132、親子喧嘩
私は井坂君と手を繋いで廊下をただ歩いていた。
井坂君は私の事を変じゃないって言ってくれた。
自分と一緒だって…
私はそれが嬉しくて顔がニヤついてしまう。
やっぱり、私おかしくなったよね…
ただ手を繋いでるだけなのに、こんなに嬉しいなんて…
私はふっと自然に笑い声が漏れて、それが井坂君に聞こえないように繋いでない方の手で口元を覆った。
すると、廊下ですれ違った女子の話し声が耳に届いて、私はそっちにちらっと目を向けた。
「手繋いでるよ~。やっぱり仲良いんじゃん。」
「だねー。公開キスの話はデマだって聞いたけど、あの様子じゃ本当な気がしてきた~。」
私たちを見て話をしていたのは同じ学年の女子二人組で、私は今までの噂と正反対の内容に無性に嬉しくなった。
仲が良いだって!!
やっとそういう感じに見えるようになったんだ!!
私は今日はすっごく嬉しい日だと思って、廊下だというのに構わず井坂君の腕にギュッとしがみついた。
「しっ、詩織!?」
私がしがみついたことで井坂君が体をビクつかせて驚いたけど、私はもっと仲が良いと見せつけたくて、しがみついたまま井坂君にベタッとくっついた。
すると井坂君が焦ったように言った。
「~~~~っ!!!詩織!やめろって!!」
「えっ?ダメ??」
私は嫌がられてるのだろうか…と思って、顔だけ井坂君に向けて訊くと、井坂君が思い切り眉を持ち上げた後、プイとそっぽを向いてしまった。
でも、言葉とは裏腹に腕を引き離す様子はない。
……これはどっち?
ダメなのかな…いいのかな…??
私が迷って少し掴んでる手の力を弱めると、井坂君が「あー!!もうっ!!」と大きな声を上げて体が縮み上がった。
井坂君は眉間に皺を寄せた表情で私を見ると、すぐ横にあった化学準備室の扉を開けてグイグイと私を部屋に押し込んでくる。
「えっ!?井坂君っ!?」
私は彼の行動の意味が分からないまま、目を白黒させながら暗くてじめっとした化学準備室に足を踏み入れた。
薬品のツンとした鼻につく匂いが掠めて、不気味な雰囲気に辺りを見回す。
すると井坂君が扉をピシャッと閉めきるなり私を後ろから抱きしめてきて、私はそれにビックリしたけど嬉しくて頬が緩んだ。
そっか…こういうことしたくて化学準備室に入ったんだ…
私は井坂君の行動の意味を理解して、恥ずかしがり屋だもんなぁ~と納得した。
井坂君の温かさを感じて、ニヤける顔が止まらない。
すると井坂君が小声でボソボソと何かを呟いていて、私は聞き取れなかったので聞き返した。
「井坂君、何?」
「………別に。」
「別にって…何か言ってたよね?」
私が井坂君の顔が見えないので振り向こうとしたら、頭を抱えられてそのまま井坂君の胸に押し当てられて何も見えなくなってしまった。
「井坂くんっ!!何も見えないんだけど!」
「…気にすんな。」
…気にすんなって…
いつの間にか俺様な井坂君になっていて、私はどうしようかと考え込んだ。
まぁ…いっか。こうされてるだけで嬉しいし…
私はすぐに考える事を放棄すると、抱きしめられてる幸せに身を委ねる事に決めた。
こうして井坂君にくっついていると、井坂君の匂いがしてすごく安心する。
でも、その反対に井坂君が熱を出していたときの事を思い出して、どこか警戒している自分もいた。
あのときと今は違う…
学校だし、井坂君は冷静なときにはあんなことしてこない。
私はそう思うものの、さっきのことを思い返してぶわわっと全身に鳥肌が立った。
そ、そういえば!!むっ、胸!!さっき触られたんだった!!
私はさっきまでの緊張とドキドキをぶり返して、腕に力を入れて井坂君にギュッとしがみつく。
恥ずかしい!!自分でいいよって言っただけに、またそういうことされたら嫌だなんて言えない!!
私は構ってほしくて大胆な発言をしたと後悔して、顔が真っ赤になっていた。
井坂君が私を触ってくれるときは、私のことしか考えてない。
それを知ってるだけに、井坂君を独り占めしたいときには自分から井坂君に触れるようにしていた。
そうすると、井坂君は必ずといっていいほど、やり返してくるから…
私は恥ずかしさと嬉しさの狭間で悶々として、井坂君の胸に顔を埋めたまま考え込んだ。
すると井坂君の腕の力が強くなって、井坂君がボソッと言った言葉がやっと耳に聞こえた。
「…大丈夫…。」
????
「大丈夫って何?」
私が聞こえた言葉が不思議で尋ねると、井坂君の力がふっと抜けて井坂君が私から少しだけ離れた。
そのとき頬を両手で掴まれて、首の辺りがくすぐったくて肩を縮み上げる。
井坂君はそんな私を見て、どこか嬉しそうに微笑んでから、すぐ無表情に戻って口を開く。
「……長澤君と何してたんだよ?」
「……長澤君??」
私は急に長澤君の名前が出て目を瞬かせた。
えっと…何してたって…さっきのこと?
