151、快感
二年生が修学旅行に行ってしまって静まり返った二階の廊下で、私はあゆちゃんと二人でいた。
なぜこんな所に二人でいるかというと、私はあることをあゆちゃんに相談したかったからだ。
「あ、あのね。こんなこと相談するのも恥ずかしいんだけど…。その何て言うか…私、変なの!!」
「ん?変ってどういうこと?」
あゆちゃんは窓を背にしてもたれかかると、腕を組んでキュッと眉を吊り上げた。
私は昨日の事を思い出して、じわじわと胸にくすぐったいような変な感覚が広がる。
「な、なんか…こう、井坂君の嫌がってるような顔が見たいっていうか…。」
私は初めて見た井坂君の苦しげなのに気持ちよさそうに歪んだ表情を思い返して、頬が熱くなってくる。
腹筋を触ってたら胸板はどんな感じかな~と好奇心が湧いて、少し上に手を伸ばした。
そしたら、井坂君の表情が色っぽいものになって…聞こえた声にぞわっと鳥肌が立ってしまった。
あれから私はもう一回あの顔が見たいなんて思ってしまって、井坂君を見る度に触りたくなってしまっている。
もうこれは痴女を通り越して、ただの変態なんだけど…
誰かに相談しないと、井坂君に襲い掛かってしまいそうで、恥ずかしいけどあゆちゃんに相談することにした。
あゆちゃんは首を斜めに傾けると口を開く。
「嫌がってるような顔って…。様は嫌がらせをしたいってこと?」
「う~ん…。そういうんじゃないんだけど…。なんかこう…顔をクシャってさせてる顔っていうか…。どこか気持ちよさそうっていうか?」
私は説明しにくくて、首を傾げながら言った。
するとあゆちゃんが考え込んだあと、「それってえっちしてるときの顔?」と恥ずかしげもなく言って、私は思わず吹き出してしまった。
「ぶっ!!ちっ!!違うよ!!そっ、そんなの、全然してないからっ!!」
「あ、そうなんだ。てっきりそのときの顔かと思った。」
あゆちゃんは全く恥ずかしくないのかサラッと言ってのけて、私は春休みのときのことを思い出して、真っ赤な顔で目を何度も瞬かせる。
あ、あゆちゃんが大人に見える…
大声で否定してる私がバカみたいだ…
私は堂々としているあゆちゃんを見習おうと、コホンと咳払いするとあゆちゃんのいう顔が分からなくて尋ねた。
「そ、そういうときの顔って…、私が言ってるのに似てる…の??」
「ん?…そーだなー…。私は赤井のしか知らないけど、赤井は私からキスしたりすると詩織が言うみたいな顔することあるかな?」
「へぇ~…。赤井君が…。」
私はあゆちゃんから聞く話が新鮮で、思わず想像してしまいそうになって頭を振った。
「ま、井坂が赤井と同じ方法でそういう顔になるかは分からないけどさ。一回試してみれば?」
「た、試す?」
「うん。キス…したら顔見れないか…。じゃあ、耳とか首とかキスしてみて様子見てみたらいいと思うよ。」
「キス!?」
私はレベルの高そうな話に声が裏返った。
ぐわっと頭に血が上って、目の前がクラクラしてくる。
あゆちゃんは「井坂からされたことないの?」とケロッとした顔で言っていて、私は頷くことも否定することもできなかった。
「まぁ、キスが無理なら、触るだけでもいいんじゃない?耳とか首って案外弱いからさ。後は…そうだな…。お腹とか普段触らないようなところかな?」
お腹!?!?
私はまさにお腹を触ったときに、井坂君の顔が変わったのでドキッとして大きく目を見開いた。
あゆちゃんはそんな私の表情の変化に気づかずに、「まさか詩織からこんな相談されるなんて~。」と楽しそうに笑い出す。
井坂君の弱い所を触ったらあの顔になるってこと?
