騎士と婚活とお節介な人々「退治したのは誰?」(8)
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ヴァレンテ・メルローは帰りの馬車の中でジェスとララの仲睦まじい様子を思い出していた。
――幸せになれよ、ジェス。
メルロー家の領地では、ジェスにはずっと嫌な役を押しつける結果になっていた。
―― あの愚かな父を死に追いやるまで……。
これが本当に自分の父親なんだろうかと、いつも絶望と共に思っていた。
貴族たちが、夜会の場で密かに父を視線で示しながら「メルロー家の愚物か」と囁いているのを聞いた。
見知らぬ貴族に愚物と囁かれるほど有名なのは、父が酒に酔ってカードの賭け事をしボロ負けしたことがあったからだ。
愚かな領主の滑稽なボロ負けぶりを、お喋りな夫人たちや若い連中があちこちで暴露した。おかげで、王都中の貴族が知っている。こんな恥さらしはメルロー家始まって以来だ。
父はその時、持っていた家の金で大金を支払った。
領兵たちの給与と、武具を買うために国から支給された補助金が消えた。
そこまで酷いのは流石にそれだけだが、父は紛う方無き愚物だった。
むしろ、あの時に父を糾弾し排除すべきだったのだろう。当時はまだ祖父は存命だった。
祖父を説得できなかったのが惜しまれる。
ヴァレンテは父を油断させるために穏やかで何も深く考えない長男を装った。
父を退ける方法を探り、迷い、何度も機会を逸し、無駄に日を過ごした。
そのくせ、何もできずにいることを後悔した。
ジェスがその間、領軍と父との間に立って、必死に支えてくれた。
あげく、父は、ジェスの婚約者にと悪評高い女を宛がった。
侯爵家の末娘は性格が悪く、自分の侍女の顔に焼きごてを当てたことがあるともっぱらの噂だった。金で事件をなかったことにしたらしい。
公には誤魔化せたのかもしれないが、人の口に戸は立てられぬ。
そんな女を父は選んだ。
幸い、婚約には至らなかったが、ジェスが陛下付きの近衛になったと知ると婚約を蒸し返そうとした。
――私がためらったために……。
ヴァレンテを決断させたのはジェスのことだった。
領地にとっては父の賭け事の方が痛手なのはわかっている。自分でも甘いとは思うが、ヴァレンテには金策に走り回ればなんとかなると言う考えがあった。現実逃避だったのかもしれない。それでもどうしても躊躇いがあった。
けれど父がジェスを不幸にするような相手を選んだと知った時に、怒りが迷いを消した。
ジェスは努力で近衛の地位を得た。ヴァレンテの自慢の弟だ。結婚は良い相手を選べたのだ。それをわざわざ犯罪者のような性悪女を選んだ。
その事実は、父の数多の賭け事よりも、あっさりとヴァレンテに決断を下させた。
周到に準備をした。
騎士団が視察に来た夜を選んだ。
ジェスには無関係でいて貰うために居ない時が良かった。
愚かな父はまた領軍の活動に口を出し、ジェスと言い合いになった。
ジェスに「勘当だ!」と叫ぶ父をヴァレンテは宥めた。
休みで帰ってきていたジェスが怒り、王都に帰った。
いつもなら魔獣の間引きを熱心に手伝うのが常だったが、さすがに愚かな父親を見放した。
邸の外壁のことでも父は文句を垂れ流していた。
猪型の魔獣に体当たりされて壊れた外壁は、領内の左官に修繕を頼んだ。その時に、他の仕事よりも優先させるために割り増し料金を払った。
猪型魔獣の好物の匂いを外壁になすりつけておいたのはヴァレンテだ。案の定、猪が体当たりで外壁を壊した。好物の匂いがするのに餌はないのだから、怒って壊すのはわかっていた。
父は「余分に払うくらいなら王都の左官に頼め!」と怒鳴り散らした。
父の声が聞こえる限りの者はみな顔を歪めた。