私は長澤君と話してたことを思い出して、そのまま井坂君に伝える。
「長澤君に予備校のこと聞いてただけだよ?」
「予備校?……なんで、予備校?」
「え…、それは受験生になるから?」
私は春から予備校に通う予定だったので、ずっと予備校に行っている長澤君に話を聞いただけだった。
長澤君の話では、春からと言わず早めに来た方がいいとの事だったけど…
これは両親と相談することで、井坂君に言っても仕方ない。
私は不服そうな顔をしている井坂君をじっと見つめる。
「受験生って…。そんな難しい大学に行くわけ?」
「え…。それは…。」
私は井坂君の志望校を聞くチャンスかと思って、自分の志望校は口にせず、井坂君に尋ね返した。
「井坂君は…行きたい大学決まってる?」
私はドキドキしながら返答を待つ。
すると井坂君が眉をクイッと上に持ち上げてから、早口でサラッと言った。
「俺は西皇だよ。詩織がくれた本の教授がそこにいるんだ。」
「せ…西……皇………!?!?」
私はこの国を代表するといっても過言じゃない、超名門大学TOP3には入るだろう大学を言われ、声を失った。
うそ…ウソウソ!!!!
凄く難しい所に行くんだろうなとは思ったけど…
ここまでなんて思ってない!!
私は目が渇くぐらい見開くと、少し照れた様子の井坂君を食い入るほど見つめた。
「まぁ、受かるなんて思ってねーけど。目指すならタダだし、いいよな?まだ二年なんだしさ。」
「ま、…まだ二年って…。え……、本気…だよね?」
「??そーだけど?」
少しも焦った様子のない井坂君の様子に、受かる気満々だと感じ取って、顔が引きつった。
この様子だと、本当に軽々と西皇に合格しそう…
口では受かる気ないとか言ってるけど、井坂君のことだ。
やるべきことはキッチリやって、自分の決めた道を突き進んでいきそう。
私はまるで井坂君とレベルが合わないと感じて、急に不安になった。
私に西皇は絶対に無理。
今から寝る時間を惜しんで勉強したとしても、万に一つも受かる気がしない。
どうしよう…
私はさっきとは違うドキドキが胸を大きく鳴らしていて、自分の選ぶ道をどうしようかと考えた。
「詩織は?行きたい大学があるから予備校行くんだろ?」
井坂君が尋ねてきて、私は返答に困った。
私には行きたい大学なんてない。
それこそ井坂君と同じ大学に行きたいって思ってたぐらいだ。
こんな不純な動機じゃ、憧れる教授のいる大学に行こうとしてる井坂君と並んで歩けない。
私は自分がすごく子供の考えをしていたと恥ずかしくて、本音なんか言えるはずもなかった。
「……ま、まだ考えてるとこで…。」
「そっか。まぁ、まだ二年だしな。でも、考えてるとこなら、俺と同じとは言わないけど、近くの大学がいいかな。そしたら、ずっと一緒にいられるもんな。」
井坂君がニコニコしながら言って、私はその笑顔を見て胸がつまった。
ずっと…一緒に…
私だって…できるならそうしたい…
ううん…できるならじゃなくて、今からそうできるように頑張らないと…
私はこれから先の目標をしっかり見据えて、自分の心に刻みつけたのだった。
***
その日から私はお母さんに言わなければと何日も悩んでいて、今日こそは!と意気込むと長澤君にメモしてもらった用紙を手に、お母さんに話をしようと帰るなりまっすぐキッチンへ向かった。
お母さんは晩御飯を作りながら「おかえりー。」とだけ言っていて、私は話を聞いてもらおうと用紙をギュッと握りしめて口を開いた。
「お母さん。お願いがあるの。」
お母さんは私の真剣な声から大事な話だと感じ取ってくれたのか、料理していた手を止めて私の目の前に来てくれる。
「なに?」
私はお母さんをじっと見つめてから、握りしめていた用紙を差し出した。
お母さんがそれを受け取って中を見るのに合わせて、私は言った。
「二月から予備校に行かせてほしい。あと、県外の大学を受験したいの。」
「…県外?ってどこの大学に行くつもりなの?」
「……できれば…西皇…だけど、落ちる事も考えてその近くの大学を滑り止めに―――」
「西皇!?ちょっと待って詩織。あなた、本気で言ってるの?」
お母さんが目を剥いて驚いていて、私は当然そう言われるだろうと思っていたので、鼻から息を吸いこむと冷静に返した。
「本気だよ。だから、そのためにも今から予備校に―――」
「詩織、高い志を持つのはいいけど、西皇は今から勉強を始めて受かるような大学じゃないわ。ちゃんとそこら辺は分かってるの?」
「……分かってる。だから、滑り止めも近くの大学で―――」
「詩織!!」
お母さんが語気を荒げてきて、私はビクッと体が震えてお母さんをまっすぐに見た。
お母さんは私の渡した用紙を握りしめて、真剣な瞳で私を突き刺してくる。
「いきなり西皇って言い出した理由は?それに滑り止めまでその近くなんて…、滑り止めならここから通える範囲でだってあるでしょう?わざわざ県外ばかり受験しなくたっていいはずよ。ちゃんと理由を説明しなさい。」
お母さんから睨むように見つめられて、私は俯くことで視線を逸らした。
井坂君と一緒にいたいからなんて理由を言ったら、絶対反対されるに決まってる。
どう言えばお母さんを説得することができるだろうか…
私はお母さんからの圧力を感じながら、悶々と考え込んだ。
「…詩織。まさかとは思うけど、井坂君絡みで進路を決めたなんて言わないでしょうね?」
!!!
