126、変わった理由
始業式の次の日、学校に行こうと家を出ると玄関前に井坂君がいて驚いた。
「井坂君!?」
「おはよ。今日から一緒に学校行こうと思ってさ。」
「一緒にって…井坂君の家遠いよね?朝起きるのしんどいんじゃ…。」
「平気、平気。寝坊しない限りは迎えに来るよ。俺、自転車だしさ。」
井坂君は私の鞄をサッと持つと、自転車の前かごに入れてしまった。
私はそれをされるがままに見つめて、井坂君が無理してるんじゃないかと心配になった。
「でも…、無理して迎えに来なくても今まで通り一人で行くよ?」
「そんなんじゃないよ。俺が朝一番に詩織に会いたいだけ。」
井坂君が余裕の笑みを浮かべてサラッと言って、私は「一番に会いたい」という言葉に胸を打ち抜
かれてぼわっと赤面した。
うわわっ…!!
嬉しいけど、照れる!!
私はまっすぐ井坂君が見れなくて俯いてモジモジしていると、ふっと影が自分にかかって顔を上げ
た。
その瞬間、目の前に井坂君の顔があって、優しいキスをされて目を剥いた。
えぇっ!?
井坂君はすぐ口を離すと「おはようのキスな。」と少し照れながら笑って、自転車を押して歩き出し
た。
私はその背を見つめて自分が白昼夢の中にいるような気分だった。
やっぱり…井坂君が変…
大胆になり過ぎて、私の心臓がもたないかも…
ドキドキと高鳴る胸に手を当ててぼけっとしていると、歩いていた井坂君が振り返って「行くよ。」
と声をかけてきて、私はブンブンと頭を振ってから追いかけた。
そして追いつくと、井坂君は優しい笑みを浮かべたまま、私のペースに合わせてゆっくり歩いてくれる。
そんなさり気ない優しさに胸が朝からキュンキュンしていて、井坂君が変なことを気にも留めなかったのだった。
**
そうしてその日から…というか正確には始業式の日から井坂君が変わった。
そう感じるように余裕が出てきたのは、変な井坂君に慣れてきたからかもしれない。
井坂君は本当に何でも口に出すようになったというか…、黙って考え込んでる姿を見なくなった。
それは私に対してだけじゃなくて、赤井君や島田君、北野君…後は教室に訪ねてくる女子に対して
も同じだった。
私は前までは女子に冷たかった井坂君が急に優しくなったことに、嫌だなぁ…なんて嫉妬に顔をし
かめることもしばしば…。
私の彼氏なんだから余裕を見せればいいんだけど、私には余裕なんて生まれそうもない。
それどころか井坂君が遠く感じることもあって、不安まで生まれてくる。
私って心狭いなぁ…
私は自分の不甲斐なさにため息が出た。
でも、井坂君は休み時間や行き帰りに二人っきりなると、それまでには考えられないぐらいイチャつ
いてくるので、私は嫉妬もしながらもどこか幸せだった。
好かれてるってちゃんと実感することができる。
井坂君には私しかいないんだって、キスする度に感じて嬉しくなる。
私は積極的な井坂君も悪くないな…と思って多少の違和感もありながら、ほわほわと穏やかな日々
を過ごしていたのだった。
そうしてしばらく経ったある日――――
あゆちゃんが、私の机にやってくるなり面白くなさそうに顔をしかめて言った。
「なんか井坂、おかしくない?」
「え?おかしいってどこが?」
私は次の授業の準備をしながら、ムスッとしてるあゆちゃんに聞いた。
あゆちゃんは腕を組むと、横目で井坂君をちらっと見て言う。
「だって、なんか爽やかな好青年みたいになってさ。からかい甲斐がなくなったんだけど。」
「何それ?からかい甲斐って?」
「井坂ってさ、あんな余裕見せてペラペラしゃべる奴じゃないでしょ?詩織に好かれたくて必死で、
悶々としてて何考えてるのか分からないってのが、今までの井坂じゃん!!」
「そ…そうかな?」
あゆちゃんの言い方が若干ひどいな…と思いながらも、私も今まで幸せで穏やかな時間に流されて、
見て見ぬフリをしていたかも…と思った。
今の井坂君も悪くないんだけど、でも無理してるような気がする…。
何でも口にしてくれるようにはなったんだけど、どこか壁があるような…
「あんなにサラッと何でも躱されたら面白くない!!っていうか、井坂っぽくなくて気持ち悪
い!!」
「……そんなに?」
「当たり前でしょ!?詩織は思わない?井坂が気持ち悪いなって!!」
