【20】後日談、サリエル王子その後1
本日の2話目になります。
お読みいただきありがとうございます。
「サリエル王子その後」の残り2話は明日になります。明日も同じ時間です。
サリエルはぼんやりと車窓を眺めていた。
今日からヴィオネ家の邸で暮らすのだ。
国王は崩御し、母は北の離宮に追いやられた。
もう戻っては来ない。
おかげでサリエルは安心して生きられる。
母は、狂っていた。
王妃となってからの生活が辛過ぎたのだ。
自業自得とはいえ、哀れだな、と思う。
サリエルは母が王宮の嫌われ者だと悟ってから、ただ大人しく暮らすことだけを考えていた。
誰にでも優しく、逆らわず。
王の寵愛を受けた王妃の息子ゆえに護衛や従者はついていたが、皆、腫れ物に触るような態度だった。
ゼラフィのことは好きでも嫌いでもなかった。
ただ王妃に命じられたので婚約した。
自分と違って好きに生きている令嬢だった。
サリエルの前ではしおらしい態度をとっていたが、単純なゼラフィは他では正体を暴露していたのでバレていた。
サリエルは色んなことを諦めていたし、彼女に興味もあまりなかった。
ゼラフィが令嬢たちと頻繁に言い争ったり、下位貴族の大人しそうな令嬢を連れて空き教室に篭っているのは知っていた。
――知っていたのに、放置したんだ。
まさか、令嬢を脅して課題をやらせていたのは知らなかったが。
ゼラフィはびっくりするくらい無知で、授業の話が全くできなかった。
魔導の授業では、いつもゼラフィは嬉々として炎撃を放っていた。
凄まじい威力だ。
でも、魔導の教師は苦い顔をしていた。
その理由をサリエルは知っていた。
ゼラフィは荒っぽいのだ。
魔力を効率よく使えていない。
炎撃を放ったあとキラキラとして見えるのは炎とならずに霧消した魔力だ。
魔力をもっと集めて、丁寧に準備をして炎撃を放つ練習をした方がいい。
――私があんなふうに適当に魔法を使ったら、全然、発動できないだろうな。
サリエルは、才能ある者の傲慢さを、ゼラフィの中にいつも見ていた。
サリエルには魔力が少ない。
それなのに、母に王太子になれと言われる辛さなどゼラフィには微塵もわからないだろう。
ゼラフィがサリエルに性的に迫るようになったのは、ヴィオネ家の両親に突かれてのことらしい。
ヴィオネ家は潰れる寸前だ。
領地からの収入が得られなくなったからだ。
ヴィオネ伯爵夫妻は魔力充填の仕事をしてなんとか暮らしていた。
ゼラフィも仕事を手伝えばいいのに、やらない。
やる気がないというのが理由らしいが、そもそも魔力充填は魔力をうまく制御できないと充填する魔石を壊しやすい。
ゼラフィにはできないだろう。
サリエルは知っている。皆、知っているはずだ。
カップの水を沸騰させる作業は魔力制御の良い練習になる。
ゼラフィにはできない。
癇癪を起こしてカップを全滅させてから教師もやらせようとしない。
ゼラフィは、炎撃以外に魔法を使えないのだ。
サリエルは、ゼラフィは火の属性以外には「土」が強いと聞いていた。
「水」はほんの少しはあるらしい。
ゼラフィは土魔法などまったく使えない。
土に魔力を注げ、と魔導の教師に言われて、訓練場の地面に炎撃を放っていた。
皆で呆れた。
土魔法は、地味な魔法かもしれないが、農業国の我が国では最も需要の高い魔法だ。
土魔法を帯びた魔力を農地に与えると作物の実りがとても良いのだ。
ゼラフィは後悔などする性格ではないが、ゼラフィの両親はさぞ悔やんだだろう。
ゼラフィが土魔法をもっと使えたら、良い収入になったからだ。
サリエル自身は土魔法が得意だ。
魔力量は低いが、それでも、ごく幼い頃から血の滲むような訓練を続けて少しは底上げができたし、魔法の発動は上手い。
魔力効率はとても良い、といつも褒められていた。
もう少し魔力量があったら、良い魔導士になれただろう。
