104、蓋した気持ち
島田君と一緒にワッフルを食べに行って、私は彼の明るい雰囲気に元気を分けてもらって、随分と色んなものが吹っ切れた。
やっぱり、島田君は私を笑顔にしてくれるお薬みたいだ…
私は以前にも思ったことを再度思って、ふふっと笑みが漏れた。
「あれ?詩織、珍しくご機嫌だね。」
「そっかな?」
あゆちゃんがどこか嬉しそうな顔で話しかけてきて、私は彼女には心配をかけた分平気だと伝えたくて、普段通りに返した。
「何か良いことでもあったの?」
「う~ん…良いことっていうか…、昨日島田君とワッフル食べに行ったんだよね。あゆちゃんが言ってた、あの新しくできたお店。」
「あー!!ショッピングモールの!?ってか、なんで島田と!?」
あゆちゃんが興奮しながら、私の前の椅子に座って身を寄せてくる。
私はそこまで驚かれるとは思わなかったので、目を何度か瞬いてから答えた。
「昨日、流れで誘われて…。たぶん色々落ちてた私を見兼ねて誘ってくれたんだと思う。」
「へぇ~……。あいつがねぇ…。そっか…。」
あゆちゃんが考え込むように黙り込んでしまって、私は彼女の雰囲気が変わったのを感じ取って様子を窺う。
そんなに二人でワッフル食べたのおかしかったかな…?
私があゆちゃんの顔を覗き込むと、あゆちゃんが何か思い至ったのか急に立ち上がって驚いた。
「ちょっと、行ってくる!」
「え?あゆちゃん!?」
あゆちゃんは何を思ったのか、島田君や赤井君、北野君、そして…井坂君の固まっている所に向かっていってしまって、私はただあゆちゃんの背を見つめることしかできなかった。
あゆちゃんは島田君に向かって何かを言っていて、それを聞いた島田君が焦ったように井坂君に顔を向けて何やら言っている。
井坂君の姿は赤井君の姿に隠れて私からは見えなくて、島田君が何を焦っているのかが気になった。
すると、赤井君と北野君が緊張したような面持ちで井坂君と島田君から離れて、私にも井坂君の姿が見えた。
見えた瞬間、井坂君が立ちあがって「ふざけんなっ!!」と怒鳴ったのがここまで聞こえてくる。
な…何!?
私が剣幕な様子の井坂君と島田君を見ていると、あゆちゃんが逃げるようにこっちに帰って来た。
あゆちゃんは含み笑いしていて、「爆弾投下してきた。」と報告してくれる。
私は爆弾の意味が分からなくてあゆちゃんを見つめるが、あゆちゃんは井坂君の方を指さして黙ってしまって、それ以上は教えてくれないようだった。
私はあゆちゃんに促されるまま井坂君に目を戻すと、井坂君もこっちを見ていて、目が合った事に体がビクッと震えた。
なぜだか目を逸らすことができなくて見つめていると、井坂君がサッと先に逸らしてしまって、その後に島田君の腕を掴むと二人で教室を出ていってしまった。
私はそれを気にしながらも教室の端と端で目が合ってしばらく見つめ合ったことに、既視感を感じていた。
今の状況に…覚えがある…
ただ、目が合って…ずっと見つめ合ってた…
あれは…確か、一年の―――――
私はそこまで思い出して、思わず俯いて頭を振った。
違う!!今のは違う!!
あのときと一緒なんかじゃない!!