私はそれが分かって好奇心がムクムクと大きくなるのを感じた。
―――が、そこで私はここでこんな事を聞きたかったわけじゃない!と我に返った。
「ちっ、違う!こんな話じゃなくて!!私は井坂君をそんな顔にさせたがってる、自分のこの変な気持ちをなんとかしたくて、あゆちゃんに相談したんだよ!!」
「あ、そういうこと?詩織にしては珍しいこと聞くと思った~。」
あゆちゃんはあははっと手を叩きながら軽やかに笑って、私はふーっと長く息を吐いた。
「っていうかさ、その感情、別に消さなくてもいいんじゃない?」
「え?」
「井坂、そのとき嫌がってたわけじゃないんでしょ?」
「……うん。」
私は昨日のことを思い返して頷いた。
あのとき恥ずかしくて謝る私に、井坂君は照れ臭そうに笑って「俺が言ったんだし。」と流してくれた。
あれは…あの姿は嫌がってたものではない…
それだけは確かだ。
「だったら、欲望に忠実に!!彼氏、彼女なんだし。正直に心のままに行動すればいいと思うけどな。」
「…忠実…、正直??」
「そう!!詩織は控えめ過ぎるぐらいなんだから、たまにはガンガン押して井坂を困らせちゃえ!それぐらいの方が楽しいよ!」
「楽しいって……あゆちゃん。他人事だと思って…。」
「だって他人事だし?」
私が呆れると、あゆちゃんはサラッと言って、私は力が抜けるようだった。
そうだ…。あゆちゃんはこういう人だった…
私は「ま、頑張りなよ。」という明るいあゆちゃんを見て、あまり参考にならなかったけどお礼は口にしておいた。
するとあゆちゃんは私に背を向けると、廊下の窓をガラッと開けて外を見ながら言った。
「詩織…。進路のこと…井坂と相談した?」
「え…。進路…?」
私はさっきまでおちゃらけてたあゆちゃんが急に真面目な話をふったことに驚いて、返事がすぐに出なかった。
「えっと、…うん、一応。…井坂君、西皇に行くみたいで…。私、桐來を受ける事にしたよ。西皇と近くて、目指せる大学だから…。」
「……桐來か…。いいな…。詩織は桐來行ける頭あるもんね…。」
「あゆちゃん?」
私は外を見たまま張りのない声で言ったあゆちゃんが気になって、その場から動けなかった。
あゆちゃんは窓に手をつくと大きく前に伸びをしてから、振り返ってきて言った。
「赤井もね、桐來…受けるらしいんだ。私はそこまで頭も良くないから、同じとこは絶対無理なんだけどね。でも、今思うと…もっと一年の頃から勉強頑張っておけば…良かったかなって思って…。」
あゆちゃんは苦しそうに顔をしかめると俯いてしまって、私はどう言葉を返そうかと口を開けたり閉じたりして悩んだ。
あゆちゃんも私と同じようなことを考えてたんだ…
好きな人と同じところに行きたくて、でも学力の差に悩んで…苦しんでたんだ…
私はあゆちゃんの苦しさが他人事じゃなくて、胸が痛くなった。
するとあゆちゃんが大きく息を吸いこむと、明るく笑顔を浮かべて顔を上げてきた。
「ごめんっ、こんな暗いの私に似合わないよね!!大丈夫!桐來には行けないけど、近くの大学受験して頑張るから!赤井とは死んでも離れる気ないからさ!」
私はあゆちゃんが無理して笑ってるように見えて、思わずあゆちゃんの手を握って言った。
「あのね!!私も同じことでずっと悩んでたんだ!井坂君と同じ大学に行きたいんだけど、私の頭じゃ西皇は無理だから…。離れるのは嫌だーってバカみたいにそればっかりだった。」
私は気ばかりが焦っていた時期を思い返して、少しでもあゆちゃんの参考になればと思った。
「でもね、井坂君に言われたんだ。同じ大学じゃなくてもいいって。」
「え…?井坂が?」
あゆちゃんは意外だったのか目を丸くさせて、ギュッと私の手を握り返してきた。
私はその目をじっと見つめると「うん。」と頷いた。
「離れても…ずっと好きでいてくれるって、隣にいるって言ってくれて…。私、すごく安心したんだ。」
私はあのときの頼もしい井坂君を思い返して胸がほわんと温かくなった。
自然と表情も緩む。
「私、そのとき思った。お互いの気持ちがしっかりしていれば、こんなに気持ちが楽になるんだなって…。あ、離れるのは今でも寂しいし、嫌なんだけどね。だから、あゆちゃんも赤井君とキッチリ話をすれば大丈夫だと思うよ。」
私はきっと赤井君もあゆちゃんと離れたくないって思ってるに違いないと思った。
だから、あゆちゃんが焦り始めてる今、お互いの気持ちを絆をしっかりと確認した方がいい。
これから離れる事になるかもしれないなら、尚更だ。
「あゆちゃん。一人で考え込まずに、赤井君に自分の気持ち、話してみよう?」
私はあゆちゃんの背を押してあげたくて、優しく口にした。
するとあゆちゃんは少し眉を下げて笑うと、私の手を離してペシッと私の頭を叩いてきた。
「いつも自分の気持ち抱え込んでる詩織に言われると思わなかった。」
「え。」
私は鼻で笑って背を向けてしまうあゆちゃんに呆然と固まった。
励ましたつもりなのに、何でかバカにされてる…
どういうこと?
