういうお節介大嫌いだから、私たちが心配した所で何も変わらないと思うよ?」
「う~~ん…。そうなんだけどさぁ…。」
井坂君はまた渋い顔で唸っていて、私はここまで大輝のことを気にするなんて珍しいななんて思った。
「詩織、今日は予備校?」
「うん。六時半からかな。」
「そっか…。ちなみに大輝君は今日何してる?」
???また大輝?
「大輝はいつも通りならバスケ部じゃない?いつも私より先に家には帰ってるけど。」
「そうか!バスケ部だったよな!!」
井坂君はここで嬉しそうに笑うと頷きながら教室を出ようと歩いて行く。
私はいつものように皆に「また明日。」と言ってから井坂君の後を追いかけると、井坂君が大輝ばかり気にする理由が分からなくて首を傾げた。
大輝に一体何の用なんだろう?
私はどこか上機嫌な井坂君の背を見つめて、考えても分からないので大輝のことは一旦置いておくことにしたのだった。
***
そうして予備校までの道をいつものように井坂君と過ごしてから、私は駅前の予備校の教室へ足を踏み入れた。
中に入ると文化祭以降見かける事のなかった僚介君が窓際に座っていて、私は「僚介君。」と声をかけかけて口を噤んだ。
そうだ…名前呼びはダメだって言われたんだった…
私はナナコに注意されたことを思い返して、寺崎君に近付くと隣に座りながら声をかけた。
「て、寺崎君。久しぶり。」
私が声をかけたことでウォークマンで音楽を聴いていた寺崎君が、耳のイヤホンを外しながらこっちに顔を向ける。
そして私だと認識したのか大きく目を見開くと「詩織!?」と声を張り上げた。
「文化祭以来だね。予備校来てなかったけど、忙しかった?」
「いや…忙しいっつうか…学校の講習受けてたから…。っていうか、今寺崎君って言った?」
「え??…だって…寺崎君でしょ?」
急に呼び方を変えた事が寺崎君にとって物凄く驚きのことだったようで、少し頬をヒクつかせながら「そりゃ、寺崎だけどさ…。」と困惑しているように見える。
私はその反応をあまり気にしないように、あくまで以前からこういう呼び方だったと思い込み、普通に話を続けることにする。
「寺崎君も大変だね。学校の講習に予備校の往復なんてさ。きっと勉強ばかりで遊んでないよね?」
「まぁ…。受験生だから遊んではいられないのは当たり前じゃないか?」
「あはは。そういえばそうだね。ここのところ学校もイベントのことばかりだから、当たり前のことが抜けてたよ。」
「詩織の学校、なんか文化祭だー体育祭だーってイベント目白押しだもんな。」
「あはは。まぁ、そこがウチの高校の楽しい所なんだけど。」
寺崎君はいつの間にか少し目を逸らして口を噤んでいて、いつものように明るく話を続けてくれなくて微妙な沈黙に突入してしまった。
なんだか気まずい…
私はこんなギスギスした空気だっただろうか…と思いながら、あまりの息苦しさに座ったばかりの席を立つ。
「っと…、授業の前にお手洗い行ってくるね。」
私は不自然にならないように笑顔でそう告げると早足で教室を出て、廊下で細く息を吐いた。
寺崎君…少し様子変だったな…
やっぱり呼び方変えたからかな…?
