【13】
お読みいただきありがとうございます。
今日の1話目です。2話目は夜9時になります。
今日も豪勢な天蓋付きのベッドで目を覚ます。
一瞬、「ここ、どこだっけ?」と記憶を巡らせ、それからゆっくりと思い出す。
そうだった、ロベール殿下に抱き抱えられるようにして連れてこられたんだ、と。
それから、アルノール・ロシェが、シリウス・アルノール・ロシェ・アンゼルアであることも思い出す。
ノエルは、「ロシェ先生」が「シリウス殿下」だと言うことに慣れなければならない。
――ここに慣れるまでには覚えないと。でも、ロシェ先生でいいわよね……。
ロベール殿下に運ばれた時は、「勝手に私の教え子に触るな!」と苛立った様子のシリウス殿下が追いかけてきて、微妙に修羅場だった。
どこに行くのかと思ったら、王宮だった。
『危ないから』と言うのだが、王妃と第四王子の本拠地である王宮の方が危ない気がする。
ロベール殿下の宮から出ないように、と言い聞かせられている。
学園を休みにするのが心配だったが、あと10日で夏季休暇というころだったため、学園側でノエルは特別休暇あつかいにしてくれた。
前期と後期の間にある夏季休暇は3週間ほどある。
その間には安全になるから、と王子たちは請け合ってくれた。
早めに受け取った休暇用の課題に取り組んだり、騎士団の注文の品を作っていると一日が過ぎるのが早い。
シリウス殿下が頻繁に来てくれるのが嬉しい。
――頻繁って言うか、ほぼ毎日?
シリウスは、最近とても素敵にしている。
ロベール王子曰く。
「今までは他の王子と似ているのを誤魔化すためヤボったくしていた」
ノエルは、シリウス殿下を野暮ったいなどと思ったことはない。
学園教師らしく、清潔に見苦しくないようにしていたと思う。
ただ、ノエルが王宮に匿われてシリウスが会いに来るようになってから、確かにすっきりと整髪され衣服も見るからに良いものを選んでいる。
すれ違う侍女がちらりと振り返るほどだ。
――前の野暮ったい先生の方が良かったわ。前のロシェ先生もヤボったいとか思ったことなかったけど。
ロベールは研究所の研究員寮で暮らしているという話であまり会わないが、シリウスとはしばしば夕食を一緒にしている。
「よく食べるんだよ」
と、慈愛の笑み付きで見守られると、少しモヤっとする。
『私、もう16よ』と。これでも結婚できる歳になったのだ。
シックなワンピースを着ても、シリウスの態度は微塵も変わらなかった。
――お化粧はライザに習ったから下手じゃないと思うんだけどな。
いきなり連れてこられたので着替えがなかったのだが、寮から運んでもらおうと思っていたら、恐れ多くもロベール殿下の母上である第二妃が服を何枚もくださった。裾と胸の辺りが余りまくったのが悲しかったが、凄腕の侍女の方が瞬く間にお直しをしてくれた。
髪油と化粧品は王宮内で用意してもらった。
ライザに「化粧を濃くするほど男は逃げるものよ」と言われてたので肌の手入れに力を入れ、お化粧は薄くを心がけている。
髪油の使い方もライザに教わってる。少しの量を手に取り、髪に薄く馴染ませる。
ライザ曰く「髪は女の武器よ」。
――もう、なにがなんだか……。
とにかく、ロシェ先生には私の武器は効いてないみたい。
それでも夕食の時間くらいには来てくれる。
退屈はしなくて済むので良いのだが「ロシェ先生、仕事とか大丈夫なのかな」と気になる。
王宮で過ごし始めて8日が過ぎる頃。
ノエルは、小さな中庭を散歩していた。
小さくてもさすが王宮の庭。隅々まで手入れが施され、可愛らしい花壇には色とりどりの花が咲いている。
煉瓦の小道に置かれた錬鉄のベンチは蔓薔薇のデザインで、こんなところまで綺麗なのね、と感心した。
ベンチに腰を下ろしたところで、煉瓦を踏む足音に気付いた。
ここには、滅多に人が来ないはずだった。
振り返ると、嬉しそうに顔を綻ばせたディアンがいた。
なぜこんなところに……と、驚いて固まった。
先に動いたのはディアンだった。
「ノエル。
ここにいたんだね」
ディアンは微笑んで歩み寄り、了解もなしに勝手に隣に座った。
「どうしてここに?」
