ゆえに満たされる。
「さ、て。他はどうする?このまま黙って見送ってくれるのなら、僕から何かをするつもりはないよ。まぁ、『碧』はもう動けないか。そんなに警戒しなくても、そこにいる男に止めを刺すつもりはないよ」
ユグラの言葉にハッとし、碧の魔王の周囲を探知する。碧の魔王は既に部屋に『繁栄』の力を宿した根を這わせていた。それは戦闘のためではなく、アークリアルの延命措置のためだ。
既に反応を見せなくなったアークリアルの体には、地面から生えだす植物の蔦が絡まりだしている。
アークリアルの様態は……死の一歩手前といったところ。それを瀬戸際で食い止めている。流石は生命の扱いに長けた魔王、戦う時よりも行動に迷いがない。
いや、この人も揺らいではいたのだろう。だがアークリアルの決死の覚悟が目を覚まさせた。私よりも早く、現実と向き合うことに戻れたのだ。
あの時、崩れ落ちていくアークリアルと目があった。彼は自らの胴体が切断されてもなお、私に訴えていた。
『俺はやりきったぜ。次はお前の番だ、ハイヤ』
彼とはこの戦争で初めて出会い、会話をしたのは本当に少しの時間だけだった。私の強さを肌で感じ、好奇心に溢れた目を輝かせていたのを覚えている。
彼と交わした口約束、この戦いが終われば是非手合わせを。この状況で思い出しても、何も感情は揺れない。それが叶わないことだと互いに悟っていたのだろう。
「――選べ、ハイヤ。貴様に任せる。命くらいは預けよう」
「……いえ、貴方はアークリアルをお願いします。ここで失うには惜しい男ですから」
僅かな間ではあるが、私に覚悟を取り戻させてくれた男の姿を目に焼き付け、再びユグラと向き合う。
この男に必ず勝てる術など存在ない。あわよくば、ひょっとすれば、もしかすれば、そのくらいの期待を抱いて仕掛けた戦いだ。それが予想以上の想像以上に破られて放心していただけの話。我ながら変な表現ですね。
「ハイヤさん……っ!」
背中で聞こえるウルフェさんの声。彼女の感覚ではこの部屋で起きた出来事の一割も理解できていない。それでも、私が今から何をするかは理解できてしまったのだろう。
彼女にはほんの少しではあるが、自分と重なるものがあった。周囲から孤立し、世界の中で自分だけが孤独だと感じ、世界から色を見失った者同士。
「それでは行って参ります。彩りある人生を」
それでもウルフェさんは色を取り戻せた。私にも彼女のように取り戻せる可能性があるのだと、証明してくれた。それが私にとってどれほど救いだったことか。
未練がないわけではない。きっと私も同じように世界に彩りを感じられる日が必ずくる。彼や陛下は私のような怪物でもきっと受け入れてくれるのでしょう。
それでも、これは私が思い描き続けてきた結末。どうして足を止められるでしょうか。
一歩踏み込み、ユグラの正面へと飛びつく。対応はなし、既に格付けは済んだと言わんばかりに抵抗はない。ならば好都合。ユグラの首を掴み、部屋の壁へと叩きつける。
「それが君の返答かな?」
「いえ、これからですとも」
叩きつけるのと同時に、壁の強度へと干渉し限りなく脆くする。壁は容易く壊れ、私とユグラの勢いは止まらないまま部屋を突き抜ける。
二枚、三枚と続けて壁を破壊し、床石を踏み破りながら更に加速をつけていく。ユグラは小さく溜息を吐きながら、遠くで何かの魔法を使用した。おそらくは部屋に残してきた無色の魔王を回収したのだろう。
城の最後の壁を破壊し、同時に思い切り跳躍する。視野に入るのは広大なターイズ魔界の樹林。
碧の魔王、少々庭を荒らしてしまうでしょうが、お許しください。多分私への小言を呟きながら陛下が弁償してくださるでしょう。
「別に他の連中を巻き込むつもりはないんだけどね」
「私が巻き込んでしまうのですよ。なにぶん、本気で戦うのは初めてですから」
「――へぇ」
ユグラの瞳に、ようやく興味の色が滲んできた。既にこの男は私の体の異変に気づいているのでしょう。
ええ、そうです。私は恐れていた。何か一つ超越した才能を得る都度に、失われていく人間性。それらを手放すのが惜しくて、怖かった。だからその才能を創り出しても、私自身に適応させることは止めていた。そんなことを延々と繰り返していた。
でもアークリアルのおかげでもう迷うこともなくなった。
「お望み通り、私が思いつく限り、全ての才能を開花させてみせましょう。人でもなく、魔王でもない。ユグラ=ハイヤという怪物の結末を貴方に見せてあげましょう」
「あは、いらっしゃい」