私は両手で頭を支えると、思い出さないように目をギュッと瞑った。
そして何度か細く呼吸して、自分の整理した気持ちに蓋を閉める。
「詩織?どうした?大丈夫??」
目の前からあゆちゃんの心配そうな声が聞こえて、私はハッと我に返ると笑顔を向けた。
「平気!!ちょっと井坂君の怒鳴り声にビックリしただけ!」
私が渇いた笑い声を漏らすとあゆちゃんが「そう?」と言いながら、気遣うような笑顔を浮かべてくれる。
私はそんな彼女に向かって、笑顔で頷いた。
また心配かけるような事をしちゃダメだ。
私は井坂君の思わせぶりな態度に振り回されないと、あの日に決めていた。
そう…井坂君に『触らせたくなかった』発言をされたときだ。
井坂君の一つ一つの行動や言葉に期待してしまうから、振り回される。
もうそんなのはごめんだから、変に期待しない。
以前のように一クラスメイトとして、彼を見ていく。
好かれてるかもしれないなんて、絶対に思っちゃいけない…
そう、言い聞かせて、自分の気持ちを全部飲み込んだ。
だから、今回のことも何か理由をつけて、関連付けたりしたらダメだ。
ただの軽いケンカをしただけ。
そこに私は関係ない。
私は微かに抱いてしまいそうになる期待を消そうと、考えるのを放棄してあゆちゃんに冬休みの話をふったのだった。
***
それから、私と井坂君の関係は変わらないまま何日か過ぎて、とうとう井坂君の追試の日なった。
私はクラスメイトとして井坂君の勉強具合を心配していて、今も教科書を見つめて一心に覚えようとしている井坂君をちらっと見て祈った。
どうか追試で良い点が取れますように…
そして、これ以上自分にできることはないと思って机の中の教科書類を鞄に詰め込むと、赤井君にギャーギャー言われながらも、教科書に集中し続ける井坂君を横目に教室を後にしたのだった。
その足で帰ろうと靴箱に向かいながら、どうしても追試の事が頭から離れなくて、私は靴箱の前で踵を返すと図書室へと方向転換する。
追試が終わる頃まで待って、藤浪先生に井坂君の出来栄えだけでも聞こう。
私は井坂君なら大丈夫と信じる気持ちと、どこかで不調を引きずってないかという心配があって、まっすぐ帰る気にならなかったのだった。
図書室にはナナコもタカさんもいなくて、今日は当番の日じゃないことに落胆しながら、空いている机に鞄を置いて椅子に腰かけた。
そして自分も勉強でもして時間をつぶそうと、鞄を開けて教科書を取り出す。
そのときに教科書の間に見たことのない封筒が挟まっているのに気付いて、おもむろにそれを手に取った。
何…これ…??
私は白い何も書かれていない封筒の裏表を確認すると、中に手を入れて中身を出した。
中に入っていたのは何かのチケットで、私はそのチケットが何か見てみて目を剥く。
これ…!!!
入っていたチケットは、夏に内村君と話していた、近所のホールで行われるベルリシュのライブチケットだった。
私は行きたくて仕方なかったチケットがこんな形で手に入ると思わなくて、混乱して手が震える。
チケットの値段も日付も覚えていて、私はこんな高額な贈り物を誰がしてくれたのか考えた。
そして行き着く答えに一人の顔しか思い浮かばなくて、私は目の奥が熱くなるのを必死に堪える。
違う…そんなはずない…
でも…私のために…こんなことしてくれるの…彼しかいない…
私はチケットを握る手に力が入って、じっと二枚あるチケットを潤む瞳で見つめた。
私がベルリシュが好きだって知っていて、ライブに行きたいってことも知ってて…
そして…私がいつも喜ぶことをしようとしてくれる…そんな素敵な事をしてくれるのは…
―――たった一人…
井坂君しかいない
私は目の前に井坂君の嬉しそうな顔が浮かんで、我慢していた涙が一筋頬を伝った。
なんで…?どうして…??
なんで今、こんなことをしてくるの?
私は鼻をすすると涙をグイッと拭って、チケットを封筒に戻す。
頭には疑問でいっぱいで、胸は井坂君の気持ちを考えて痛く、苦しかった。
これをどうすればいい?
井坂君は私にこれをどうしてほしかったの?