サリエルは、魔力量が低いために有能な魔導士にはなれないが、下っ端の魔導士くらいにはなれそうだ。
サリエルの母は魔力が底辺と言われていた。
平民にも劣る、と。
ただ、それは少し正確ではない。
本当はもっと魔力はあったのだ。
ただ、訓練を怠ったために使えない。
そうでなければ、サリエルは生まれなかった。
国王が病で、魔力量が削り取られるように少なくなったおかげで、サリエルは生まれた。
夫婦の魔力量に差がありすぎると子ができないのだ。
王の体力が落ち過ぎる前に子ができたのは幸運だったと母は嬉しそうに話していた。
ずっと、子ができないことで陰口を囁かれていたのが辛かったのだろう。
国王と結婚などしなければ、母はもっと幸せだったかもしれない。
だが王妃になりたいと我儘を押し通したのは母だ。
今年は王宮で秋の夜会があり、ゼラフィが泊まった。
その時に、ゼラフィを抱いてしまった。
あの傲慢な女がサリエルの前で恥じらいながらドレスを脱ぐ様に、我を忘れてしまった。
――仕方ないよな、私だって若い男なんだから。
ゼラフィはその一度で妊娠した。
魔力量の差があったはずなのに、よくぞ妊娠した。
ゼラフィは魔力量は「大」の下だという。
サリエルは低レベルだが、そのレベルの中では高めだ。もう少しで「中」レベルになれたくらいだ。
妊娠し難いくらいの差があるので、てっきり避妊など要らないと思っていた。
ヴィオネ家からの報告で懐妊を知った。
ゼラフィは傲慢な女だが、性的な意味では奔放ではないのでサリエルの子で間違いないと思う。
王妃には散々、小言を言われたが、サリエルは、魔力量の高いゼラフィが自分の子を身籠ってくれたことだけは、どうしても嬉しいと思ってしまった。
きっと、自分とは違って、魔力量の高い子に育つ。
そうしたら、サリエルは、自分の持っている魔法の知識や訓練のやり方を教えてやろう。
サリエルは、母に怒鳴られながら辛い思いをして訓練に励んだが、我が子にはもっと飴と鞭を使って褒めながら教えてやろうと思う。
そんな独りよがりなことを、一瞬でも考えていた過去の自分を、サリエルは後になって本当に愚かだと思った。
ゼラフィが怒り狂い、令嬢たちに炎撃を放った、あの時、サリエルはそばにいた。
サリエルが王太子になれないことなんて、ずっと前からわかっていた。
サリエルはなりたくなかった。
王笏を掲げてもチラリとも輝かせられないだろう、そう王宮魔導士のルカに言われたのだ。
ルカは、王にも意見ができる。
ルカを怒らせると不味いからだ。
「あなたは、とても良い魔導士だと思いますよ、サリエル殿下。
魔力効率の良い上手い魔法だ。
その歳でよくぞと感心するほどだ。
だが、王にはならない方が良い。
いざというとき、国を守るのは王だ。
王笏を掲げ、王都に攻め込む魔獣を殲滅させなければならない。
あなたは王笏を使ったら、炎撃一発で、魔力切れで死ぬだろう。
王笏は、いざとなったら、国王の命なんか気にせず魔力を吸い上げる。
職務を果たしたら干からびて死ぬ職業にはつかん方がいい」
ルカが真面目にそんなことを言うので、サリエルは笑ってしまった。
王などただの職業だとルカは言うのだ。
「なりませんよ、なりたくないです。
なんとなく、なったらいけないよ、と自分の中の魔力が言うんです」
「ハハ。
魔力の声は、国神の声ですな」
王にならない、と思うだけで、サリエルは重い荷から解放された心地になった。
ゼラフィが「王となる子を身籠ったわ」と嬉しそうに報告をしてきた時、サリエルは、一時でも彼女との間に子が出来たことを喜んだ自分を呪った。
ゼラフィの腹から感じられる魔力はどことなく馴染みがあるのだ。
間違いなく自分の子であることが、今は煩わしい。
なんで嬉しそうなんだろう、とサリエルは思った。
