学校編「よく学び、よく鍛えよ」8
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――ここは気持ちいいな。
ルシアンは初日に居眠りをした芝生に昼食を運んだ。
幻のような精霊にここで会った、と思う。
入学してから半月が過ぎたが、あれからほとんど毎日この芝生に来ている。
日が過ぎるごとに、あの精霊……かもしれない誰かがますます気になって来る。
忘れられないどころか、記憶が鮮明になっていくようにさえ思える。
きっと会える、そう思っていた。
――ところが、全然、会えないんだよな。
軽く風魔法の魔力を流して辺りを探ろうとしても、昼休みは人が多くてうまくいかない。
訓練場以外での魔法の使用は、基本的に禁止だ。あくまで「基本的に」だが。ちょっとした便利魔法を使う生徒はいる――使えるのに使わない生徒などいないくらいだ。
とは言え、皆が寛ぐこの中庭でいきなり魔力探索をかますのはマズいだろう。
ルシアンはそれゆえに、ごく控え目に魔力を広げてみたのだが引っ掛からなかった。
控え目すぎるからか、それとも、もうここには居ないのか。
ルシアンの勘ではいるような気がする。勘というか、多少の根拠はある。
あの妖精の感じは、ゴラツィや魔草たちに似ていた。つまり、植物系だと思う。
あやふやな直感に自信などないが、植物系なら遠くへは移動しない。本体は近くにあるんじゃないか。
ゴラツィくらいになるとなんとかして移動してしまいそうだが、あのか弱そうな精霊にそんな力があるだろうか。
はぁ、とため息を吐きながら紙袋を手に取る。
――あ、そうだ。記録、つけておかないと。
10日ほど前に、ルシアンは諜報活動をしている魔草たちに土魔法を注いでおいた。
そう多くはない。あまり進化させてしまうとルシアンの能力がバレる。
少しくらいなら面倒を見てくれる人が他にも幾人もいるので、ルシアンの魔力だとはわからないだろう。
ルシアンが魔力を注いだ魔草たちは能力が上がっている。婚約者候補のリオネルやエミル、側近候補のミロシュ、パトリス、ハルクらなど、ターゲットを覚えて熱心に探ってくれる。
側近候補に関しては、ユーシスが「魔草に魔力をやるのを手伝ってくれ」と頼んで、彼らの魔力波動を覚えさせておいた。一鉢だけで良かった。他の鉢には、その魔草から魔力を分け与えて情報を伝えてもらった。
ユーシスとオディーヌが「すんごい優秀、便利」「偉いわ、良い子」と驚いていたが、魔草にしてみれば声を覚えるより楽なのだ。
オディーヌの婚約者候補の二人は、エミルとリオネルの名前を伝えて「その名前が聞こえたら会話とかを覚えておいて」と頼んだ。優秀な魔草たちは、候補のふたりをもう知っている。
今日も魔草たちに情報を探ってもらった。
ルシアンがユーシスと離れて一人で情報収集に行くときには、ユーシスの従者カロンがついていた。ルシアンが能力を使っているところを誰かが気付かないように、あるいは魔草のそばにいることが不自然に見えないようにしながら見守ってくれる。
ルシアンは、カロンが優秀で気が利いて感じも良いので、ユーシスの側近は「もうカロンでいいだろ」と思う。
とりあえず、記録ノートを開いた。
――今日の記録は、付けにくいなぁ。
でも、付けないと。
ふと、少し遠目に控えていたカロンが、いつの間にかすぐ側に来て膝を折っていた。
「ルシアン様、先程の記録ですか?」
小声で話しかけてくる。
「あ、うん、そう。
少し書きにくい内容なんだ。
あのさ、カロン、隣に座ってください。これでも食べてて」
ルシアンもひそひそとした声で答えた。カロンに多めに買ったパンを押し付ける。そうでもしないとカロンは平気で食事を抜くのだ。
カロンが守るように側に座って食事を済ませているうちに、ルシアンは聞いた内容を書いた。
ユーシスの側近候補らの情報にさほど気になる点はない。いつも隙のない側近候補たちは、案外ふつうの会話を友人たちと交わしている。
ただ、ルシアンにとって気になる点はある。
『ルシアン・ヴィオネはユーシス様に近すぎる』
と言う言葉がちらほら聞こえるらしい。
ルシアンは、自分が関わる情報については「第三者にも確かめさせて」と頼んでおいた。
ユーシス殿下が友人と親しくしているのに文句を言う側近って、どうよ? とルシアンは思う。
ルシアンが悪質な人間だったらそれも仕方ないが、真面目な生徒のつもりだ。
――って言うか、完璧マジメだし。
何が気に食わないのかわからないんだよな。でも、面と向かって言われたわけでもないからいいか。
魔草に聞かれてバレてるなんて、彼らは知らないのだから。
『魔草2。
エミルの情報はなし。
リオネルに関して。以前のとは違う女の精の痕跡』
魔草2は、談話室に置いてある魔草だ。
オディーヌの婚約者候補であるリオネルはよく談話室にいる。
4日前にも似たような情報をくれた。リオネルに「女の精の痕跡」と言う。つまり、肉体関係のある女性がいるらしい。
娼婦か恋人か、あるいは単なる性欲処理の相手かもしれないが。
ルシアンからの情報を受け、王宮で調べ始めている。おそらく、影が尾行するくらいはしているだろう。
――オディーヌの候補、一人脱落かな。
ノートを付け終わると、カロンに渡した。今日の情報だ。