「詩織に言われなくても分かってるから!赤井と話さなきゃいけないことぐらい!詩織の相談聞いてたら、ちょっと自分も弱音を吐きたくなっただけ!詩織は偉そうに説教しなくていいの!!」
「え、…えぇ~??これはアドバイスする流れじゃないの~?」
いつも通り元気を取り戻したあゆちゃんに上から言われて、私は不満でいっぱいだった。
「詩織はアドバイスなんかしなくていいんだってば。いつもみたいに井坂のことで一喜一憂してるぐらいが可愛いんだから。慣れないことはしないで良し!!」
「そんな…私だって役に立ちたいときぐらいあるよ~!!アドバイスぐらいいいでしょ?」
「しなくていいの!はい!この話はおしまい!!」
あゆちゃんが手をパンと打ち鳴らして勝手に話を終わらせてきて、私は言い足りなくて「えぇ~!?」と不満をぶつけた。
あゆちゃんはそんな私を見て楽しそうに笑うと、ポンと背中を叩いて廊下を歩き出す。
私は教室に帰るんだと察すると「納得いかない!!」と口にしたときに、前から井坂君が走ってくるのが見えて足を止めた。
「詩織!!あ、小波も。なんでこんな人気のねぇとこにいるわけ?探したっつの!」
「え、ごめん!何か急用だった?」
私が何かあったのかと焦って尋ねると、井坂君は「そういうわけじゃ…。」と言って顔を背けてしまった。
あれ…?
探してた理由は??
私がなんで探してたんだろう?と首を傾げていると、あゆちゃんがはぁ~っと長いため息をついて一人で先に歩き出した。
「私、先に教室戻るから~。5限の前には帰ってきなよね。」
「え、あゆちゃん!」
「詩織!実践するチャンス!」
私が一緒に帰ると言おうとするのを遮るように、あゆちゃんが井坂君を指さしながらウインクしてきて、私はあの話か…と顔が熱くなった。
あゆちゃんは「後でねー。」と言うと小走りで戻っていってしまった。
私は井坂君と二人で残されてしまい、複雑な心境で困ってしまう。
井坂君のあの顔が見たいけど、あゆちゃんの言われたことをする勇気はない。
それだけに欲望と理性の狭間でモヤモヤしてしまって、上手く井坂君が見れない。
そうして無言で悶々としていると、井坂君が私の前に屈んで覗き込んできて体がビクついて固まった。
「小波の実践って何の話?こんな静かなとこで女二人で何の話してたんだよ。」
井坂君が何か変なことでも考えてるのか、少し不機嫌そうに顔を歪めて、私は言おうかどうか考えながら目を泳がした。
すると、井坂君に手を掴まれてしまい心臓が飛び上がる。
「詩織。言って。」
井坂君は私の手を引っ張ると顔を近づけてきて、私は至近距離なことに胸の奥がムズムズし出して苦しくなった。
う~~~!!もう我慢できない!!
