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93.ただいまの先にあるもの

◇◇◇


 ──翌日。


 俺が目を覚ました時には、オルタンシアは既に昼だった。


 昨夜はとにかく汗と泥と血で汚れた体を洗い流そうと、すぐにシャワーを浴びてベッドへと倒れこんだ。

 その後の記憶が無いことから、俺は数秒と持たずに眠りについたのだろう。

 ドラセナ内は店も居住スペースも、全て灯りが点いたままだったが、店長は一度も姿を現さなかった。

 それがまた逆に店長の気遣いのような気がして有難かった。

 報告がしたい、挨拶がしたいという気持ちはあるものの、正直昨日の疲れ果てた俺の身はそれどころではなかった。一刻も早く休みたい……それが素直な欲求だった。


 久しぶりのベッドは最高だった。

 いや、実際はたった1日ぶりなんだけど。

 森の中での野営は気が休まらなかった分、今まで当たり前に思っていたこの環境の有難さが身に染みる。


 俺はベッドの上で体を起こし、ぐっと伸びをした。

 

「痛ててて……!」


 思わず声が上がる。

 体の至る所がめちゃくちゃ痛い。

 傷はセイロンさんに治癒魔法をかけてもらったが、それだけで全ての痛みから逃れられるわけでは無いらしい。……当然か。

 体は重く、まだ疲労が蓄積していることを感じる。

 毎日特訓を行っていたとはいえ、朝の数時間と夕刻の数時間のみ。

 対して最終試験は夜の休息時間はあれど、ぶっ通しで二日間。

 一回の睡眠で全回復できるはずもない。

 どこがどう痛いのかも、もはやよく分からなかった。

 俺は全身に錘がぶら下がっているような感覚を味わいながらも、何とか体を動かして身支度を整える。

 伸びた髪をざっくりと一つに束ねて、部屋を出た。


───


 ダイニングに用意されていた朝食を食べ、店舗スペースへと顔を出す。店長はすぐに俺に気付いたようだ。


「おはよう、七戸君。そして、お帰り」


 カウンターから顔を覗かせた店長は、男の俺でも腰が砕けそうなほど完璧な造形のスマイルを向けてくれる。


「お、おはようございます……遅くなってすみません!」


 挨拶と同時に頭を下げると、店長がふふ、と笑う気配がした。


「七戸、大丈夫か?」


 店長ではない声に名を呼ばれて顔を上げると、商品棚の奥から崇影が姿を現した。


 こいつは先に仕事を始めていたのか……相変わらずタフな奴だ。体は大丈夫なんだろうか?

 どう考えても俺より崇影の方が怪我をした量も度合いも酷かったんだけどな……


「崇影こそ、体は大丈夫なのか?」


 近づいて来た崇影の胸板を手の甲で軽く叩きながら尋ねると「あぁ……いや……」と珍しく歯切れの悪い反応が返ってきた。


「体が重い……ここまでの疲労感を味わうのは初めてかもしれない。今日は飛べそうにない」


 なんだ、崇影でも人並みに疲れを感じるんだな。

 って……


「なんか……嬉しそうだな、崇影?」

「そうか……?」


 崇影はいつものように僅かに首を傾げる。 


 自覚は無いようだが、崇影の顔つきが晴れ晴れとして見えるのは、恐らく俺の勘違いではないだろう。

 そういう俺自身……疲労感は酷いが、それ以上の満足感と達成感で満たされているのだから気持ちはよく分かるけどな。


「二人とも、こちらへおいで」


 店長に手招きされ、俺たちは並んでカウンターの前に立つ。


「よく無事に帰って来てくれたね。改めてお帰り、七戸君、崇影君」


 目を真っ直ぐに見つめて穏やかな笑顔で言われ、妙に照れ臭くなる。


「た、ただいま、店長……」

「無事、帰宅した」


 崇影と共に返事をし、ふと気付いた。


 そうか、俺……日本ではほぼ一人暮らしだったし、こんな風に面と向かって「お帰り」と迎えてもらうことなんて無かったな。

 照れ臭くて、胸の奥がくすぐったい。けど……暖かい。

 何かいいな、こういうの……

 そんなことを思っていると、頭の上にふわりと温かい感触が下りてきた。

 