私たちに未来があるとでも思ってるんだろうか、と。
実際、未来などなかった。
サリエルは王太子にはなれなかったし、その知らせは、サリエルが話すよりも先にヴィオネ家にもたらされてしまった。
ゼラフィは怒り狂っていた。
近づくのに躊躇するほどだった。
炎のオーラが見える。
ゼラフィは、魔力の制御が下手なので、感情で魔力が漏れて揺れる。
サリエルはため息が出た。
――だから嫌なんだよ。
ゼラフィは、サリエルの前では大人しくしていた。
それでも、サリエルの言動で気に食わないことがあると、魔力の漏れがあるのですぐにわかる。
サリエルは、土魔法の他に風魔法もそこそこ使えるので、ゼラフィの悪評は知っている。
風魔法は、盗聴にも使える。
ゼラフィに詰られた。
「どうして王妃の産んだ王子なのに、王になれないの!」
感情が暴走している。
マズイ、と思った。
ゼラフィのような女は感情の制御などできない。魔力制御以上にできない。
「あぁら、ヴィオネ様、王太子妃候補だったのに残念でしたわねぇ」
シモーヌ侯爵令嬢が煽ってきた。
サリエルの婚約候補だった令嬢だ。
「うるさいわね! あんたなんて、とっくに負け犬だったくせに!」
ゼラフィが怒鳴った。
「まっ! そんな淑女らしくないことを怒鳴るような女だから、サリエル殿下が王太子になれなかったんだわ!」
サリエルは呆れた。
その発言はゼラフィを選んだ王妃も貶しているのだとわからないのだろうか。
それからはひどい言い合いになった。
サリエルは、従者に教師を呼びに行かせた。
護衛の騎士には、そっと耳打ちして、ゼラフィの後ろから、いざとなったら羽交い締めにして抑えろと命じた。
騎士はサリエルの側から離れるのに難色を示したが、強く命じて動いてもらった。
言い合いはさらに激昂していた。
騎士はゼラフィを刺激しないようにそっと近づいた。
ゼラフィが手を振り上げた。
魔力が集まる。
あんなに粗いやり方では大した攻撃はできないだろう、とサリエルは油断した。
それでも、ゼラフィは魔力が高い。
目一杯、結界を張った。
まさか、加減するだろうと思った。
いくらなんでも殺そうとするはずがない。
サリエルは、ゼラフィのことをわかってなかった。
ゼラフィは、荒っぽい代わりに、魔法の発動がやたら早かった。
サリエルは判断を誤ったことを知った。
ゼラフィはまるで人間ではなかった。
火竜のようだった。
怒りに狂い、赤く熱らせたゼラフィの顔は、獲物をいたぶる鬼人のごとく歪み醜かった。サリエルは怖ろしさに目を見開いた。
ゼラフィは憤怒に燃え、炎を放った。
サリエルは全力で結界を張った。
身が焼け焦げる匂いがする。
目の前の全てが真っ赤に燃えたのちに、意識が消えた。
自分は、死んだのだろう。
こんな女が婚約者だったとは。
サリエルは一度死んだ、と思う。
少なくとも、一瞬は死んだ気がするのだ。
助けてくれたのは、兄だった。
長兄、シリウスが稀な治癒士であったために、命を救ってもらった。
体はあらかた治ったと思う。
だが、心は治ったとは言い難い。
あの恐怖は、一生、消えないだろう。
サリエルの結界からわずかに離れていたシモーヌ嬢は即死。
サリエルが立ちはだかり、捨て身の結界を張ったために、他の令嬢たちは軽症で済んだ。
ゼラフィを抑えようとした護衛の騎士はゼラフィの炎撃を近距離で浴びたが、その時にはゼラフィが魔力を使った直後だったために即死は免れた。
ゼラフィはその後、逃走を図り、学園から出ようとした。逃走経路に居合わせた学生らがその際に火傷を負っている。ゼラフィは門から出る直前に、知らせを聞いて結界の魔導具を装備した教師たちや衛兵らに取り押さえられ、魔力制御の首輪を嵌められた。
「まるで悪鬼のようだった」
と、捕物の有り様を見た学園関係者は噂した。