なぜ王都の左官に領の金を払わなければならない。
領内の左官に割り増しで払うのと、王都の左官に出張費を付けて金を出すのと、迷う余地はない。
父は芯から無能だ。
だが、丁度良い。父が怒り散らすこともわかっていた。
父は「割り増し分、よく仕事をしたんだろうな」といつまでも言っていた。
気になるのだろう。
だが、騎士団が来ていたので敷地をうろついて塀の出来具合を見る余裕などなかった。
騎士団の視察と、領兵たちと、ジェス。彼らが揃うと父は不機嫌だ。誰も父の味方はいない。
元から父の味方など居ないのだが、軽蔑の目をあからさまに向けられるのは居心地が悪いらしい。
おかげで、外壁を見に行けなかった。
これも計画の内だ、ヴァレンテがそうなるように裏からも手を回した。計画のために父の仕事をためておいたのだ。父をこの日は特に忙しくさせるために。
その日の夜。
満月はあと1週間くらいだ。目を凝らせば白い外壁が見えるくらいの晩だった。
父に「騎士の知り合いが良い酒を土産にくれた」といかにも良さそうな酒瓶を見せた。騎士団の知人に頼んでおいたものだ。
中身は父の好きな甘口の果実酒に竜酒と呼ばれる度数の高い酒を混ぜておいた。
父は酒はさほど強くない。弱くもない。
判断力が甘くなる程度に酔ってくれればいい。
それに、甘い果実酒の匂いは蝙蝠型魔獣が好む。不勉強な父は知らないことだが。
父が飲み残した酒瓶を持って自室に上がるのを確認して、ヴァレンテはリュシルと別邸の住まいに帰った。
父にはあらかじめ、「バルコニーの端から外壁の修理状況は見える」と伝えておいた。
バルコニーには魔獣避けの結界が張ってある。結界の魔導具はいつものところに設置されている。
だが、端の部分は手薄だ。それは父に言ったことはない。
とくに、あの日は手薄になるように少々弱めておいた。下手な小細工などしない。魔石が切れかかっているのを使っただけだ。
ほんのわずかに弱まった結界のことなど、わかりはしないだろう。実際、問題にもならなかった。
結界は張ってあったのだ――いつもより少しばかり弱かっただけで。
酔った父はテラス窓からバルコニーの端に行くだろう。
父は必死に目をこらしたはずだ、修繕の具合を見るために。父は修繕の進みが思うほどではなかったら、左官屋に割増料金を返金させようと思っていたのだ。それくらい父の性格を知っていればわかる。
邸の外壁はまだ完成はしていなかった。
崩れた箇所には魔獣避けを施しておいたので問題は無い。
ただ、我が領地は蝙蝠型魔獣が出る。闇蝙蝠は夜に飛ぶ。喉笛を噛みちぎり、血を啜る。
父は翌朝、喉を裂かれ、血を失った紫色の死体となっていた。
父親が悲惨な遺体となっていたのに、後悔も悲しみもなかった。
良心の痛みさえもなかった。
実感もなかった。なぜあんな策で父は死んだのだろう、と他人事のように思えた。
ジェスは気づいて居るかもしれない。
あの臆病な父親が夜間、窓の外に出たのだ。父を知る者は疑問に思うだろう。
ジェスは父の死に関しては何も言わない。ただ「兄上は今までの心労の分ゆっくりしてほしい」とヴァレンテを労うだけだった。
捜査では引っ掛かることは何もなかった。
父が「外壁が気になる」と散々、溢していたのを使用人から出入りの商人までもが聞いていたので特に不自然に思われることもなく、なにもかもが済んでしまった。
――生真面目な妻に知られたら軽蔑されるかもしれないな。
まぁ、この秘密は墓場に持っていくつもりだけれどね。
ヴァレンテはずっと懸念していた弟の幸せな結婚が叶いそうなことに安堵し、馬車の座席で目を閉じた。
領内で増えている斑大牙の問題も片付きそうだ。
きっとあの大牛の肉は旨い燻製肉になるはずだ。