雑念を抱くことなく、可能にしたいことをイメージ。体はそのイメージ通りに遙か先の大地へとユグラを投げつける。その速度は音よりも早く、並の山よりも巨大な樹林を次々と薙ぎ払っていく。
才能達は万能感を与え、対価として心を澄み切らせていく。既に武術の達人の域であったはずの精神が、幾重もの壁や扉を開き、自身が先の存在へと昇華されていくのを実感していく。
ああ、もう戻れない。今から人の範疇へと戻るということは、四肢を切断し、脳に汚泥を注ぎ込む行為よりも自身を奪うことになる。
魔力を無尽蔵に生み出せる。理や法則を意思として扱える。もしもここにいるのが私だけなら、私は自身が神になったと錯覚していたのだろう。
「ちょっと増長が過多なようだけれど、これで『黒』よりかは強くなったかな」
ここまでしても、ユグラは私を超えている。差を詰めたはずなのに、強くなることでさらにその差が明確にあるのだと思いしらされている。
いくら覚悟が並んだとしても、それまでに費やした時間に差がありすぎる。ここから私が無限大に強くなっていっても、ユグラの強さに追いつくには膨大な年月が掛かる。
それでも、止まることはできない。捨てた以上は止まる意味がないのだ。
握りしめた剣が砕けた。もうこの世界の物質では私の力に耐えられない。ならば直接叩く以外にないだろう。
ユグラとの距離を消し、拳を叩きつけたという結果を生み出す。そして可能な限り因子を滅――
「――ッ!?」
「この領域に踏み込むと、最初は道具が馬鹿みたいに思えるだろう?まあ、下手に用意しても自らの成長には追いつけないわけだしね」
ユグラの手に握られた剣に、私の拳は阻まれている。剣に埋め込まれた因子を分析。解析不能。現段階で認識できる容量を大きく超えている。
唯一把握できたのは、この剣こそが勇者の為に用意された勇者の剣であるということ。
「欲しい?別にあげてもいいよ、適当に扱う分には壊れなくて便利な程度だし。ああ、でも君は勇者のスペアだったね。じゃあ適任じゃないか」
「ユ……グラッ!」
「同じユグラだろうに。そこはナリヤって呼んでおくれよ。あ、パパでもいいけどね?あははっ」
ユグラは剣を少しも惜しまずに放り捨て、私の首と肩を掴む。そして次の瞬間には私が大地へと組み伏せられていた。
反応するはずの才能が、機能していない。私の創り出した才能一つ一つに対応したユグラの才能が、それを防いでいるのだ。
「ハイヤ。君の名前はね、僕の名前にちなんだものなんだ。ええと、言語認識を弄ってっと……『成也』、僕の名前はこういうふうに『漢字』で書くんだよ」
ユグラの言葉に合わせ、未知の言語が流れ込む。世界の理が私からこの情報を奪おうと干渉を開始しているが、それをユグラが抑え込んでいるようだ。
「君の名は『湯倉敗也』。『敗』は『成敗』からきたものだ。意味は伝わっているかな?そう、君は最初から失敗作として名付けられたわけだ」
「……言葉は知らなくても、貴方が私に向けた感情で察していましたよ」
感情に因果を乗せ、力技でユグラの拘束を振りほどく。常に強くなり続けている私に対し、ユグラは本気を出していない。出すつもりも必要性もないのだろう。
既に頭の中では敗北が確定していて、論理的思考がこの戦いを止めるべきだと結論を済ませている。
それでも、止まれない。止まりたくない。まだ私の体は前に躓いたままなのだ。残されていた人間性が押した背中への感触を、忘れたくないのだ。
「それでも挑むんだ?彼に期待しているのかい?彼の心や記憶は既に読み取っている。彼はこの戦争を通して、何かを企んでいるわけじゃないんだよ?ただ、せめてもの機会を与えているだけに過ぎない。この戦争が終われば僕が世界を元通りにする。その結末は変わらない」
「……ふふ、なるほど。こういう感覚ですか」
人間性を失いながらも、ユグラが笑ったりしていた理由がわかった。自身が知る絶対的な論理と余りにも的外れな場合、それが滑稽で仕方ないのだ。
「なにがおかしかったのかな?」
「いえ、貴方は彼をよく理解していないようだ。彼が今現在何も企んでいなくても、かならず繋がるものがあります。この戦争も、きっと彼にとって必要な要素として利用される」
「んー、かもしれないね。最近は心を覗いていないけど、何かを思っているのは確かだろうし。でもさ、それだけ信用する相手がいながらさ、どうして君はここで死のうとしているのかな?」
ユグラの手にはいつの間にか勇者の剣が握られている。それに匹敵するものをイメージし、剣を創造する。自身の理論上では条件を満たす武器を生成するも、一合受けただけでそれは塵へと還されてしまう。
ユグラの強さは私の強さに合わせて上昇していく。少しでも私の進化が遅れれば、それが最期となるのだろう。