ノエルが尋ねると、ディアンは少し気まずそうにした。
「ノエルが王宮に連れて行かれたって学園では噂になってた」
「へぇ」
――まぁ、本当だけどね。
ノエルは胸中で苦笑する。
「近衛の分隊が来て。
学園側が追い返したと思ったら、ノエルが明くる日から行方不明だし」
「あぁ、そんな感じに言われてるのね……」
確かにそんな風な経緯ではあったが、実際はさほど危機的な状態ではなかったし、ノエルはずっと守られていた。
「それで、私の父が王宮で仕事をしているときに頼んで入れてもらった」
「……それ、不味いんじゃない?」
「わかってる。
父の知り合いの近衛に案内を頼んだんだ。王族の住まう宮のそばまで。
ミシェリー教授の名前も使わせてもらった」
「そんな無茶をしたらダメよ、ディアン」
「でも、心配だったんだ。
ずっと後悔していた。ノエルが家から勘当されて辛い思いをしていたときに、避けたり無視したこと。
謝りたかった」
「謝らなくてもいいわ、もうなんとも思ってないから。
気にしないで」
ノエルは、にこりと微笑んだ。
そんなことを気にして犯罪まがいのことをさせたくなかった。
それに、ノエルは虐待されて育ったせいか、あのときディアンに避けられても『人なんて、そういうもの』と心の隅で思っていた。
ショックではあったけれど、納得もしていた。
その分、余計に、変わらず支えてくれたライザがありがたかった。
家柄も、容姿も、何も関係ない。
誰が信用できるかなど表面からはわからない。
――それでもやっぱり、心配してここまで来てくれたのだとしたら。ちょっと嬉しい、かな……。
出会ってすぐの頃、彼に惹かれていた時のことを思い出して少し切ない。でも、もう、終わったことだ。何年か前だったらもっと嬉しかったかもしれない。今は心は凪いだままだった。
「そう、か……」
ディアンは『なんとも思っていない』というノエルの言葉に密かに落ち込んだ。
自分のことを思っていて欲しかった。
気にしていて欲しかった。
――自業自得なのにな。
胸が締め付けられる。
「見つからないうちに逃げた方がいいと思うわ。
心配してくれてありがとう。
ロベール殿下が、また言いがかりをつけられたら大変だからって、連れてきてくれたの。
でも、もうそろそろ、大丈夫になるみたい」
「どういう風に大丈夫になるんだい?」
「上の方でうまく調整してくれてるみたいよ。
庶民には縁のない話だわ」
「ノエルは庶民じゃないだろ。
侯爵家の養女になったんだから」
「形式的にはね。
でも、私はそもそも落ちぶれた伯爵家の出だし。養父様たちにお任せするしかないもの。
あ、正確には、養父様のお父様ね」
ノエルは肩をすくめた。
――ノエルは変わらないな。
もしもノエルと結婚できていたら、呑気で楽しかっただろうな。
ディアンの胸が、またチクリと痛む。
「バレないうちにこっそり帰ればいいわ。こっちよ」
ノエルに案内されて元の通路に戻れた。
「また学園でね」
明るく手を振るノエルに、ディアンは、なおも何かを言いかけて言葉を飲み込んだ。
ノエルは、第三王子に匿われ、著名な宮廷魔導士の家に養女として引き取られるような令嬢なのだ。
ずっと友人でいたのならまだしも、裏切った自分が縋れる立場ではない。
入学式の日、居眠りしたノエルの髪がディアンの腕に触れて、金の巻毛がたまらなく可愛らしかったことを思い出す。
――あの日に戻れたら、もう決して失敗はしないのにな……。
無理に笑顔を作り、手を振り返して別れた。
◇◇◇
ノエルはディアンと別れ戻ろうと振り返ると、不意に腕を掴まれた。
驚いて身をひきそうになり、いつもの香りに気づいた。
「ロシェ先生」
ノエルは喜んで名を呼んだが、シリウスが険しい顔をしている。
「……彼は、どうしてここに?」
シリウスに見られていたことに気づいた。
「ディアン、ですか。
私のことを心配してわざわざ来てくれたみたいです」
「入る許可を取ったのか」
「それは……、取ってなかった、かも」
ノエルは目を泳がせた。
「こんなに防犯に穴があるとは思わなかった」
シリウスはノエルの腕を掴んで歩き出した。
「彼が不審者ではなかったからでは?
