105、手繰り寄せる
井坂視点です。時間軸が少し戻ってます。
俺は詩織と別れてから夜眠れなくなった。
眠ると詩織と別れた時の光景が浮かんで、悪夢を見るからだ。
悪夢には詩織の横に別の男がいて、詩織を連れ去ってしまう。
俺の横には葛木がいて腕を離さないから、俺は詩織を追いかけることができない。
「待ってくれ」と必死に叫ぶけど声が出なくて、詩織は一度も俺に振り返らない。
俺は泣きたくなってそこで目を覚ます。
その繰り返しだ。
そんな状態でテストが上手くいくはずもなく追試になり、俺はこれも罰だと思っていた。
だから追試に向けて真面目に勉強していたのだけど…
あるとき、小波が爆弾発言を俺と島田の間に投下しやがった。
『島田~、昨日詩織と放課後デートしたんだってね~?』
俺はその言葉に島田を見つめると、島田は真っ赤な顔をして必死に言い訳を並べ立ててきた。
色々言ってた気がするが、俺はそんなもの耳に入らなくて、カッと頭に血が上って怒鳴りつけた。
そのとき教室の中だったことに気づいて詩織に目を向けると、詩織も俺を見ていて大きく心臓がビクついた。
交わった視線に色んな感情が溢れて、俺は自分が甘い事を考えてたと思い知った。
俺には島田と詩織のことに口を出す権利はない。
だけど――――
このままでいられるわけがなかった。
俺は島田に『手を出すな』と釘を刺すと、俺自身も動く決心を固めた。
自己中で我が儘かもしれないけど…
もう、気持ちを抑えて見てるだけなんてできなかった。
詩織が許してくれるかもしれないのなら…
俺の事をまだ少しでも好きでいてくれてるなら…
その気持ちの隙間に割り込みたい。
そうしないと、俺の心が壊れてしまいそうだった。
そんなこと考えて悶々としていると、俺の頭をスパンっと藤ちゃんが叩いてきて視線を上げた。
「何、追試の最中にぼけっとしてる!!全然、問題解いてないだろ!!」
藤ちゃんは俺の真っ白の答案用紙を指さして怒っている。
俺は問題文が頭に入らないので、解こうと思っても解けなかった。
ただそれだけなのだけど、きっと藤ちゃんには理解してもらえないだろう。
「分からないんだよ。何も…解けない。」
俺は本音をぶつけるけど、藤ちゃんは飽きれたようなため息をついて言った。
「お前の実力なら解ける問題ばかりだぞ?一体どうしたんだ?病気か?熱でもあるのか?」
藤ちゃんは心配そうな目で俺を見ていて、俺はその言葉にのっかることにした。
「最近体調よくなくて、追試って延期できないんすか?」
「お前な…、体調悪いくせいにふてぶてしくないか?延期なんて。」
藤ちゃんはさすがに延期はしてくれないようで、俺はムスッとふてくされた。
するとはーっと大きなため息が聞こえると、藤ちゃんが答案用紙を裏返して言った。
「保健室行って、先生に診てもらってこい。それでどうしても体調が良くないなら、延期も考える。だけど、大丈夫なら続行だ。すぐ戻ってこいよ。」
俺は特に体調も悪くなかったけど、今更ウソでしたなんて言えなくて席を立った。
そして「いってきます。」と告げて、保健室へ向かったのだった。
**
保健室の北条先生は俺の熱を測り終えると、首を傾げてから口を開いた。
「熱はないんだけど。どこか痛いとかはあるの?」
俺は痛い所と聞かれて、ここ最近ずっと痛い所を口にした。
「胸の奥。グリグリする。」
「胸の奥?グリグリって…それはずっと?」
「かな…。教室にいるときが一番痛いかも…。でも、だいたいずっと痛い。」
「そう…。何か病気かしら?ここじゃ判断できないわね…。ちょっと藤浪先生と相談してくるから、待っててくれる?あ、辛いならベッドで寝ててもいいから。」
北条先生は俺の言葉を真摯に受け止めてしまって、俺は胸の痛みの原因が分かってるだけに何も言えなくなった。
そして北条先生が保健室を出ていってしまったのを見て、俺はこのまま嘘を突き通すかと思ってベッドに向かって寝転んだ。
最近の寝不足もあって横になっただけで、ふーっと意識が遠のいていく。
今なら悪夢を見ずに寝られる気がして、俺はそのまま眠りについたのだった。
***
俺は久しぶりに幸せな夢を見た。
詩織が俺の大好きな笑顔を見せて、「好き」だと言ってきた。
俺は嬉しくて詩織を力強く抱き締める。
もう二度と離す気はなかった。
ずっとずっと一緒にいてくれ…
俺はその想いを胸に、夢から覚めて空調のきいた保健室で目を瞬かせた。
そのとき俺の鼻に嗅いだことのある甘い花の匂いがした気がして、慌てて体を起こして周りを確認した。
「あら、起きた?どう、胸の痛みは?」
そこには北条先生しかいなくて、俺はがっかりして肩を落とした。
いるわけ…ないよな…
俺はベッドから出ようと手を動かすと、その手に違和感があってそこへ目を向けた。
そこには見覚えのある封筒が置かれていて、俺はそれを手に持って目を瞬かせた。
これって…俺が詩織の机の中に入れた…
ベルリシュのライブチケットの封筒…だよな?
