尋問
コツコツと、静かな足音が辺りに響いた。
「遅かったではないの」
声をかけてきた女は、見事な金の髪をうっとおしげに払いながら高慢そうに足を組み替えた。
それを一瞥したあと、男は目の前の捕虜に視線を移した。
「ハッ……また“色無し”か」
明らかに挑発するようにかけられた声にも、男が動じる様子はない。
ただまっすぐに翠の目を向け、捕虜を見据えている。
「舐められたものだな。よりによって“色無し”がこの私の相手とは。こんな奴を寄越してくるだなんて、この国は私から情報が欲しいんじゃなかったのか」
明らかに見下しているような捕虜の態度だが、それでも男は眉一つ動かさなかった。
「毎日毎日、なにをするでもなく目の前に現れおって」
捕虜はどこか薄気味悪そうに、男を見上げる。
「……そうだ、お前、そこに跪いて乞うてみろ。お前の態度如何によっては、教えてやらないこともないぞ?」
それを部屋の隅で聞いていた、見事な金髪の美女――アシュリーは、あからさまに眉を顰めて、不快感を露わにする。
「リネイセル、いい加減になにか言ったらどうなの。あなたのその態度を見ていたら、この私ですらイライラしてくるわ」
気の短い異母妹にせっつかされ、プラチナブロンドの長い髪を一括りにした男――リネイセルは、ため息をつきながら一歩前へと進み出た。
「誰の指示で来た?」
「靴を舐めろ」
ペッと、唾を吐きかけられる。
「跪け」
その瞬間、アシュリーが手に持っていた扇をふわりと仰いだ。溢れ出た金粉が風にのって、捕虜の周りへとふわふわと舞い散ってゆく。
「いい加減にその減らず口を閉じないと、お前を立派な黄金像にしてニムラスに送りつけてやるから」
「アシュリー様」
窘めるようなリネイセルの声に、アシュリーはふんとそっぽを向く。
捕虜は自分の腕に付着した金の粉をじっと眺めた。この金の粉が体に付くと、途端に体が重くなって自由を奪われる。徐々に呼吸が弱くなり、金縛りにあったようにどうしようもなく体を動かせなくなる。そしてそれがじわじわと心の髄まで忍び寄ってくると、死の足音がもうすぐそこまで聞こえてくる。――散々、もう何度もそう思い知らされた。
だからといって、捕虜にとってはそんなことは恐るるに足らないものだ。痛みや死など、捕虜にとっては常に身近にあるもので、今さら恐れるようなものではない。
「グルーイルか?」
「たかが“色無し”が、あのお方の名を呼び捨てにするな」
捕虜の口調にわずかに滲んだ憤りに、初めてリネイセルの顔に表情が浮かんだ。――薄っすらとだが、酷薄した笑みだった。
「どうやって潜り込んだ。あの二人以外にも協力者がいるはずだ。誰を買収した。誰が裏切り者だ」
「貴様がその名を呼ぶことすら烏滸がましい。今すぐに平伏して謝罪しろ」
「そうやって、のらりくらりと……いつまでも躱せると思うな」
急にリネイセルの声音が冷たくなったかと思うと、明るいプラチナブロンドの髪が、禍々しいほどに根本から黒く染まっていく。
その光景に、アシュリーは慌てて扇で口を覆い隠した。
「さあ、教えろ」
ぞっとするほど冷酷な囁き声に、捕虜の目が限界まで見開かれる。数々の苦痛に耐える訓練は受けてきたが、こうも芳しい魔力に抗う方法など知らない。……与えられていた魔道具に頼る以外に、どう抵抗すればいいのか、捕虜は知らなかった。
「この魔力を知っているだろう。……お前たちが喉から手が出るほど欲しがっている、黒色の姫の魔力だ。欲しいんだろう? この力が。だったら話すといい。お前が知っていることを、すべて話せ……」
捕虜は咄嗟に喉元を抑える。抗い難い強い誘惑が全身を蝕んでいく。
まるで闇のようだと、捕虜は思った。
ねっとりと全身を掴んで離さない、まるで闇の沼に落ちていくかのような錯覚だった。
リネイセルは甘い魔力を漂わせながら、捕虜へと迫る。
「あ……ぁ……」
「……もう少しだな」
少しずつ、少しずつ黒色の魔力に浸漬されてきた捕虜が陥落しかかっている様子を見て、リネイセルは満足そうに頷いた。その髪の色が戻っていく。
「魔力漬けにするのもいいけど、程々にしておかないと、ギルノールの二の舞いよ」
「分かっています」
再び無表情にもどったリネイセルは、がくりと項垂れている捕虜を一瞥すると、背を向けた。
「もうじき吐くでしょう。あとはお好きに」
「あっそう、お好きに、ね……張り合いはないけれど」
嫌味ったらしく肩を竦めてみせたアシュリーに構うことなく、リネイセルは立ち去ろうと歩を進める。
「……まあ、いいわ。この短期間でここまで陥落させたその手腕は、評価してやらないこともないわね」
「……ありがとうございます」
まったくそう思っているように聞こえない声音で、リネイセルはただ淡々と礼を述べる。
「ちょっと、あの子の前以外で表情筋が死ぬその癖、いい加減におやめなさいよ。あんまり過ぎるとその態度のこと、あの子に告げ口するから」
「……それはお止めいただきたい」
「まあ、あの子ならあなたのどんな姿でも喜んで受け入れそうだけど」
「……」
「ねえ、それって喜んでるの? 照れてるの? 恥ずかしいの? どんな感情なの?」
「それでは、失礼いたします」
今度こそ振り返りもせずに立ち去っていった、姿勢のいい後ろ姿をしばらく眺める。
項垂れていた捕虜がわずかに呻き声を上げたことに、アシュリーは扇の下で嘲笑った。
「ああ可哀想に、ニムラスの捕虜さん? あなた、起こしてはいけないものをゆり起こしてしまったのよ。なんにも執着しなかったあの男が、こんなにも貪欲に、慎重に、確実に遂行しようとしているのだもの……断言してあげるわ。あなたの主人はいずれ、求めたものによって、その身を滅ぼすことになる。あはっ……ご愁傷さま!」
アシュリーの楽しそうな嘲りは、誰の耳にも届かない。項垂れている捕虜は、動かない。
コツコツと、静かな足音はやがて遠ざかっていった。