「――決まっていますよ。私の生まれた意味を果たすためですよ」
だがそれがどうした。命なんて、自らの意味を果たしてこそ価値のあるものだろう。次の剣を創り出し、打ち合う。
「勇者のスペアとしての意味かい?確かに僕は勇者の剣を握った勇者だけれど、白の魔王でもあるからね。魔王に立ち向かうという意味では、勇者に違いないね」
「貴方が勝手に名乗っている役職なんてどうでもいいですよ」
勇者の代わりとして創られた存在。その言葉と何度向き合ってきただろうか。
私はとっくに人として戻れる境界線を超えてしまっていた。その気になれば体の老いを止めることもでき、魔王達と同じように永久の時間を生きることもできる。
ゆえにどれほど人として生きようとも、人としての一生では私の中には満たされぬ空洞が残り続けていた。
それを誤魔化し続けて生きることに、意味はあるのだろうか。私がこの場所に辿り着いた意味を、なかったことにして良いのだろうか。
これは欲だ。私に残された人としての感情が、最後まで抱き続けていた欲。私は自分の一生に意味を持たせたかった。自分が創られた意味を、自らの手で証明したかった。
彼が現れてから、私は内心悩んでいた。ウルフェさんやエクドイクさん、彼に導かれた者達を見て私の心は大きく揺れていた。
陛下の側にいる彼を見て、彼ならばきっと私の中にある空洞を埋める手段を見つけてくれるかもしれない。世界に彩りを与えてくれるかもしれないと感じていたからだ。
まるで流行り病のように広がるその意思は、とても優しく、魅惑的だった。私も皆のように、無難に生きたいという願いを抱きそうになっていた。
「そうかい?まあ、僕も正直役職なんて嫌いだしね。他人から求められた自らが生まれた意味。そんなものに固執して平穏な最期を捨てるなんて、愚かだとは思わないかい?」
「全てをなかった事にしようとしている分際で、よく言えますね?」
もう何本目の剣を無から創造したか。剣が折れる都度に、自身の中から何か大切なものが失われていくのが分かる。それでも剣を握り直す力はどんどん増していく。
ユグラが時空魔法を使用すれば、世界はやり直される。そうすれば私が生まれることはなくなるだろう。私が生まれた意味が、無かったままに存在すら消えていくのだ。これほど空虚なことがあるだろうか。
たとえ彼がユグラを止めたとしても、その先に私の役割を果たす機会は現れないだろう。彼らの前に現れる困難は、彼ら自身で乗り越えなければならないのだ。
ならば私は私で打ち破るべき困難へと挑みたい。それが成し遂げられない不可能なことだとしても。
「言われてみればその通りだ。君を創った意味すら完全に無かったことになるんだったね。いやぁ、ごめんごめん」
「謝る気があったとは、驚きですね」
「悪いことをしたなと、理解することくらいはできるよ。罪悪感なんかないし、止めるつもりもないし、救ってあげるつもりもないけど」
「ええ、ありがとうございます」
本当にありがとう、ユグラ。これで迷いなく、全てを出し切ることができます。私が挑み続ける絶望として、最後まで徹底して憎まれ役を演じてくれたことに、感謝致します。
最後の剣が折れるのと同時に、ユグラが握っていた剣が宙へと舞う。勇者の剣を上回ることはできずとも、意思を貫くことは示せたようだ。
折れたままの剣をユグラの胸へと突き刺し、全ての意識を剣先へと集中させる。構築や法則や概念なんて、細かいことを考える必要はない。今ある全てを注ぎ込み、それを叩き込むだけだ。
「――自爆する気か。まあ、悪くない散り様ではあるか。……野暮だけど、聞いておこうか。ハイヤ。君にとって勇者とはなんだい?」
「勇気を持ち、そして行動として示せる者です。……私自身よりも強大な困難へと立ち向かわせていただき、ありがとうございました」
「どういたしまして。救いはしないけど、生みの親として手向けの花くらいはやるよ」
「あ、そこは認知していただかなくて結構です。親が魔王の勇者はちょっと個人的にどうかと思いますし、それ以前にこんな親はちょっと……」
「ぐうの音も出ないね。おめでとう、僕から一本取れたじゃないか」
剣先に集中させた力を解き放つ。全てを出し切り、今の私は満たされている。それでも少しだけ、名残惜しいなと彼の顔を思い出した。
人の姿をしながら人ではなく、魔王や魔族のように人であった時もない。
それでも抱いていたのは人の心で、その心から生まれた欲を満たすことが、人である証明だと信じた存在のお話でした。
だいたいユグラのせい。




