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おいで、おいで

 「おいで、おいで」

 俺の目の前では、婆さんが手招きしながらそう言っていた。にこにこと笑って、俺を家の奥に誘っている。この婆さんの様子が怪しいように思えるのは、俺の仕事が詐欺まがいの押し売り稼業で、人を騙す事に精通しているからではないだろう。はっきり言って、誰でも怪しいと思うはずだ。

 その婆さんは子供を、いや、下手すれば犬や猫を罠にかけるようなそんな様子で俺を誘っていたのだ。俺を馬鹿だと思っているのか、この婆さんが馬鹿なのか、或いはその両方なのか。

 しかし、こうまで怪しいと、逆に罠ではないようにも思えてくるから不思議だ。もし俺を騙す気でいたのなら、もっと上手くやるだろう。こんな見え透いた演技ではなく。

 「おいで、おいで」

 どう判断するべきか迷っている俺に向かって、婆さんはそう言って目の間で手招きをし続けていた。

 

 俺はある老夫婦の家に訪問販売をしている最中で、その老夫婦の家は、同業の知り合いから教わった。いつもは独り占めするのに、何故かそいつは「カモがいるぞ」と俺にこの家を携帯電話で教えてくれたのだ。

 「一体、どういう風の吹き回しだ?」

 その時、俺が不思議に思ってそう訊くと、「他にも知り合いがいたら紹介してくれって頼まれたんだよ」と、そいつは返して来た。

 なんだか分からないが、このところ、成績不振だったので、俺は喜んでそいつの教えてくれた家を訪ねた。ドアのチャイムを鳴らすと、中から出て来たのは婆さんで、その婆さんは、

 「この歳になると、足腰が弱くなるもんだから、あなたみたいに家を訪ねて来てくれるのはありがたいのだよ」

 とか、そんな事を言って来た。満面の笑みを浮かべている。

 ――なるほど、カモだ。

 それで俺はそう思うと、早速、まがい物の宝石類を売りつけようと、いつもの口上を始めた。しかし、おかしいのだ。婆さんは俺の話なんかほとんど聞いていないよう思えたのだった。

 「そんな事より、家にお上がりなせぇ」

 俺は玄関で婆さんと話していたのだが、妙に急いた様子で、婆さんは俺にそう言って来た。そして、そこに至って、俺は不審に思ったのだ。

 ――どうして、この婆さんは、俺を家に上げようとしているのだ?

 普通なら、警戒するものだ。

 「中には甘いお菓子もあるし」

 迷っている俺に、婆さんは更にそう言った。“小さな、子共じゃあるまいし”。俺はそう思う。そして俺が戸惑っていると、婆さんはまるで赤ん坊をあやすように。

 「おいで、おいで」

 とそう言い始めたのだった。手招きをしながら。そして俺は、その動作に恐怖を覚えたのだ。

 「おいで、おいで」

 「おいで、おいで」

 婆さんは手招きをし続けている。そこで俺はふとこの家を紹介してくれた知人の事が気になった。それでその場で、携帯電話で連絡を取ってみる事にしたのだ。この婆さんに対して失礼になるとも思ったが、構うものかと電話をかけてやった。

 すると、その途端に、家の奥から携帯電話の着信音が聞こえて来たのだ。

 “――なんだ?”

 俺は思う。

 “どうして、この家の奥から、着信音が聞こえて来るんだ?”

 もちろん、単なる偶然かとも思ったが、それで済ますには不気味過ぎた。誰もその電話には出なかった。やがて、家の奥から「婆さん、お客さんは、まだかい?」という爺さんらしき声が聞こえて来た。婆さんは、

 「ちょっと待ってくださいな。後少しですから」

 と、そう応えた。

 何がだ? 何が後少しなんだ?

 俺はその婆さんの返答に怯えた。まだ、知人は俺の電話に出る気配を見せず、そして家の奥からの着信音も消えなかった。そして、

 「おいで、おいで」

 「おいで、おいで」

 婆さんはにこにこと笑って、またそう言い始めた。手招きをしている。恐怖に耐え切れなくなった俺は、そこでその家から逃げ出してしまった。

 

 その家から遠く離れた後で、俺は知人の事が心配になった。アイツは、一体、どうなってしまったのだろう?

 ところがそう思ったところで、携帯電話の着信音が鳴ったのだ。見ると、その心配をしていた知人からだった。恐らくは、先の俺の電話への返信だろう。やはり、さっきの老夫婦の家で着信音が聞こえたのは、ただの偶然だったのだ。

 安心して俺は電話に出る。

 「よぉ、ちょっと心配したんだよ…」

 そう言いかける。ところが、電話の向こうから聞こえて来た声は、その知人のものではなかったのだった。

 「おいで、おいで」

 「おいで、おいで」

 「おいで、おいで」

 さっきの婆さん。甘ったるい気味の悪い声で、婆さんは俺に向かってそう言い続けていた。

 

 「おいで、おいで」

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