「そこまでは思わないけど…。でも、変なのは確かだよね…。」
私は以前の一生懸命な井坂君を思い返して、あの頃の井坂君が少し懐かしくなった。
あゆちゃんは「でしょ?」と言いながら、どこか吐き出せた事に満足したのか、さっきよりもスッ
キリした表情を浮かべた。
「赤井も言ってるよ。井坂が自分みたいだーって。」
「赤井君みたい?」
「そう。人当たりがよくなって、何でも口に出して、笑顔で対応する。まんま赤井でしょ?」
言われてみて、確かにそうだと赤井君と話す井坂君に目を向けた。
赤井君と井坂君が何やら言い合っているところに、ちょうど後輩の女子が話しかけにやってきて、
笑顔で話し出す赤井君の横で井坂君も笑顔を見せている。
その笑顔が私に向けられてるものと同じだと感じて、私は胸がズキと痛くなった。
ただ話して笑ってるだけだよ…
なんで胸が痛くなったりするの?
私は狭い自分の心に顔をしかめると、あゆちゃんが目の前でため息をついた。
「あんなの井坂じゃないよ。詩織、黙って見てないで一年と話すなって言ってきなよ。」
「え…。そ、そんなこと言えないよ。ただ話してるだけなのに…。」
「ただ話してるだけねぇ…?前の井坂だったら、あんなにフレンドリーに話したりしなかったのに
ねー。」
あゆちゃんが私の嫉妬心を見抜いているのか、じっと私を見て言って、私は目を逸らすように俯く
と、口を引き結んだ。
あゆちゃんの言う通りだけど…。
でも、人当たりが良くなるのは悪い事じゃない…。
それに私に対しての態度が冷たくなったりするわけじゃない。
むしろ近くなったのに、私がこんな事を思うのはおかしい。
「大丈夫だよ。井坂君、何か思う所があって変わろうとしてるのかもしれないし…。」
「でも、詩織は近くにいて何か変だって感じてるんでしょ?なら、悶々として我慢せずに言った方
がいいと思うけどなぁ。前みたいにすれ違わないように。」
あゆちゃんに言われて、私は言い訳を口にすることができなくなった。
嫉妬して悶々としてるのは本当だし、我慢してるのだって当たってる…。
私はあゆちゃんが心配して言ってくれてるんだと察して、息を吸いこむと席を立った。
「ちょっと井坂君と話してくる。」
「うん。行っといで。」
あゆちゃんが私の背をポンと押してくれて、私はその手に力をもらって足を井坂君に向けた。
井坂君はさっきと変わらず赤井君と一緒になって一年女子と談笑していて、私は大きく息を吸いこ
むと井坂君に声をかけた。
「井坂君!!」
「あ、詩織。どうした?」
井坂君はいつもと変わらない笑顔で振り返ってきて、私はギュッと手を握りしめるとこっちを見る
一年生を気にしながらも言った。
「ちょっとこっち来て。」
「こっちって…、ベランダ?」
「うん。」
私は次の授業まで時間もなかったので頷いて、井坂君が立ち上がるのを見てからスタスタとベラン
ダに足を向けた。
後ろから「拓海せんぱーい。」と耳障りな声が聞こえたけど私は無視して歩く。
でも井坂君は「悪い、今度な。」と優しげに声を返していて、ちょっと井坂君にイラついてしまった。
だからベランダに二人で行くなり、私は自分の中の不満をぶちまけた。
「なんであんなに楽しそうに話したりするの?」
「楽しそうにって…あの女子のこと?」
「決まってるでしょ!!他に誰がいるの!?」
私が苛立って声を荒げると、井坂君はふっと余裕の笑みを浮かべて言った。
「詩織、もしかして嫉妬してる?」
「ちがっ…くもないけど!!でも、あんなに優しく気をもたせるように話すのは…違うと思う!!」
私は嫉妬だと見透かされて焦ったけど、何とか平常心で言い返した。
前の井坂君は女の子に気をもたせないように、わざと冷たく接していた。
それなのに今は誰にでもいい顔をするチャラい人に見える。
それが自分の好きになった井坂君じゃないようで、すごく遠く感じて気持ち悪かった。
「ははっ!心配しなくても、浮気なんかしないよ。毎日イチャついてるんだから分かるだろ?」
「そういう事じゃなくて!!」
私がどう伝えようかと悩んでいても、井坂君は余裕な態度でニヤニヤと何だか嬉しそうに見える。
私はそんな井坂君がどんどん違う人になっていくようで、なんとかしたかった。
どう言えば、前の井坂君に戻る?