分からない…
やっぱり、私には井坂君が何を考えているのか、さっぱり分からない。
私は封筒を手に持ったまま、机に突っ伏した。
そして、悶々と答えの出ない問いを、心の中で唱え続けたのだった。
***
それから、どれぐらいそうしていたのか分からなかったけど、チャイムの鳴る音を聞いて、私はゆっくりと顔を上げた。
目の前には出しかけた教科書が鞄から飛び出していて、手には白い封筒がある。
私はその封筒をじっと見つめると、少し考えてから立ち上がった。
教科書を鞄に片付けて、その場を後にする。
やっぱり、これは井坂君に返そう。
私は図書室を出ると、足を教室へ向ける。
きっとまだ追試をしているはず…
井坂君に直接渡せなかったどしても、藤浪先生がいるはずなので、先生から井坂君に渡してもらおう。
私は自分から直接渡す想像ができなくて、顔をしかめる。
もし…先生がいなかったら…
井坂君に何て言って渡す…?
追試の最中に渡すのは…よくない…よね…
そもそも返すって行為が、彼の気持ちを傷つける結果にならないだろうか…
私はそこまで考えて、足が自然とゆっくりになった。
心臓がドクドクと速くなって、封筒を持つ手に汗をかいてくる。
封筒が湿るのが分かっていても、一度入った緊張から抜け出せなくなる。
私は自分が怯えていることに気づいて、教室の手前で足を止めた。
ここで逃げちゃダメだ。
このチケットは私が受け取るべきものじゃない。
私は勇気を絞り出すと、一度大きく深呼吸してから前を見据えた。
そして扉の前まで行くと、震える手を伸ばす。
行く!!
意を決して扉を開けようとすると、目の前で勝手に扉が開いて、私は心臓が縮み上がって固まった。
「あれ?谷地。ここで何してるんだ?」
そこには藤浪先生がテストの用紙を手に立っていて、私は教室の中に井坂君がいないのを確認して胸を撫で下ろす。
「あ、あの。井坂君の追試って…。」
「あぁ!!あいつな。体調悪いとかで、今保健室に行ってるんだよ。」
「体調…、保健室って…!?」
私は体調を崩していた事実に驚いて、目を剥いて先生を見つめた。
先生はそんな私の心配に気づいたのか、ハハッと軽く笑う。
「北条先生の話じゃ、そこまで悪いわけじゃなさそうなんだ。ただ、少し休ませた方が良いって言われてな。あいつの様子を見て、追試を続行するか考えようかとな~。」
私は先生の言い方から、本当に大したことはなさそうだと感じたけど、体がソワソワし出していてもたってもいられなくなる。
「あ、あの!!井坂君は保健室にいるんですか!?」
「うん?…あぁ。北条先生の話じゃ、そうみたいだな。あ、もし保健室に行くなら、あいつの様子見てきてくれないか?」
私がとりあえず頷くと、先生が目の前でテスト用紙をひらひらさせながら続ける。
「あいつの体調次第で延期するかどうか決めたいからな。平気そうなら五時までに俺の所に来るよう、伝えてくれ。」
「わ、分かりました。」
先生はへらっと優しい笑顔を浮かべると「頼んだぞー。」と言って、廊下をペタペタとスリッパの音を響かせながら行ってしまう。
私はその背を数秒見送ると、ハッと我に返って保健室に向かって走り出したのだった。
***
「失礼します!!」
私が走った勢いのまま保健室に飛び込むと、保健室の北条先生が目をパチクリさせながら私を見た。
そして「あぁ!」と何かに気づいて、私を手招きしてくる。
私はそんな可愛い仕草をする先生に近付くと、先生が柔らかい笑顔を浮かべて言った。
「井坂君でしょ?今はぐっすり眠ってるわ。寝不足だったのか、声をかけても起きないのよ。」
「そうなんですか…。」
私は先生の何でもお見通しのような空気に戸惑って、気にはなるけど井坂君の寝てるベッドに近付けない。
北条先生はそんな私の心情を知ってか知らずか、何だか温かい保護者のような目で見ている気がする…。
私はそんな空気に耐えられなくて、聞きたかったことを尋ねた。
「あの、井坂君は大丈夫ですか?」
「ふふっ。大丈夫よ。体調が悪いわけでもないし、ただ寝てるだけ。心配は必要ないわ。なんなら目が覚めるまで傍にいてあげてもいいわよ?」
「え!?どうしてっ!?」
私が驚いて目を見開くと、先生は何が面白いのか笑いながら言う。
「何~?とぼけちゃって!!修学旅行のときとは真逆ね。先生、キュンときちゃったわ~。」
先生の言葉を聞いて、私はボフッと顔が一気に熱くなった。
そういえば、先生には私の醜態とか…見られてるんだった…。
私は恥ずかしくなって、その場で俯いてどうしようか考え込む。
すると先生はそんな私の背を押すと、カーテンで仕切られているベッドのある場所へ私を押し込んだ。
「ちょうど出なきゃいけない用事があったのよ!少しここ空けるから、戻るまで井坂君の様子見ててね~。」
「えっ!?先生!!」
私が振り返ってカーテンから顔を出すと、先生はひらひらと手を振って軽やかな足取りで部屋を出ていってしまう。
そんな…いきなり…二人っきりなんて…!
