告白
「リネイセル!」
駆け寄ってきた私を見て、リネイセルはふと表情を緩めた。
「怪我はないですか」
「ええ。カレナリエル杯ではあなたを泣かせてしまったので、今回は気をつけました」
リネイセルが自分を顧みないような無茶なことをせずにすんでよかった。
「あの、リネイセル……」
「黒姫様」
リネイセルは跪いて私を見上げると、今度はためらうことなく私の手をとる。
「手の甲への口づけはどういう意味か、もうご存知でしょうか」
おずおずと頷いて返す。あの日あのあとにメイヤさんに教えてもらった。
リネイセルは豊かな睫毛を伏せながら手の甲に口づけを落とすと、再び私を見上げる。
『この国の慣習でありますが……男性より愛を乞う意味で手の甲に口づけを落とします。それに対する答えが、額への口づけなのです』
メイヤさんの言葉を思い出す。
静謐な湖畔を思わせる透き通った翠の瞳は、ただまっすぐに私を見つめていた。
「“あなたの愛を希う”」
リネイセルの声に目を瞠る。
そんなこと、あるはずがないと思っていた。
ただその姿を目にするだけで幸せだった。
私には手の届かない、清廉で高潔な騎士。
夢にまで見た、恋い焦がれてやまない人。
「“あなたに愛を捧げる”」
震える声でそう告げながら、恐る恐るリネイセルへともう片方の手を伸ばす。彼が待ってくれている。
そのサラリとした髪に手を伸ばし、私は今度こそ本当の意味で、リネイセルの額に口づけを落とした。
「おめでとう」
ぼーっと二人見つめ合っていると、パチパチと手を叩きながら王が近づいてきた。
「晴れて結ばれたところ悪いけど、煩雑な手続きを踏まなきゃ正式な婚約者にはなれないからね。今まで通り、自制のきいた行動を心がけるように」
「言われなくとも承知しております」
からかうような王にも、リネイセルはどこ吹く風だ。
「それと、最後にアシュロムとちょっと話をしたかったんだけど……どこに行ったのかな」
いつの間にか、アシュロムは立ち去っていていなくなっていた。
「まぁいいや、あとで訪ねるとしよう。それじゃ、余計なさざ波を立てないためにも、黒姫は大人しくしててよ? リネイセルは手続きもあるし、行こうか」
王に連れられてリネイセルが去っていく。
「落ち着いたら伺います」
去り様に囁かれた言葉に、波打っていた心臓が一際大きく飛び跳ねた。
部屋へと戻る道中、あまりの幸せに夢見心地に浸りながら、うっとりと歩く。護衛の騎士が随分と遠巻きにしているが、もうそんなものも気にならない。
心なしかメイヤさんの生暖かいような眼差しに見守られながら浮かれて歩いていると、部屋の前に誰かが立ち尽くしているのに気づいた。
ああ、なんてことだ。リネイセルのことだけを考えながら歩いていたから、いつもよりも気づくのが遅れてしまった。
「黒姫様」
眼前に待ち構えていた巨躯に、慌てて歩みを止める。
「どうしてあなたがここに」
「待ってください、黒姫様。誤解しないで。挨拶に伺っただけです」
アシュリーに連れて行かれて以来、音沙汰のなかったギルノールだった。
「恥ずかしながらあの日あなたに指摘されて、やっと目が覚めました」
慌てて手を振りながら言い募る彼を、油断なく見据える。
「確かにここ最近の私は、あなたを想うあまりに毎夜眠れず、食事もろくに喉を通らず、明らかにおかしい状態でした。あなたがはっきりと指摘してくださったおかげで、やっと自覚できたのです。私には休息が必要だと。ですので少し休暇でも頂いて、北のほうにでも行ってみようかと思いまして」
ギルノールの言葉に少しだけ警戒を緩める。
やっと自分のおかしさを自覚してくれたのか。
「一言あなたに謝罪したかったんです。そうしたら部下が私の意を汲んで、勤務を代わってくれました。つくづく私は部下に恵まれています」
そうやって快活に笑う様を見ていると、確かに出会ったころのギルノールのようにも見えて、肩の力を抜く。
「そうですか。ゆっくりと休んで調子を取り戻してくださいね」
「そうします。黒姫様、今までありがとうございました」
ギルノールはゆっくりと頭を下げた。
「では、お元気で」
「――ええ、黒姫様もこれからゆっくり楽しみましょうね」
不意に顔だけを上げたギルノールが、にっこりと笑いかけてくる。
異様なまでに満面の笑みだった。
「えっ……?」
頭の中を大音量の警鐘が鳴り響いた。
身を翻そうとして、焼け付くようなひりつきをこめかみに感じたのが、最後だった。