今の井坂君の考えを吹き飛ばすにはどうしたらいい?
私は井坂君が変わってしまった始業式の日を思い返して、頭をフル回転させて考えた。
そうすると井坂君から言われた言葉が頭に浮かんで、私はそれを口にした。
「今のままの井坂君だったら、この先上手くやっていく自信ない。」
「――――は?」
ここで初めて井坂君から余裕の笑みが消えた。
私はお姉さんに聞いてまで、私と長く付き合っていこうと考えてくれての変化だと聞いていたので、その根本を覆すことにした。
「私は不器用だけど、一生懸命な井坂君を好きになったの。ヘラヘラしながら当たり障りない事を口にして、女子と平気で話す井坂君を好きになったわけじゃない。」
「し、詩織…。」
「余裕で…上から目線で…、私の反応見て楽しんでる井坂君なんか好きじゃない。」
私はいつの間にか青い顔をしている井坂君を見て言い切った。
変わろうと努力してた井坂君を全否定することになったけど、私は自分の本心だったのでスッキリしていた。
「そういうことだから…。ちょっと考えて欲しい。」
私はそう告げると教室へ戻ろうと足を進めた。
すると井坂君が私の腕を掴んで悲愴な顔で引き留めてきた。
「違うっ!!待ってくれ!!」
井坂君の必死な顔が少し以前の彼に見えて、私は目を瞬かせて足を止めた。
井坂君は何か言うのを迷ってたようだったけど、一度俯くと意を決したように言った。
「余裕なんて、全部嘘だ!!詩織が兄貴を気にしてるって気づいてから…兄貴みたいになろうと思って、自分を作ってただけなんだ!!」
「…お、お兄さん…??」
急にお兄さんのことがでてきて目を丸くさせていると、井坂君は私を放すものかと両腕を強く掴んで訴えてくる。
「姉さんに色々助言されたのは本当だけど、どれも納得できるものじゃなかった。だから俺なりに考えてたんだけど…始業式の日にかまかけて兄貴の事に触れてみたら、詩織…本当に兄貴と何かあったっぽいし…。それ見て…意地悪したくなったっていうか…。」
「い、意地悪??」
私は子供っぽい理由に驚いて声が裏返った。
「兄貴っぽくなれば、詩織が兄貴を気にするみたいに俺の事も気にしてくれるかな…なんて思って…試したら、今までにない詩織見れてちょっと楽しかったっていうか…。」
「今までにない私?」
「うん。俺が…ちょっと際どいことしても…あんま嫌がらないし…照れて赤くなってるのが可愛かったっていうか…、触って良かったんだって思ったら止まらなくなって…。」
あの過剰なスキンシップにそんな理由が…
私は太ももを触られてるときの事を思い出して、かなり恥ずかしくて照れてしまう。
「それに、俺が一年や他の女子と話してたりすると、詩織じっとこっち見てたり、さっきみたいに二人になりたいって呼び出してくれるじゃん?それも…必要とされてるって分かって、嬉しかったっていうか…。だから、こう…やめられなくなって…。」
要は私に嫉妬させて楽しんでたって事だよね…?