「でも、これくらい、王宮は知ってたんじゃないの?」
ルシアンは、ひっそりと尋ねた。
「よほど上手く隠されればわかりません。
少しは知ってた可能性もありますが。オディーヌ様の話が来たところで改めるのなら許される程度と判断されたのでしょうね」
カロンは食べ終わるとパンの紙袋を小さく畳んでポケットに入れた。
「そうか。
でも、娼館とかはまだ通える歳じゃないよね?」
「正規のところは……、と言うことですね」
「……病気とか心配じゃないのかな」
「ルシアン様、実践編をすでに習ってるのですか?」
カロンの視線が若干、不穏になる。
もうすぐ13歳になる少年の知識としては微妙なところだ。
「実践編って言うほどでもなくて。ただの一般常識として。
国がしっかり管理しているところは性病も安心、みたいなのは父上に聞いた。
15歳以上じゃないといけないとか」
アンゼルア王国では、きちんと管理された娼館があれば女性が暴行を受けるような悪質な娼館が増えるのを防ぎ、性犯罪の抑止にもなると、国が正規の娼館の運営に関わっていた。
「体格の良い少年は14歳くらいでも受け付けているらしいです。
リオネル少年は、確かに体格が良いですね」
リオネル・ラーゲルは、ルシアンの一つ年上だった。
「そっか。娼館にちょっと行ってるくらいなら許される?」
「ジュール殿下が許すと思われますか?」
カロンがうっすらと微笑んだ。少々、昏い笑みだ。
「伯父上は無理かな。王室管理室とかは知らないけど」
ルシアンは、考えながら答えた。
「今だにこっそり通ってるようでしたら王室管理室も駄目でしょうねぇ。まぁ、相手が娼婦か普通の令嬢かはわかりませんが」
カロンは軽く肩をすくめた。
「普通の令嬢って……中等部の?」
中等部だと12歳から15歳だよな、とルシアンは思う。
「彼は容姿がよろしいので。あとは侍女とかいう手もありますね」
カロンが平坦な声で答えて、ルシアンは「ぅぇ」と言葉に詰まった。
「王室管理室はきっちり調べるでしょう。
ただ、それで都合が良いこともありましてね」
とカロンが言葉を続ける。
「なに?」
ルシアンは嫌な予感を感じながら話の続きを待った。
「リオネル様を婚約者にしておいて、のちに女癖を理由に向こうの有責で婚約解消する」
カロンは淡々と告げた。
「……本当は婚約お断りなのに、利用するってこと?」
「そうです。ラーゲル家も公にしたくはないでしょうからね。
もちろん、解消する際には理由はあちらの体調不良などにして、オディーヌ様には傷が付かないようにするでしょう」
カロンがにこりと微笑む。
微笑むようなことではないと言うのに。ルシアンは顔が引き攣った。
「リオネルって、次男だけど跡継ぎだったよね」
ルシアンは、ユーシスから聞いていた。
ラーゲル家には子息が3人いる。
長男は庶子なので跡継ぎの予定はなく研究所勤務。
次男のリオネルが侯爵家を継ぐと決まっていた。
「庶子でも、ご長男の方が良いかもしれませんね」
カロンが苦笑した。
「エミルのあの調べも、まだ済んでないよね?」
エミルは、もう一人の婚約候補だ。
つい3日ほど前には、エミルと誰かの会話を拾えた。
その中で、エミルは誰かに脅迫まがいのことを言われていた。
『お前だけ免れて』
『本当は、お前だって停学のはずだったのに』
『罪を償ってない』
『お前の罪は続いている』
『ジネット嬢との婚約はお前には無理だろ』
それで、ジネット嬢とリューア家で婚約話があったらしいことがわかった。
ただ、王室管理室で確かめたところ、とっくにジネット嬢との話は立ち消えになっていたと言う。
それならエミルはそう答えれば良かったと思うのだが、会話では一方的に罵られてほとんど言い返せずに終わっていた。エミルは公爵令息だと言うのに。相手が誰かはまだわからない。
王室管理室でこの件も調べ中だ。
「調べが付かなければ、リオネル殿を利用する方向でいくかもしれません」
「リオネルなんかと一時でも婚約するなんて、オディーヌは嫌じゃないのかな」
ルシアンは眉間に皺を寄せていた。
「オディーヌ様は、娼館通いなら論外だけど、モテてるだけならまぁいいか、と仰ってたそうです」
「……あ、そ」
ルシアンは、もう心配するのはやめた。
「オディーヌ姫の強がりか存じませんが……」
カロンは控えめに言うが、ルシアンも強がりか本音かまるでわからなかった。
◇◇
その日。
ルシアンが教室に戻ると、机に入れておいた教科書がビリビリに破かれていた、と言う有様に遭遇した。
ルシアンが呆然と固まっている間にカロンが担任のザック・マルロウ教師を呼びに行き、ユーシスが「証拠には手を触れないように」と現場保存を取り仕切り、ユーシスの側近候補のひとりパトリスが「警備の者を呼んできます」と学園の警備員室まで走ってくれた。
たかが教科書一冊の話ではあるが、こういうことが起こった時は厳正に対処すると王立学園は最初から宣告している。
のちに、犯人は簡単に捕まり、ルシアンの教科書は早くも新品に買い替えられ、犯人の家からは詫びの品が届いた。
隣のクラスの男子で、停学処分を受けた。
肝心の動機は「嫉妬」だったらしい。王太子と親しくしているルシアンへの嫉妬だ。
嫉妬するようなことだろうか。どこか腑に落ちない、後味の悪い出来事だった。




