92.おかえり
「……ト。七戸!」
聞きなれた低い声に名を呼ばれ、俺は重たい瞼を持ち上げた。
「ん……?」
辺りは真っ暗だ。
えっと……ここはどこだっけ?
俺はぼやけた思考で目を擦る。
あぁ、そうだ……カルムの森の試験を終えてドラセナへ帰るためにカペロに乗ったんだ。
ってことは、ここはカペロの中か……
「七戸、大丈夫か? 着いたぞ」
崇影が俺を覗き込んでいる。
暗くて表情は見えないが、俺を心配していることだけは感じ取れた。
「ニィさん方、随分お疲れみたいだけど歩けるかい?」
崇影の後ろから、一人の女性が顔を覗かせた。獣人族……カペロの御者だ。
顔はよく見えないが、どこかで聞いた声だな……
「あぁ、ニィさん、先日も会ったなぁ」
御者の女性がそう言って笑う気配がした。
先日……先日……
俺が記憶を辿っていると、その女性は無遠慮にぬっと俺の方へ顔を寄せた。
「わっ!!」
女性に耐性の無い俺は思わず後ろに身を引くが、カペロの座席に座っているため逃げ場は無い。
至近距離に迫った女性の顔と息遣いに、鼓動が早くなる。
ち、近い……!!!
「そう怯えんなよニィさん。何も取って食おうってんじゃないんだからさ。ホラ、この顔、覚えてないかい?」
言いながら御者の女性は懐っこい笑顔で自分の顔を指で示した。
な、なんだ……顔を見せてくれようとしただけか……
勘違いした自分が恥ずかしくなる。
と言っても、こんな近い距離に迫られてはとても落ち着けないんだけど……
俺は改めて顔を上げ、ドキドキする胸を制しながらその人をじっと見た。
整った顔立ちだが、野性味が強く、威圧感さえ感じる、強そうな獣人族の女性……
「あぁ!」
俺はようやく思い出した。図書館に行くために乗ったカペロで御者をしていたカッコイイ女性だ。
「思い出して貰えて光栄だよ。アタイはスパークってんだ。またいつでも運んでやるからさ、良かったら覚えといてくれ、ニィさん」
ニカッとスパークさんが白い歯を見せて笑う。
「あ、ありがとうございます。俺は幸木 七戸と言います」
「ナナト。相分かった! んで、そっちの色男は?」
スパークさんに視線を向けられた崇影が首を傾げた。
「色男……? いや、俺は鷹おと……」
「崇影!」
的外れな返答をしかけた崇影の言葉を、俺は強引に遮った。
「コイツは崇影。俺の親友だ!」
「タカカゲ。よし、二人とも覚えた。またいつでも利用してくれ!」
俺は崇影の背を半ば強引に押してカペロを降りた。
崇影は、なぜ言葉を止められたのか腑に落ちない様子だが、一先ず文句を言わずに俺に従っている。
「ありがとう、スパークさん!」
「あぁ!アタイのことは呼び捨てでいいよ、ナナト。またな!!」
俺は去って行くカペロを、大きく手を振って見送り……崇影と向き合った。
「七戸、俺は特殊な色をしているのか?」
眉を寄せて真面目に尋ねる崇影。
「違うって」と思わず笑ってしまう。
「色男ってのは、『イイ男』『カッコいい男』のことを言うんだよ」
全くコイツは……俺が止めなければ「俺は鷹男だ」と宣言をするつもりだったのだろう。
グリーズであることをあまり公にしたがらない癖に、こういう所は抜けている。
「起こしてくれてありがとな、崇影。ドラセナに帰ろうぜ」
「あぁ……承知した」
俺の言葉にやはり納得がいかない様子で僅かに首を傾げながらも、崇影は俺の後ろをついて来た。
時刻はすっかり真夜中。
ほとんどの建物から明かりが消えているため、俺たちは仄かな街灯の灯りを頼りにドラセナショップまでの帰路を歩く。
「あれ……灯りがついてる」
前方に見えてきた見慣れた建物、ドラセナショップ。
いつもなら消灯されている時間だが……窓から明るい光が漏れていた。
けど、人の気配はない。
店長は寝ているはずの時間だ。
もしかして、俺たちが帰って来た時のために明るいままにしてくれてるのか?
タウラス店長ならそこまで気が回ってもおかしくはない。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
ドラセナショップが「おかえり」と迎えてくれているような、そんな気がした。
「帰って来たんだな、俺達」
「あぁ……散々怪我はしたが、合格は合格だ」
たった丸二日のこと。
だがとても長かったような、とても短かったような、不思議な感覚だ。
俺達はトーキスさんとセイロンさんに認めてもらえたんだ……
今更ながらそれを実感し、目頭が熱くなる。
裏口から入ろうと扉前まで来た所で、俺は一度足を止めた。
「七戸?」
「やったな……崇影。こうして帰ってこれて……ホント良かった」
「あぁ……そうだな。これからも、共に研鑽しよう」
「あぁ、一緒に強くなろうな!」
俺と崇影は視線を絡ませてしっかり頷きあい、軽くハイタッチを交わした。