「二人で無事にトーキス達からの『課題』をクリアしたのだろう? よく頑張ったね」


「店長……」


 顔を上げると、ニコニコと穏やかな笑みを崩さぬまま、店長が俺と崇影の頭を撫でていた。


「トーキスは悪い奴ではないが、素直じゃないからね。代わりに兄である私が二人を大いに称えさせてもらうよ。よくやった。立派だよ」


「あ、ありがとうございます……!」


 ますますむず痒い。けど、嫌じゃなかった。

 隣を見やると、崇影は表情を変えぬまま素直に店長に頭を撫でられていた。

 元々主を持つ鷹だしな。こういうスキンシップは意外と慣れているのかもしれない。絵面的にはなかなかシュールだが……

 いや、俺も子供じゃないんだし、人の事は言えないけどな。


 店長の手は大きく、どこまでも温かかった。


「それで、七戸くん。一つ提案があるんだが、聞いてもらえるかな?」


「提案ですか?」


 何だ? わざわざ改まって……特訓の後に来る提案ってことは、何か危険な依頼か?

 そう身構えた俺だったが、返ってきたのは意外な言葉だった。


「実は、温泉へ行こうかと考えているんだ」

「へ?」


 思わず間抜けた声が出た。


「温泉、ですか……?」


 聞き間違いか? と聞き返してみる。


「あぁ。温泉へいこう。()()


 店長は極めて真面目に頷いた。聞き間違いではないらしい。

 俺としては嬉しい提案だけど……

 

「先日、七戸くんは温泉へ行きそびれたのだろう? せっかく二人の特訓も一区切りしたようだし、慰労会を踏まえて一緒に行くのも良いかと思ってね。どうかな?」


 店長……俺が温泉に入りそびれたこと、覚えててくれたのか……

 どこまで気遣いの出来る人なんだ、この人は……

 今、受験の面接で『尊敬できる人は?』と聞かれたら、俺は迷わず『タウラス店長です』と答えるだろう。俺もこんな大人になりたい。


 驚きと喜びで言葉を失った俺の顔を崇影が不思議そうに覗き込んだ。


「七戸?」

「う、嬉しいです……! 是非行きたいです!!」


 俺は前のめりでそう答える。そのあまりの勢いに、崇影が数歩下がったのが分かった。

 ちょっと勢い付きすぎただろうか……?

 

「でも、皆って……?」

「俺も同行できるのか?」


 俺と崇影の疑問に店長は笑って頷いた。


「その日は店は締めよう。せっかくだからね、七戸くんと交流のあるメンバーを集めようかと考えているよ。」

「交流って言っても、俺、まだこの島に知り合いそんなにいませんけど……」

「そんなことは無いだろう? 崇影くん、私、トーキスは確定メンバーとして、アリエス、リネットちゃん、エレナちゃん、レオンにも声を掛けるつもりだ」


 その言葉に俺は息を呑んだ。

 

「!!! お、女の子も一緒に……ですか!?」


 思わず声が裏返る。


「女が一緒だと何かマズイのか?」


 崇影は全く理解が出来ていない様子で眉を顰めた。


「いや、マズイわけじゃ……むしろラッキー……じゃなくて! 温泉だぞ!? そんな、リネットちゃんと一緒に温泉なんて……」


 動揺して、正直自分で自分が何を言っているのかもよく分からなくなってきた……

 そんな俺の様子を楽しそうに眺めながら、店長は口を開いた。


「温泉施設内にはちょっとしたレストランや展望室、娯楽もあると聞いた。たまには皆で交流を深めるのも楽しそうだと思わないかい?」

 

 それは……楽しそうだ。すごく。

 何て言うか、修学旅行的な……そんな心構えになってしまうが、いいんだろうか!?

 いや待て……先走るな。あくまで案、だ。

 トーキスさんが一緒に来るとは思えないし、アリエスさんは医者だから忙しいはず。

 そうすると、助手のリネットちゃんも、来られるかは分からないよな……

 俺は自分にそう言い聞かせて心を落ち着かせた。ぬか喜びになってはあまりに悲しい。


「楽しそうですけど、皆さん迷惑じゃないでしょうか? 俺は店長と崇影と三人でも構いませんけど……」


 努めて冷静にそう言葉を紡いだ。

 浮かれちゃダメだ。現実を見ろ、俺!! と自分を叱責しながら。

 だが、店長は意味深にふふ、と笑った。


「迷惑かどうかは一度本人たちに確認してみるとしよう」


 まぁ、そりゃそうか。

 勝手に決めるわけにはいかないからな。


 

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