私はしばらくぽかんと固まっていたけど、ゆっくり後ろに振り返ると井坂君が寝ているのを確認する。
井坂君はスースーと寝息を立てて眠っていて、私は顔色も良い姿にほっと安堵する。
そこまで体調は悪くないのかも…
目が覚めたら、いつも通りの元気な井坂君に戻ってるよね
私は手が勝手に井坂君の方へ伸びて、私は自分で自分の無意識の行動に驚く。
焦って手を引っ込めるけど、私は自分の動き出した気持ちに抑えがきかなくなって顔をしかめた。
ダメだ…
気持ちを忘れようと思うのに、体が…心が勝手に動いちゃう…
井坂君が辛いなら…傍に行きたい…
立ち上がれないくらいしんどいなら…支えたいって思ってしまう…
私は我慢ができなくなって、ベッドに一歩近づくと布団の上にのっていた井坂君の手をそっと握った。
「好き…。…大好き…。」
私は手から伝わる温かさに口から勝手に気持ちが飛び出した。
泣きたくなるのを堪えるために、ギュッと眉間に皺を寄せるとそのまま俯く。
この気持ちをなかったことになんかできない…
どうすればいい…?
どうすれば…楽になれるの…?
聖奈さんとのことを許せば、井坂君は戻ってきてくれる?
やっぱり別れたくなかったなんて言って…
井坂君を困らせる事にならない?
私の我が儘をぶつけて…本当に大丈夫?
今以上に、嫌われる結果にならない?
私は井坂君と元に戻りたい一心で、様々な不安や疑問が溢れてくる。
でも、もう私の中に井坂君に対する気持ちを諦める選択肢はなかった。
何か私と井坂君を繋ぐものがないかと考える。
そのとき、自分の手に持っていた封筒が目に入って、私はハッと良いことを思いついた。
私は封筒からチケットを一枚だけ取り出すと、自分の鞄にしまう。
そして、残った一枚のチケットと封筒を見て、私は筆記用具で封筒の裏にメッセージを書いた。
井坂君の気持ちを試すわけじゃないけど、面と向かっては言える自信がなかったので賭けることにした。
私は書き終えると、書いた内容を読み返して確認した。
うん…。これで大丈夫…。
私は封筒を表にすると、井坂君の手を重しにしてベッドに置く。
後は、井坂君を信じるだけ…
私はふーっと息を吐くと、井坂君の寝顔を見つめて表情が緩んだ。
そのときガラッと音がして、北条先生がカーテンの向こうに姿を見せた。
「あ、ちゃんと見ててくれたのね。ありがとう。」
北条先生は私がいたことに嬉しそうに笑って、私は先生に笑顔を返す。
もうクヨクヨ悩まない
私は久しぶりに気持ちが熱く燻っていて、気分が晴れやかだった。
その後は、先生に藤浪先生からの伝言を井坂君に伝えてもらうようにお願いして、保健室を後にしたのだった。
次は井坂視点の話になります。




