表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/45

離脱

 

「ああ、やはり私は、太陽の乙女に祝福された男だったのだ!」


 ギルノールは朗らかな笑い声を上げながら、馬から降りた。


「戻ってきてみたら、邪魔者はみんな消えている! わたしたちはとうとう、二人きりだ!」


 まるで花嫁を迎えに来たかのような明るい笑顔で、じりじりとギルノールがにじり寄ってくる。


「……なんともないんですか」


 静かに発した声に、ギルノールはわずかに首を傾げた。


「どうも思わないんですか。あなたが仕えていた一族なんでしょ……その一人が、消えてしまったんですよ」

「いいえ? 特には」


 ギルノールは笑いを収めると、その目を見開いた。


「あろうことか、アシュロム様は私を欺こうとした。あなたを手放す惜しさに、私を利用するだけ利用して、あとは打ち捨てようとなさったのです」


 ギルノールはまるで感謝を捧げるとでもいうように、両手を広げて天を仰ぐ。


「卑劣極まりないアシュロム様……でも彼は幸せだった! だってイスタルシア一族の名を汚す前に、消え去ることができたのだから! だから私はアシュロム様を許しましょう。結果的に黒姫様を守って、私に託してくれた。その遺志を、私が継ぎます!」


 感動に打ち震えているギルノールに気づかれないように、じりじりと後ずさる。

 手錠が消えて魔力は出せるようになったはずだが、どうだろう。未だに自由自在に使えるわけではないのが悔やまれる。

 彼は他の貴族たちと違って、私の魔力に酔うことにむしろ恍惚としている様子だったし、いくら狂っていようと近衛騎士団長まで上り詰めたほどの腕前がある。

 肉体勝負に出られたら、とても抵抗などできない。


「仮にも近衛騎士団長ですよね。悼む気持ちくらいはあってもいいんじゃないですか」

「おや? 黒姫様は随分とアシュロム様に肩入れなさるのですね。ですが、あなただって……アシュロム様との婚約解消を願い出るほど、疎んでいらっしゃったではないですか!」


 それはそうだが、だが死んでほしいとまでは思っていなかった。黙り込んだ私の隙を突くように、ギルノールが一気に距離を詰めようとしてくる。


「来ないで!」


 咄嗟に怒鳴った瞬間、ギルノールの動きがピタリと止まった。

 やった、やっと魔力が出たんだ!

 そう思ったのも束の間、ギルノールは相好を崩して身悶え始めた。


「ああっ……! 黒姫様の魔力(におい)……!」


 気持ち悪い。あまりの気色悪さに顔を歪める。


「黒姫様……! もっと、もっとです! 私にもっと与えてください! ずっと辛抱しておりました。耐えても耐えても、この渇望は癒えることなどない……まだまだ足りない、もっと欲しい……! あなたの魔力が尽きるまで、すべて丸ごとこの私に与えてくれ……!」