高官の子息ですから」
「そうだとしても、だ」
「危ないものも持っていませんでしたし」
「それでも、だ」
「私が、偶然、中庭の端にいたから来やすかったのかも。
すぐそこの小さい中庭にいたので」
「どうして、こんな端の場所に?」
ノエルのいた中庭は王族居住区域との狭間のような場所で、だからディアンは来やすかったはずだ。
「えと……。人が少なくて静かで、花も綺麗だったので……」
「いつも第三王子の宮にいてくれ。
あるいは、私の部屋のそばに変えよう。
ロベールが引きずって来てしまったからそのままにしてたが……」
「また部屋を用意してもらうのは手間でしょうからいいです」
「部屋などいくらでも余分にある。
ったく!」
「……私、来ない方が良かったですか?」
ノエルが心配そうに見上げると、シリウスは、はっと気づいたように口を結んだ。
「悪かった。
あのいつもノエルに絡んでいた学生が来ていたので……つい」
シリウスは気まずそうな顔をした。
「私も、まさかディアンがわざわざ来てくれるなんて思いませんでした。
私が勘当されたあと、無視されたり避けられたりするようになって。
それきり、友人でもなくなった感じだったので」
「そうなのか?」
シリウスが少し安堵した顔になった。
「ええ。
ライザが言ってたんですけど。
私が伯爵令嬢でなくなったから、もう興味がないんだろうって。
男子がみんなそんな感じだったのは、私のことを嫁とか愛妾候補に考えていたからみたい」
「……それで、ミシェリー侯爵家の養女になったから興味が復活したのかい?」
シリウスが苦い顔をする。
「そうかもしれませんが。彼は、後悔してるって、謝ってました」
「口ではなんとでも言える」
「まぁ、そうですよね。あまり友人を疑いたくないですけど。
ああいうときに本音が出るのかな、とも思ってしまって。
でも、クラスメイトだし、不仲ではない方がいいですよね」
「不仲でいい。不愉快だ。
ノエルなら飛び級で卒業できるだろうけれど、まだあと少なくとも半年くらいは学園にいることになる。気をつけなさい。
愛妾候補だとか、とんでもない!」
シリウスがイラついた様子なのをノエルは呆気に取られて見た。
「愛妾候補というのは、ライザの推測ですけど……」
「ノエルは自分が可愛いということを自覚した方がいい。
もっと危機感を持ってくれ」
「か、かわいい? えと……嬉しいですけど。
でも、色気はクラス最下位とか言われたんです……」
ノエルは思い出して自分で言ったことに自分で落ち込みかけた。
俯くと薄い身体と細い手が目に入る。
これでもだいぶ丸みがついたのだ。以前の痩せっぽちよりはマシだ。
――胸だって、あるし、少しは、だいぶ小ぶりだけど。
「色気なんて、20歳にもなれば女なら誰でも出てくる」
「え、そうなんですか。誰でも?」
ノエルは思わず顔を上げた。
「……まぁ、普通は……」
シリウスは若干の失言に気づいた。
「ロシェ先生、それって、観察結果ですか?」
ノエルはなんだか胸がもやもやしてきた。
「誤解しないように。あくまで、一般論だ、一般論。
私が思うに、好きな相手ができたら誰でも色っぽく見えるものだ。
どんな物好きが、どんな相手を見ても」
「……例えが悪すぎな気がしますが、でも、わかりました。
いいんです。私、まだこれからですから」
「ノエルはすでに本当に可愛いんだから、安心しなさい。
……いや、安心したらダメだ。危機感も持ってくれ」
「はぁ」
「私がいつも一緒にいられるようになるまでは……」
と話し始めてから、不意にシリウスは口をつぐんだ。
ノエルは、一緒に国を出よう、と言ってくれたシリウスの言葉を思い出した。
シリウスはノエルの使わせてもらっている客間まで送ってくれた。
二間続きでソファのある居間もあった。
「ロシェ先生。
どうして国を出たかったんですか?
私ならヴィオネ家から離れたいという理由がありますけど。
ロシェ先生は、どうして?」
以前から気になっていたことだ。
ただ、尋ねたら悪いような気がして我慢していたが、つい聞いてしまった。
「話さないといけないだろうね。
ノエル。
私とジュールは、実は双子の兄弟なんだ」
「ぇ?」
ノエルは、また、王家の極秘事項に触れてしまったような気がした。