俺は詩織に対する謝罪のつもりで、二人で行こうと思っていたベルリシュライブのチケットを詩織の机に忍ばせていた。
本当は自分の手で渡して、詩織の喜ぶ姿を楽しみにしていた。
でも別れることになって行き場のなかったチケットを、せめて詩織の手に…と思ったのだけど…
名前も書かずに入れたのに、詩織には俺からだと分かったのだろうか?
俺は返ってきた封筒にイヤな予感がして、北条先生に目を向けた。
「あの、ここに誰か来ましたか?」
北条先生は俺に振り返ってくると、柔らかな笑みを浮かべて言った。
「来たわよ~。修学旅行のときも思ったけど、二人は見てるこっちがキュンキュンするぐらい初々しいカップルねぇ~。」
先生の言い方から、俺は詩織がここに来たことを知って、心臓がバクバクと期待に高鳴っていく。
「あっの!!詩織、何か言ってましたか!?」
「何か…?そうねぇ~…。あ、藤浪先生が五時までに来るようにですって。彼女からの伝言。きっと追試のことでしょう。」
「追試…。」
俺はただ藤ちゃんからの伝言を伝えに来たんだと分かり、高鳴った気持ちが沈み込んだ。
戻ってきた封筒を見て、もう詩織の気持ちに割り込む隙間はないんじゃ…と泣きたくなってくる。
島田とデートしたことも…あるわけだし…
もう…俺のことなんか…
俺は封筒を手で弄んで、大きくため息をついた。
そのときに封筒の裏に何か書かれているのが目に入って、俺は食い入るようにそれを読んだ。
そこには驚くことが書かれていて、俺は口を開けて固まった。
夢か…?
俺は幻でも見てる気分で、目を擦るともう一度読み直す。
そこには詩織の綺麗に整った字でこう書かれていた。
『チケットありがとう。20日、17時にホールの前で待ってる。詩織。』
「うそだろ…。」
俺は書かれた内容が信じられなくて、少し震える手で封筒の中身を確認した。
封筒の中には二枚あったチケットが一枚だけ入っていて、俺は書かれてる内容が現実だとやっと認識した。
詩織が…俺とライブに行こうって…言ってくれてるんだよな…?
俺は…詩織に許されてるのか…?
もしかして…また、チャンスが巡ってきてる…?
俺は微かに詩織の匂いが残ってるような錯覚を覚えて、目の奥が熱くなって俯いた。
チケットを持つ手に力が入って、グシャグシャにしないように気を付ける。
詩織…詩織っ…!!
俺は瞼の裏に詩織の笑顔しか浮かばなくて、期待で胸が大きく膨らんでいく。
今度こそ間違えない!
絶対に詩織から目を離したりしない。
俺は嬉しくて涙が出そうになるのをグッと堪えると、ふーっと長く息を吐き出してチケットを大切に封筒にしまった。
そのとき前から先生が「すっきりした顔してるわね。」と言ってきて、俺は久しぶりに晴れやかな気持ちで「はい。」と返すことができたのだった。
***
俺は詩織からチャンスをもらったことで、今まで勉強に集中できなかったことが嘘のように、追試を楽に切り抜ける事ができた。
すべての教科で高得点を叩き出し、藤ちゃんから「手を抜いてたのか?」と疑われた程だった。
俺は赤井や北野から良かったな!!と言われる中、目はずっと詩織を追いかけていた。
詩織は今日も小波や八牧と何か話をしては笑顔を見せている。
俺はチケットの事を詩織と話がしたくてたまらなくて、抱き付いてこようとする赤井を押し返すと、席を立った。
ライブの日まで詩織と話せないなんてごめんだ。
俺は今すぐにでも詩織の気持ちを確認しようと、勇気を出して小波の後ろから詩織に声をかけた。
「詩織。ちょっといいか?」
詩織は俺の顔を見るなり、目を大きく見開いて表情を強張らせてしまう。
それを見た小波が俺の体をドンッと押し返してくる。
「井坂。女子トークの邪魔しないで!!詩織に用があるなら後にしてくれる?」
「後って…。少しぐらいいいだろ?」
俺が怒っている小波を宥めようと言うと、小波が言い返そうとしたところに詩織が笑顔で割り込んできた。
「あゆちゃん。ちょっと行ってくる。」
「詩織!?」
「大丈夫。すぐ戻るから。」
詩織は小波を優しく諭すと、俺に目を向けて「行こ。」と廊下に足を向けた。
小波はどこか釈然としないようで、ぶすっとした顔で俺を睨んでくる。
俺はそんな小波に軽く肩をすくめると、詩織の後について廊下に出た。
そして窓際に二人で並ぶと、詩織が「何?」と俺の方に向き直った。
俺は見つめられている現実に、心臓がバクバクしてきて視線を少し下に逸らす。
「そ…その。ラ…ライブの…チケットの事で…。」