 恍惚とした表情のまま、ギルノールが身を起こす。彼は私に縋るように手を伸ばすと、迫ってきた。


「いやっ……!」

「黒姫様!」


 叫ぶと同時に聞こえた声に、顔を上げる。頭上から伸ばされた手に、なにを思う間もなく掴んでいた。


「リネイセル……!」


 光る羽を羽ばたかせる天馬に乗った、リネイセルだった。

 リネイセルは私を引き上げると、すぐに横抱きに乗せてくれた。空中で足踏みした光の天馬は嘶くと、地上のギルノールを睥睨する。


「太陽の、馬だ……」


 愕然と呟くギルノール。


「ご無事ですか……!」


 私を抱えた腕に力を入れたリネイセルは、まっすぐに透き通るような翠の瞳を向けてきた。


「あなたを危険に晒してしまいました。すみません、勝利に気を許した私の落ち度だ」

「ううん、ありがとう……」


 リネイセルだ。

 リネイセルの腕の中だ。

 やっぱりリネイセルは来てくれた。

 その腕に抱き締められて、そんなつもりはなかったのに、ほろりと涙がこぼれてしまう。

 ずっと気を張っていたのがリネイセルの姿を目にして、一気に緩んでしまったみたいだ。

 もう二度と会えないかもしれないと思った。

 ここで命を奪われるのかも、と。

 あるいはこのまま攫われ、嫌悪さえ感じる相手と共に、どことも知れず姿を消すことになるのか、とも。

 でも今、目の前にリネイセルがいる。

 私を助けに来てくれた。

 ああ……もう、大丈夫だ。


「泣くほど、辛い思いをさせてしまったのですね」

「違うんです……」


 無骨な手が近づいてきて、そっと私の涙を拭っていく。


「助かったんだなって。ここまで必死にがんばったけど、もうダメかもって思ったりもして、でもリネイセルが来てくれた。だから、もう大丈夫だって……」

「ええ、もう大丈夫です」


 リネイセルが安心させるように、力強く言葉を返してくれる。


「今までよくお一人で耐え忍ばれました。私が来たからには、なにも恐いことはありません。あなたには指一本触れさせない」


 リネイセルは地上に視線を遣る。透き通った翠の目に浮かぶのは、どんな色なのか。その目がギルノールをひしと見据えた。


「……ギルノール・セリオン。あなたに高魔力依存障害の診断をつけることを、やっと陛下が認められました。今すぐに定められた更生計画を受けてください。二度と依存の対象である黒姫様に近づかないように」

「……ハッ」


 愕然と俯いていたギルノールが、顔を上げた。

 その顔に浮かんでいた表情に、息を呑む。


「あの色無しサンダルディアが……随分と偉くなったものだ」


 侮蔑の色を隠しもしない、蔑んだ男の顔だった。


「口を慎んでください。イスタルシアへの愚弄と捉えますよ」


 嘲弄に口を歪ませた男の姿があまりに辛くて、思わず視線を外す。

 品行方正な騎士団長だった男を、こんなにも堕落させてしまったのが私の魔力なのだとしたら、私はなんて罪深いものをこの世界に持ち込んでしまったのだろう。


「あの輝かしいイスタルシア一族において、唯一の汚点。魔力を持たずに生まれてきた、色無しサンダルディア。光の力を持たない者など、イスタルシアに近づくのもおこがましいというのに。一族にのみ操ることを許された太陽の馬に乗り……あまつさえ黒姫様に触れるなど!」


 急にギルノールが怒気を発したかと思うと、その全身から激しい炎が吹き上がった。火花が舞い上がり散るような、爆発にも近い激しさだ。

 光の羽を持った天馬は驚いたかのように前足を上げ、棹立ちになった。それをリネイセルは素早く手綱を操って、なだめながらもっと空高くへと舞う。

 体制を崩した折に宙に投げ出されそうになって、慌ててリネイセルの胸元へと掴まる。


「ああ! なんて絶望的なのだ!」


 声をあげてギルノールが嘆くと、その激情を表すかのように再び炎柱が吹き上がる。

 ギルノールの暗く燃える瞳は空高くにいても尚、私を追ってきていた。


「……魔力中毒者になにを言っても無駄でしたね。今となっては、あなたはもうなにも聞き届けてはくれない」


 リネイセルはどこか悔やむようにそう言うと、巧みに手綱を扱って天馬の首をギルノールへと向ける。

 リネイセルは一瞬視線を伏せたが、すぐに顔を上げると、まっすぐにギルノールを見据えた。

 爛々と瞳を燃やすギルノールと、静かに対峙するリネイセル。


「黒姫様、あなたの力を少しお借りしてもよろしいでしょうか」

「……あの人を解放できるのなら、いくらでも使ってください」


 リネイセルは深く頷くと、馬上で目を閉じ、深く呼吸をついた。

 それと同時に、みるみるうちにその銀に近いプラチナブロンドが、根本から毛先にかけて漆黒の色に変わってゆく。


 ――私の色だ。


 言われたわけでもないが、そう思った。

 リネイセルは、私の魔力を吸収している。……私たちは二人の力を合わせて、この異様な魔力に囚われた男の哀れな渇望に、終わりを与えるんだ。

 目を閉じたリネイセルが、静かに右手を突き出す。

 なにもなかったそこに漆黒の不穏な闇が集まって、それが凝縮したように固まって、禍々しい槍へと変貌してゆく。

 それを持ち直すと、リネイセルは狙いを定めるように構えた。

 まるで重さなど少しも感じないかのように、リネイセルはそれを振りかぶると、思い切り投げた。漆黒の槍はまるで意思でも持っているかのように、ギルノールめがけてまっすぐに飛んでゆく。


「黒姫様っ……」


 切ないほどの渇望を孕んだその声に呼応するように、一際燃え上がった炎。それをかき消しながら、漆黒の槍は吸い込まれるようにギルノールの胸に刺さってゆく。

 その瞳に滾っていた炎が揺らめきながら消え、力が抜けた体は地面に激突するように倒れていく。

 それと同時に、漆黒の槍も蒸発するように揺らめきながら消え去った。

 あとに残されたのは、抜け殻のようなギルノールの体だけだった。








 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