私はナナコに言われた名字呼びがここまで効果があると思わなくて、どこか胸の奥がモヤモヤした。
でも、こうしないといけないよね…
私はまた文化祭のようなことにならないためにも、友達としての距離間を作ろう!とわだかまりは気にしないことにした。
そして、廊下を歩きながら寺崎君に文化祭のときのことを尋ねそびれたことに気づいて、私はナナコの怒った顔を思い出して身震いした。
でも、もう一度寺崎君に話しかけて気まずい思いをしたくなかったのもあって、私は文化祭の事は流すことにした。
まぁ、きっと深い意味なんかないよね…
私はそう思い大きく息を吸うと、気持ちを切り替える。
それからは授業が始まるギリギリに教室へ戻ることにして、その日は寺崎君とは正反対の席で授業を受けたのだった。
***
予備校が終わり――――私は寺崎君と顔を合わせないように足早に家へと帰った。
離れた席から寺崎君の様子を見ていたけど、彼はいつも通りだった。
私が隣にいなければ、席の離れた私にわざわざ話しかけてはこない。
やっぱりこれぐらいの距離間が普通なんだ
私は忠告してくれたナナコたちに感謝しながら、今後もそうしようと決めた。
そして、早足で帰ってきたことで上がっていた息を整えながら玄関の扉を開けると、今帰ってきたところだったのか大輝が靴を脱いでいて、私は「ただいま。」と声をかけた。
いつもはもっと早いのに珍しいな…
「あー…姉貴。おかえり。」
大輝は部活の疲れか瞼が落ちていて、だるそうに立ち上がった。
「大輝、今日は遅かったんだね。部活ハードだった?」
「んー…?いや…部活はいつも通りだったんだけどさ。帰りに井坂さんとその友達に捕まって…。」
「井坂君!?なんで!?」
私は一緒に帰ったはずの井坂君が学校に舞い戻っていたことに驚いた。
「そんなの俺が聞きたいんだけど…。帰り道、聞きたい事があるって質問攻めで、公園に連れ込まれたんだからさ。」
「聞きたい事って…一体何を聞かれたの?」
「うん?なんか、好きなタイプはとか、ちょっとでも良いと思った子は今までいなかったのかとか聞かれたかな…。井坂さん、急にどうしたわけ?」
大輝が私に不思議そうな顔を向けてきて、私こそ聞きたかったので首を横に振った。
「分からない…。放課後、やたらと大輝のこと気にしてるな…とは思ったけど…。」
「ふーん…。まぁ、いいけどさ。あんまそういう女子関連のことで俺んとこ来るのやめてくれって井坂さんに言っといてくれよ。恋愛なんて興味もねぇのに考えただけで疲れるんだからさぁ…。」
大輝は大きく欠伸をしながら伸びをするとリビングに向かっていく。
私はその背に「ごめん。」と井坂君の代わりに謝ると、その場で井坂君の謎行動を考えて立ち尽くしたのだった。
***
そして次の日の朝、私がまた大輝より先に家を出て、井坂君との待ち合わせ場所に到着すると、井坂君が私の背後に目を向けながら言った。
「おはよ。詩織。大輝君は?」
また大輝……
私はさすがにイラッとすると、井坂君からプイッと顔を背けて先に学校に足を踏みだした。
「おはよ。大輝はまだ家だよ。そんなに大輝と一緒がいいなら待ってれば。」
「え?何言ってんだよ。なんで俺が大輝君を…。」
井坂君は焦りながら私の後を追いかけて並んでくる。
「昨日、大輝と何か話をしたんでしょ?私と別れた後に。大輝から聞いたんだから。」
「あー…、その話か…。あれは赤井が直接大輝君と話がしたいって言うからさ…。」
「赤井君?なんで赤井君が出てくるの?」
私は赤井君まで一緒だとは思わなくて、何の話だと驚いた。
「や…、だから昨日は赤井が大輝君と話したかったみたいで…。」
「なんで赤井君が大輝と話をしたいの?そんなに接点もなかったよね?」
「そうなんだけどさ…。」
ここで井坂君は気まずそうに前に目を向けてしまい、私は何かを隠されてると気づいて苛立ちが募った。
「昨日、大輝怒ってたよ。好きな人いるのかとか聞きに来ないで欲しいって。井坂君にやめるように言うように頼まれたんだから。」
「え…。あー……、やっぱ昨日質問攻めし過ぎたよな…。大輝君、途中からうんざりした顔してたし…。悪い事したなぁ…。」
「そう思うなら大輝に謝っておいてね。私、昨日ちゃんと忠告しておいたのに。」
井坂君は私が怒ってるのを空気で感じ取ったのか、「詩織もごめんな。」と謝ってきて、私は怒りを収めなきゃいけなくなる。
なんで大輝のことばっかり…
何があったのか知らないけど、私にはきっと教えてくれないんだろうな
私は井坂君の隠し事に慣れてきて、はぁ…とため息をつくと肩を落とした。
すると井坂君は場を和ませようとしているのか、変な質問を投げかけてくる。
「し、詩織はさ。大輝君と仲良いよな?」
「え?」
「だって、俺が大輝君に会った事、知ってたし…それにクラスにも大輝君よく会いに来てるし…。」
「まぁ、姉弟だったら顔合わせれば今日何があったかぐらい話するし、クラスに来るのは用事があるからでしょ?」
「そうだけど…。俺が初めて大輝君に会ったときとか…、大輝君、詩織の事守るようにずっと傍にいたから…。」
??初めて会ったとき…??
それって付き合い始めたばかりの大晦日の日のこと?
なんでそんな前の話を…
「あれはお母さんに言われてただけだから、大輝の本心じゃないと思うんだけど…。」
「でも、詩織のこと…ちょっとでも好きじゃなかったら、そんなの無視すると思うんだけど…。」
「好きって…、まぁ、姉弟で嫌いと思われてるよりはいいけど…。」
一体何が聞きたいんだろう…?