俺が詩織の顔色を窺いながら言うと、詩織は軽く目を伏せてから表情を曇らせてしまった。
俺はその反応が分からなくて、次の言葉が出てこない。
すると詩織が視線を落としたまま、「迷惑だった?」と小さな声で呟いた。
俺はその正反対だったので、咄嗟に「まさか!!」と返す。
そして自分の正直な気持ちを伝えようとしたところで、後ろから誰かに腕を掴まれてビックリして振り返った。
「井坂君!!勇ちゃんが呼んでたよ!!」
そこには葛木と葛木と仲の良い女子が一人立っていて、俺はタイミングの悪さに顔が引きつった。
目の前では詩織が目だけを大きく見開いて固まっている。
俺は堪らず腕を振り払うと、二人に向かって声を荒げた。
「葛木!!こういうのはやめろって前にも言っただろ!?」
「え~?こんなのただのスキンシップじゃない?な~に?もしかして、ちょっとは意識してくれてるの~?」
「バッ!!バカか!!何言ってんだ!!」
俺は葛木の発言にサーっと血の気が引いていって、詩織の方が見れなくなる。
葛木はぶすっとした顔で拗ねると、ふっと息を吐いてから言った。
「ほんっと、井坂君って…。―――まぁ、いいや。あのね、勇ちゃんが20日のことで、話したいことあるから来てくれって言ってるけど?」
「20日のこと…??」
俺は葛木の言う20日のことに心当たりがなくて、鹿島に呼び出される意味も分からない。
何か約束でもしていただろうか…?と考えていると、横から落ち着いた詩織の声が聞こえた。
「そっか…。…用事…、あったんだね。ごめんね。…チケットの事は忘れてくれていいから。」
詩織はギュッと眉間に皺を寄せた苦しそうな表情でそう言うと、俺と葛木を避けて教室に戻ってしまった。
俺は20日がライブの日だと瞬間的に思い出すと、「違うっ!!」と詩織の背へ叫ぶが、詩織は俺の声に立ち止まってくれなかった。
俺は誤解を解こうと教室に足を向けるが、葛木ともう一人の女子に腕を掴まれて動けなくなる。
「井坂君!勇ちゃんが呼んでるんだってば!!」
「放せっ!!俺は鹿島に用なんかねぇよ!!」
「すぐ終わるから!!とにかく来て!私たちは勇ちゃんに頼まれたんだから~!!」
「うるせぇっ!!放せっ!!」
俺が苛立ちから思いっきり腕を振り払おうとしたとき、以前と似たような状況に手が止まった。
葛木を突き落したときの嫌な記憶がフラッシュバックして、抵抗をやめる。
くそ…っ!!
俺は苦々しく奥歯を噛みしめると、二人の要望に従って鹿島のところへ行くことにしたのだった。
***
鹿島のいる4組にやってくると、鹿島は同じようにチャラそうな男子数名と茶髪に化粧の濃い女子を3人と仲良さげに話していて、俺に気づくなり嬉しそうに手を振ってきた。
俺は鹿島の姿にイラッとしながら、「何だよ!?」とぶっきらぼうに訊く。
すると鹿島は軽く笑ったあとに、周りのメンバーを見てから言った。
「えらく不機嫌だな~!せっかく傷心であろうお前のために、楽しい企画を立ち上げてやったっていうのによ~!!」
「は?企画??」
俺はとにかく早く話を聞いて詩織のところに戻りたかったので、鹿島を睨みつけて続きを促す。
鹿島はそんな俺を見て、鼻で笑うと身振り手振りしながら説明を始めた。
「名付けて!!井坂慰め会!!ってとこだな!お前、追試受けたりとか、色々あったみてぇだし。友達の俺が励ましてやろうと思ったわけだよ。つーわけで、20日空いてるよな?」
それで20日って…
俺は葛木たちの説明の仕方の悪さに、頭が痛くなって手で頭を支えた。
そしてワクワク顔をしている鹿島を見て、「空いてねぇ。」と返すと背を向けた。
「悪いけど、先約がある。20日は無理だ。」
「ちょいちょい!!断るの早すぎだっつーの!!時間なら調節するから、2時間ぐらい付き合えよ~。」
鹿島は俺と肩を組んでくると、以前のように馴れ馴れしくスキンシップしてくる。
俺は詩織だけを見ると決めていたので「無理だ」と繰り返す。
しかし、鹿島は俺が「行く。」と言うまで帰さないつもりのようで、俺の背にへばりついてに離れようとしない。
俺は何度も「無理だ。」と言って引きはがそうと悪戦苦闘している内に休み時間が終わってしまい、
教室を出るときに強制的に約束させられたのだった。
そして俺は教室に帰るなり詩織に弁明しようとしたが、なぜか小波や八牧が俺を詩織に近付かせようとしなくて、言い訳できないままに心苦しい思いを抱える結果になってしまったのだった。
どこまでもダメな男です。あと少しでこの鹿島編も終了します。




