カーストと自分の存在地点 時空警察編
深井はカースト制度についてピラミッドであらわしただいがくの講義を思い出していた。
世の中をうまく生きていくには様々なコミュニティに存在するカーストの上位にくいこみさらにたかみをめざしていかないと底辺の大衆もしくはそれ未満の存在として地べたを這いつくばって生きていかなければならなくなる。
生きていればそのうち気づく、自分が何者でどこにいるのか、そんな粗末ともとれる些細で重要なことがらが大切だったりする。
深井は改めて認識した。
自分のいる位置付けを。
『いやぁすまぬな深井どの!』
そういって倒れた深井をだきおこすのはかぶきものの前田慶次だった。
前田慶次はカーストでいえばトップの次くらいにくる存在感があった。だれがきめるでもなくそこらへんに位置付けされる、裏打ちされた侠気があった。
木槍でなければしんでるね。そういって深井は深く頭を垂れた。
『きわどかったである!それがしの一撃をたやすくかわされるとはやはり軍曹とよばれるかいきゅうなだけはあられる!』
そういって器用に木槍を手でかいてんさせると自慢の業物を見せてくれた。
前田慶次が振るっていたのが約3mもの長さを誇った皆朱槍とよばれ通常、槍の柄は黒漆で塗り固めますが、皆朱槍はその名の通り柄が赤漆で塗り固められている。これは、どの大名家においても武勇に優れた者のみが所持できる「勇猛さの証」であった。例えば「黒田官兵衛」(くろだかんべえ)の黒田家は、1日に7つの首級を取らなければ、皆朱槍の所持が許されなかったと伝わっている。
なお、前田慶次は主君に認められて皆朱槍を手にしていたわけではなく、勝手に自分の槍を朱色に染めて、家中随一の勇猛さを誇示していたのである。そんな勝手が許されていたのは、全国でも前田慶次ただひとり。周囲の武将達が認めざるを得ないほど、前田慶次の槍さばきは優れていたのだ。
童心と前田慶次の双竜は切磋琢磨しあってどくとくの武術をを磨いた。
近接では膝や組み技をつかいあいての骨をおったり急所をつくことがおおく、槍は甲冑の隙間をよくつけた。
天下無双の傾奇者御免とよばれるのは羽柴秀吉が豊臣となのる頃であった。
肩を組合日暮れの坂を上って双竜と三狼は城へと戻っていった。はなうたまじりに。