私が井坂君がどんな顔をしてるのか気になって、少し前に出ると井坂君の顔を覗き込んだ。
するとちょうどそのとき、後ろから大輝が追いついてきていたのか、井坂君の隣で「おはよーございまーす!」と井坂君にドンと体当たりしてから肩に腕をのせた。
それにビックリした井坂君が「大輝君!」と声を上げる。
「さっきから後ろで様子見てましたけど、俺にまで嫉妬ってどういうことっすか?」
「え?嫉妬?」
「ちっ、違うっ!!そんなんじゃ!!」
大輝の発言に井坂君が焦り始めて、大輝は楽しそうに笑ってから井坂君から腕を放した。
そして私たちの前に進むと振り返りながら言った。
「俺が昨日言った事、気にし過ぎですから。そういう意味じゃないってのは考えれば分かるでしょ?」
大輝が意味の分からない事を口にしていて、私は首を傾げた。
井坂君は何故かその言葉に照れてるのか頬が赤くて、大輝はそんな井坂君を満足そうに見てから「そんじゃお先!」と足早に学校へと向かって行ってしまった。
私はそれを見送ってから「何の話?」と井坂君に尋ねたけど、井坂君は「しばらくほっといて…。」と手で顔を隠してしまって、男同士の会話に疎外感を感じたのだった。
***
それからはその日の授業をこなし、井坂君の変な様子が気になりつつもお昼休みを迎えた。
いつものように女子メンバーでお昼を食べて雑談していると、教室の入り口から最近では聞き慣れた「シュンちゃーん。タクちゃーん。」というカンナさんの声が聞こえて、目が自然とそっちを向く。
気にし過ぎはダメだと思うものの、まだまだ気持ちの整理がついていなくて、モヤモヤムカムカと気分が悪くなる。
それはあゆちゃんもなのか眉間に皺がギュッと寄って、今にも怒鳴り出しそうな雰囲気が充満していく。
私はいつもだったらあゆちゃんを宥めるところなんだけど、気持ちが痛いほど分かるだけに口からついカンナさんの悪口が飛び出してしまう。
「再会してからクラスに来すぎだよね…。」
「詩織も思ってた!?そうだよね!!自分のクラスに友達いないんじゃないの!?」
「そういえば…大輝がカンナさんのこと仕切り屋だとか言って、あんまり好きじゃないみたいだった。」
「やっぱり?なんか、空気読めない女子ってオーラ出てるもんね~!」
私はこんな悪口を言うなんていけないと思いながらも、不満が溜まっていたのでついあゆちゃんに同意してしまう。
すると、あゆちゃん以外のメンバーの顔が強張ったのが見えた瞬間、背後から「ふ~ん。」という低い声が聞こえて慌てて振り返った。
「今の話、カンナのことだよな?」
私の後ろに赤井君と井坂君が怖い顔をして立っていて、私は話を聞かれてしまったことに血の気が引いた。
それはあゆちゃんも同じのようで「赤井…。」と顔を強張らせて声を震わせる。
「カンナのこと、よく知りもしないで陰口なんて醜いな。お前らのこと、そんな奴だとは思わなかった。」
赤井君の冷たい突き放すような言葉に、あゆちゃんは泣きそうな顔をして俯いてしまって、私は何も言わない井坂君をじっと見つめた。
井坂君は目が合った瞬間、サッと目を逸らすと「正直、幻滅した。」と呟いて、私はその言葉にショックを受けてじわ…と目頭が熱くなってきてグッと堪えた。
泣いちゃダメだ…
それだけのことを言ってしまったんだから、今更弁解なんかできない
「自分らがどんだけ偉いのか知らねーけど、カンナのこと悪く言うなら許さねーから。ちゃんと反省するまで、お前らとは口きかねー。」
赤井君はそう吐き捨てると「井坂、行くぞ。」と声をかけて背を向けて歩いて行ってしまう。
井坂君はそれについて行こうと背を向けると、一瞬足を止めて私に振り返り言った。
「詩織。さっき口にした事、もし自分が言われる側だったならって考えてくれよ。」
井坂君はそれだけ言い残すと赤井君を追いかけていって、私は井坂君が見えなくなった途端我慢していた涙が零れた。
私だってあんなこと口にしたくなかった…
でも、井坂君に可愛がられてるカンナさんを目にしたら、言わずにはいられなかった
カンナさんは井坂君の大事な幼馴染…
私の知らない井坂君の小さかった頃を知っている女の子
私は二人の思い出に入ることは一生できない
私は井坂君に突き放されて、自分が何に対して嫉妬していたのかハッキリと分かったのだった。
大輝と井坂の絡みが好きなので、今後もちょろちょろ出てくるかも…です。
次は小波あゆみ視点になります。




