飛翔
文字通り、光の天馬は空を飛ぶように翔けている。まるで切り裂くように真っ直ぐと空の向こうへ跳んでいく間、考えるのは黒姫様やセリオン隊長のことばかりだった。
――初めてセリオン隊長と相見えた、入隊初日のあの日。色無しだと周りが嘲笑する中、セリオン隊長は蔑むような態度など微塵も見せずに歓迎してくれた。一人前の騎士として団に迎え入れてくれた。
頼もしく、隊長としての自信と風格に溢れ、誰もが羨むような高潔な騎士だったセリオン隊長。
どうして彼が……いつから羨望と憧れ、庇護の眼差しが執着の思いに変わった。もっと早くに声をかけていれば、なにか変わったのだろうか。
セリオン隊長ならばと、心のどこかでは彼が道を踏み外すはずがないという信頼があった。彼は陛下の信頼を裏切ってまで、黒姫様の心を無視してまで強行手段をとるほどに、限界だったのだろうか。
それまで真っ直ぐに突き進んでいた光の天馬が、突如嘶きとともに棹立ちになった。
「……っ、どうしたのですか」
あまりにその嘶きが悲しげだったので、手綱を操りながらも首を撫で、天馬をなだめる。天馬はなにかを訴えたそうにしていたが、やがてその首を巡らすと、自らの意思で目的地とは若干逸れた方向へと進み始めた。
「そちらは……」
違う、と続けようとして、いや、その意思のある行動に任せてみようと思い立つ。
光の天馬が指示に反してまでそうしたいと思ったのだ。もしかしたらなにか意味のあることなのかもしれない。手綱から力を抜いたのがわかったのか、天馬はより一層疾走するように躍動した。――そうした私の読みは、合っていた。
やがて天馬の目指す方向、眼前。うっすらと見えてきた光景に、思わず唇を噛み締める。延々と続いていた黒々とした森の木が薙ぎ倒されて、まるで太陽でも落ちてきたかのように大地が抉れている。
あの場所でおそらくアシュロム様の身になにかあったのだと、そしてその身に起こったことを天馬は悲嘆しているのだと、唐突に理解した。
段々と開けてきた大きく禿げた大地に、ぽつりと立ち竦んでいる人影を見つけたとき、私は今までの人生でこれ以上ないというほどに安堵を覚えた。しかし、その安堵が空振りだったとすぐに思い知った。なぜなら視界に入ったセリオン隊長が、今にも黒姫様を捕まえようと迫っているところだったからだ。
「あなたの魔力が尽きるまで、すべて丸ごとこの私に与えてくれ……!」
「いやっ……!」
「黒姫様!」
立ち竦む怯えた後ろ姿に、必死の思いで手を伸ばす。顔を上げた黒姫様は私に気づくと、すぐにセリオン隊長に背を向けてこっちへと手を伸ばし返してきた。
その手を掴み、間一髪で黒姫様を掬い上げる。空中で足踏みし止まった天馬は、愕然と立ち竦むセリオン隊長を睥睨した。
腕の中の黒姫様は目を見開き恐れに体を震わせていたが、やがてその目から静かに涙を流し始めた。
「……泣くほど、辛い思いをさせてしまったのですね」
「違うんです」
場違いにも、その涙が綺麗だと思ってしまった。黒翡翠のような瞳からこぼれる透明な涙は、まるで黒姫様の綺麗な心の欠片のようだ。
その欠片をこぼしながら震えるように心中を吐露する黒姫様に、少しでも受け止めたくてそれをすくい取る。
それから唐突に沸き起こってきたのは、もう終わらせなければならないという使命感だった。
これ以上黒姫様を脅かすものの存在を許すことはできない。
見下ろしたセリオン隊長の、もうあの頃の面影もない侮蔑に歪む顔。
抗いがたい誘惑に絡め取られてしまった彼を、いい加減に解放しなければ。そしてそれができるのは――。
「黒姫様、あなたの力を少しお借りしてもよろしいでしょうか」
「……あの人を解放できるのなら、いくらでも使ってください」
静かに返ってきた言葉に、頷きを返す。それから黒姫様の甘くて甘くて芳しい、とろりと解けるような濃厚な魔力を取り込もうと魔力の器の入口を最大限に開いた。
それはまるで、体の中を侵食されるような感覚だった。
甘い、寂しい、甘い、怖い、甘い、悲しい……黒姫様の狂おしいほどの感情を伴った、呑み込まれそうなほどに甘い魔力が押し潰さんばかりにこっちへと押し寄せてくる。それをなんとか制御しながら、今度は常日頃空っぽでなにも通らない、私の魔力の通り道へと流し込む。
そうして二人の力を合わせて現れたのは、まるで漆黒の不穏な闇が集まって、それが凝縮したかのように固まった、禍々しい槍だった。
その禍々しい槍は、持っているだけで体中の魔力を吸い取ろうとしていた。私の体の中を侵食しようと押し寄せる黒色の魔力と、それを吸い込まんとする黒色の槍。
黒姫様の慈悲が込められたその槍を持ち直して構える。見た目に反して少しも重さは感じない。
「黒姫様っ……」
縋るような隊長の声、切ないほどの渇望。その声に呼応するように、一際燃え上がった炎。それすらもかき消しながらも、漆黒の槍は吸い込まれるようにセリオン隊長の胸に刺さってゆく。
彼の中の魔力が尽きる刹那、目が合う。最後の最後まで彼は黒姫様を望みながら、しかしその渇望していた魔力は全部吸い込まれて消え去ってしまった。
あとに残されたのは、かつてはその腕っぷしと公明正大な人柄で騎士たちの羨望を集めた、稀代の騎士隊長の抜け殻だけだった。