私は飽きれるような理由で心底ほっとしてしまった。
まぁ…私も自分が恥ずかしいっていうのもあって、自分から井坂君に声かけたりすることも少ないもんなぁ…
私も悪いよね…
私は「悪い…。」と謝るシュンとした井坂君を見て、可愛いなぁと思って笑みが漏れた。
「いいよ。なんか反応見て面白がられてたのは、ちょっと嫌だけど。私がお兄さんを気にしてたのが発端だもんね。」
井坂君は小動物のようなウルウルした目で私を見てくるので、その顔に微笑みかける。
「お兄さんの事は本当に何でもないから。ただ、お兄さんが中学の頃の自分と重なって見えてほっとけなかっただけなの。それも、もう解決したし。このことはお姉さんも知ってるから。」
「姉さんが?」
「うん。お兄さんとお姉さんの問題に私が首突っ込んじゃっただけの話だから。家族の井坂君には話せないんだ。そこは、ごめんね。変に誤解させちゃったかも。」
「いや…。そっか…。詩織、あの二人のこと…気づいてたのか…。」
「え…?」
井坂君は何か思い当たることを知ってるのか、安心したような表情になり私はそれが気になった。
「いや。うん。何でもない。俺の変な勘違いだった。ホント、俺って詩織のことに関すると周り見えなくなるよな~。」
井坂君が以前の井坂君に戻りヘラッと笑って、私は本当に作ってたんだと感じておかしくなった。
「井坂君が元に戻って良かった。やっぱり余裕のある井坂君より、焦ったり照れてる井坂君の方が好き。」
「えっ!?好き!?そっ…そうか??」
井坂君は照れたのか赤くなって視線を泳がしながら笑い出して、私はこういう反応の方が自然だなぁ…と嬉しくなり、ギュッと井坂君に抱き付いた。
「しっ、詩織!?」
「ちょっとだけ寂しかったから充電。いいよね?」
私が上目づかいで尋ねると、井坂君は顔を逸らすと口を引き結んで「いいけど…。」と照れてるみたいだった。
やっぱりこういう井坂君の方がいい
私は胸がくすぐったくて幸せで、井坂君の匂いに安心しながら腕に力を入れて目を瞑った。
すると井坂君も抱きしめ返してくれて、更に嬉しくて幸せな気持ちになった。
けれど、それも数秒で太ももに違和感を感じてバチッと目を開けた。
「井坂君…。もしかして触ってる?」
私は以前の井坂君に戻ったはずなので過剰なスキンシップはなくなるものだと思っていた。
だから触られてることに違和感を感じる。
「うん。」
「うん、じゃなくて!今までのことは、作ってた井坂君じゃなかったの?」
「……何でも口に出すのは…そうだけど…。詩織に触りたいのは本当だし…、ずっと口には出さないけど…心ん中では思ってたから。」
「え!?」
私はそこは本心だったんだと知って、ぐわっと体中の体温が上がってドキドキし出した。
スカート短いのが良いとかも…ずっと思ってたことだってことだよね!?
私はそういう目で見られていたことに恥ずかしいのか照れ臭いのか、顔が真っ赤になって一向に熱が引かない。
「でも、嫌ならやめるけど…。」
「え?」
井坂君が触るのをやめると、私を引き離して顔を覗き込んできた。
井坂君の顔はおねだりする子供みたいに可愛くて、胸がキュンと締め付けられる。
「だから、嫌なら…今までみたいに攻めるのはやめる。触りたいけど、我慢するよ。」
「い…嫌じゃない…よ。嫌じゃ…なかった。」
私は井坂君の顔が可愛すぎて、深く考えずに口から答えが飛び出していた。
うわわわっ!!結構ヤバいこと口にしたんじゃ!!!
私は言ってしまってから、ちょっと後悔したけど、井坂君が嬉しそうにはにかむような笑顔を見せて、そんな後悔が吹っ飛んだ。
井坂君はまた私をギュッと抱きしめると、「無理はさせないから…。」なんて言ってきて、私は心臓がバックバックと激しく動いていた。
うう…こうなったら、井坂君が喜ぶなら何でも受け入れる!!
だって、こんなに可愛いんだもん!
私はギュッと抱きしめ返すと、何でもこい!!と気合を入れたのだった。
結局、詩織に振り回される井坂に逆戻りしました(笑)