お母さんに言い当てられた事にビックリして顔を上げると、お母さんの呆れたような顔が飛び込んできてしまった!とまた俯いた。
でも、そんな反応をしてしまったためにお母さんには丸分かりだったようで、前から大きなため息が聞こえてきた。
「……詩織…。あなたねぇ…。井坂君と仲が良いのは分かるけど、自分の将来のことよ?もっとちゃんと考えなさい。」
「か、考えてるよ!!」
私はここの所、頭がずっと痛くなるぐらい考えていたので、お母さんのバカにしたような言い方に腹が立った。
「私、ちゃんと考えてる!!すごく考えたけど、私の一番は井坂君とずっと一緒にいることだったの!だから大学も頑張ろうと思って―――」
「井坂君と同じ所を受けて、あなたは将来どうしたいの?将来就く仕事のことも考えて、学部だって選ばなきゃならないでしょう!?」
「だ、だから、それは好きな教科から…」
「好きな勉強を続けるのはいいけど、そこから先は!?あなたは何になりたいの?好きな勉強を続けてどうなりたいの?」
「どうって…そんなの分からないよ。」
私には井坂君のように研究者になりたいなんて夢もない。
得意科目が数学だってぐらいで、その道を究めたいかと言われるとそうじゃない。
自分が何になりたいのか…
そんなの自分が一番知りたい。
「そんな中途半端な考えでよく考えたなんて言えるわね。ただ西皇に行きたいだけなんて、同じ西皇を目指す人たちにとったら侮辱以外の何でもないわ。もっとしっかり考えてから言いなさい!!」
「でも…、じゃあ予備校は?」
「そんなのちゃんと進路が決まってからに決まってるでしょう?自分の進みたい道が見つかってから言ってちょうだい。」
「そ、そんな!!今から必死に勉強しないと西皇なんて!!!」
私は予備校だけでも行かさせてほしかったので、お母さんに掴みかかった。
お母さんは私の手を振りはらうと、目を吊り上げて吐き捨てた。
「焦って予備校に行ったからって受かるとは限らないでしょう!?どうしても予備校に行きたいなら、早めに自分の進路を決めて報告しに来なさい。」
お母さんは以前とは真逆のことを言っていて、私は井坂君と会ったことでお母さんが変わったとこのとき大きく感じた。
勉強することに関しては、いつも喜んでくれていたのに…
なんで今回に限って!!
私はお母さんに対して苛立つと、鞄をその場に投げ捨てて声を荒げた。
「絶対西皇に行くから!!意地でも勉強するから!!!」
私はそれだけ吐き捨てると、リビングを飛び出した。
そして靴を履くと、家を出て、暗くなった道を照らす街灯の下をただ走った。
絶対に行くんだから!
井坂君と同じ大学に絶対に受かってみせる!!
私は受かる自信なんかこれぽっちもなかったので、前向きな事を考えてそれを打ち消そうとした。
強く気持ちを持っていれば必ず叶う。
そう思わなければ、一年先のことを考えて暗い気持ちに押しつぶされそうだった。
大丈夫、大丈夫。
まだ間に合う。
井坂君と離れたりなんかしない。
私は息が上がってきて、少し足を緩めると自分がいつの間にか駅前に来ていて、辺りを見回した。
すぐ傍には夏に通っていた予備校が煌々と光を灯していて、たくさんの人が必死に勉強してる教室を思い返した。
きっと今日も長澤君は通っているんだろう…。
私は自分がずっと足踏みしている気分で、予備校を前に悔しい気持ちでいっぱいだった。
私だって、ちゃんと勉強さえすれば…西皇にだって…
私がギュッと顔をしかめて俯いていると、横で誰かが立ち止まった気配がして、ゆっくり視線をそっちに向けた。
「あ、やっぱり詩織じゃん。どうしたんだよ、こんなとこで?」
今、まさに予備校に入ろうとしていたのは冬休みに再会したばかりの、京清高校のダークブラウンの制服を身に纏った寺崎僚介君だった。
進路の話にシフトしました。
初恋相手、寺崎僚介再登場です。
彼は詩織の進路のキーパーソンです。