私はすうっと息を吸うと、掴まれてない方の手で井坂君の首筋に手を当てた。
目の前の井坂君が何度か目を瞬かせるのが見える。
私は驚いた井坂君の手の力が緩むのを感じて、もう一方の手を引き抜くと同じように首元に触れた。
でも井坂君の表情に変化はなくて、今度は耳の後ろぐらいに手を移動したところで、井坂君が首をすくめて声を上げ反応を見せた。
「何!?ちょっ!くすぐったいんだけど!!!」
「あれ…?それだけ?」
私はクシャっと顔を歪めて笑う井坂君の反応が不服で、キュッと眉間に皺を寄せると暴れる井坂君の顔をガシッと掴んだ。
井坂君が大きく目を見開いて口をぽかんと開けている。
私はその顔をじっと見つめたあと、かなり恥ずかしかったけどあの顔が見たい一心で井坂君の首筋目がけて口を寄せて触れた。
そこで井坂君が短く息を吸いこんだのが耳に聞こえて、私は井坂君がいつも私にしてくれるみたいに何度か首に優しく触れた。
すると井坂君が少し私を押し返しながら「やめっ!!」と喘ぐように言ってきて、私はその声にあと少しかも…と確信して逃げる井坂君を追いかけ体重を井坂君に預けた。
でも、慣れてないことで加減の分からない私は井坂君を押し倒してしまう。
あ、やり過ぎちゃった…
私は勢いがつきすぎたと反省して体を起こすと、目の前の井坂君があのときと同じ顔をしてるのに気付いて、私は妙な達成感に心が弾んだ。
やった!!
井坂君は照れてるのか顔を腕で隠していて、少し隙間から見える顔が色っぽくて私は胸がキュンキュンとときめく。
可愛い…かも…
私はまた井坂君のこういう顔が見れたことに快感を感じていて、やめられなくなりそう…と手で口元を押さえて含み笑いを隠した。
笑い声が漏れそうで必死に堪える。
すると、私が井坂君の反応を見て楽しんでるのが伝わってしまったのか、井坂君が顔を隠したまま低い声音で言った。
「詩織…。俺で遊んでるだろ…。」
「え…。あ、遊んでないよ?」
私はなるべく声が弾まないようにして返したのだけど、声が上擦ってしまい両手で口を押える。
井坂君は廊下に寝転んだまま大きくため息をつくと、顔を隠していた腕を避けて怒ったように言った。
「珍しい事されんのは嫌じゃねぇけど、一方的ってのも腹立つもんだな…。」
「え…?怒ってる?」
私はやり過ぎて怒らせてしまったのだろうか…と不安になり、大の字で天井を見上げている井坂君を覗き込んだ。
すると井坂君が急に体を起こしてきて、私は不意打ちでキスされてしまった。
「仕返し。」
井坂君は口を離してから悪戯っ子のようにニカッと笑って言って、私は全身の力が抜けてふにゃふにゃと井坂君の体の上に倒れ込んだ。
~~~~っ!!!その顔ダメ~っ!!
キュン通り越してズギュンってきちゃった~!!!
私は井坂君の色っぽい顔より、こっちの方が断然好きだと思って、井坂君のシャツを掴んで顔をグリグリと押し付けて身悶えた。
好きがどんどん大きくなっちゃう…
もう、大、大、大好き!!
私は愛おしさが際限なくて、井坂君にしがみついて離れるつもりはなかった。
でも井坂君は違うのか「詩織っ!ちょっと離れてっ!」と言いながら焦っていて、私は井坂君にも同じ気持ちになって欲しくて少し顔を離すと言った。
「井坂君…。大好き。」
「え!?」
私は今の自分の気持ちが伝わって欲しくて、ギュッと井坂君にくっついて目を閉じると「好き。」と繰り返した。
井坂君、あったかいし…
すごくいい匂い…
この服越しでも分かるゴツゴツした感じも落ち着く…
私は人がいないのをいいことに思いっきり井坂君に甘えた。
最近、予備校ばかりでこういうことは久々だったからかもしれない。
たまにはいいよね…と今ある幸せに含み笑いしたとき、急に井坂君が「あーっ!くそっ!」と大声を上げてビックリした。
「もう無理!!」
井坂君がそう誰に言うでもなく吐き捨てると、私はあっという間に井坂君に担がれてしまった。
え!?
私が目を白黒させていると、井坂君は足で暗い二年生の教室を開け放ち、私を教室の中の床に下ろすなり教室の扉をピシャッと閉めてしまった。
そして振り返った井坂君を見て、私はまさか…という可能性に大きく心臓が跳ねたのだった。
いつもと逆転でした~
受け身な井坂も書いてて新鮮です。




