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88.試験の本質

 虎は、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。

 まだ距離はあるが、ようやく俺の目にも『虎』だと認識できた。

 ギラリと光る瞳。大きな体。

 この森の中でも上位の存在だろうことはその出で立ちから感じ取れる。


 セイロンさんは笛の音で洗脳が可能と言っていたが、今回はその攻撃は使用不可。つまり、この虎はセイロンさんの差し金ではない。

 けど…森の主であるセイロンさんに牙を向けることは無いだろう。

 つまり、狙われるのは俺達だけだ。


 俺は震える手で銃を握った。まだ弾はある。

 様々な獣を相手にしてきたが、虎は初めてだ。

 俺の本能が逃げろと訴える。

 一歩間違えば死。間違いなく助からないだろう。

 だからこそ、試験に集中するためにも……早いとこ仕留めたい。

 虎といえど、銃には敵わない筈だ。急所に当たれば……の話だが。

 俺はゆっくり銃口を虎のいる方角へ向け──


「ガァァァァァ!!!」


 虎が吠えた。


 凄い声量だ。空気がビリビリと震え、俺の心臓を破らんとする。


「っ…!!」


 そのあまりの勢いに呑まれ、トリガーを引くのが一歩遅れた。


 パァン!!


 俺の放った弾丸は、こちら目掛けて走り出した虎の腹部を僅かに掠めるに留まり、その動きを止めることは出来なかった。

 虎は物凄い勢いで俺目掛けて飛び込んで来る。


 これはマジでヤバい!!


七戸(ななと)!!」


 崇影(たかかげ)が姿を鷹に変え、一直線に虎目掛けて飛び掛かった。


「崇影!?」


「ガァァァァァァッ!!!」


 虎が口を大きく開け、迫る崇影の翼を噛み切ろうとする。


 ──ダメだ、崇影がやられる!


 俺は慌てて虎の腹部目掛けてトリガーを引いた。


 パァン!!


「ガアッ!!」


 俺の放った弾と崇影の鋭い爪が、ほぼ同時に虎の体を捉えた。

 虎は一瞬怯み、一歩下がる。

 その隙に俺は再び弾を装填して虎へ銃口を向け……


 ぞくりと嫌な予感がした。

 

 ズルッ!!


「なっ……!?」


 突如、足元の地面が沈んだ。

 俺の両足は土に捕らえられ、泥沼に嵌まり込んだかのように重くなる。

 ……動けない。何で!?

 いや、こんなことが出来る人は一人しかいない……


「面白ぇことになってんじゃねぇか」


 頭上から降ってきたのはトーキスさんの声。

 やっぱり……トーキスさんの精霊魔法の仕業か!!

 慌てて見上げるとトーキスさんが木の上に立ち、楽しそうにこちらを見下ろしていた。


「……っ!!」


 俺はギリッと奥歯を噛みしめる。

 よりによってこんな時に!! 合流するタイミング悪すぎだろ!!

 必死に泥から抜けようと足を引っ張るが、抜けそうにない。


「グルルル……」


 虎は完全に俺をターゲットにしている。

 これはマジでマズイ。食われる。

 動けない獲物なんて、アイツからしたら格好の餌だ。

 冷や汗がどっと出てくる。思考がまとまらない。

 どうする、どうする、どうしたら……? 

 

「七戸、縮め!!」


 俺の思考を呼び戻す崇影の声。

 それと同時に、人の姿に戻った崇影が俺の前に立ち、鎖を虎へ投げ付けた。


 俺は慌てて魔境を取り出し、体を縮めた。

 足が小さくなったことで、足と泥の間に隙間が生まれ、両足が解放される。

 

 助かった!!

 俺は勢い良く横に飛んでその場を離れた。


 崇影の投げた鎖は、虎に届く前に周囲の木から伸びた蔦に絡め取られる。──セイロンさんの仕業だ。

 障害が無くなったと判断したのか、虎が地を蹴り、崇影目掛けて突進する。


「っ!!」


 崇影は鎖から手を離し、前方へ無数の撒き菱を投げ放った。

 勢い良く接近した虎は撒き菱を踏みつけ「ギャッ!」と小さな悲鳴を上げる。


「崇影、一旦退避だ!!」

「承知した」


 俺の言葉に即座に返答し、崇影は鳥の姿へと変化した。

 飛んできた崇影の両足をがっちりと掴み、俺の体は上空へと導かれる。


 この戦況は良くない。

 ただでさえ危険な肉食動物に狙われているというのに、トーキスさんもセイロンさんも容赦なく邪魔をしてくる。

 ここで無理して虎を倒す必要なんて無い。虎に殺されてしまっては本末転倒だ。


 トーキスさんもセイロンさんも、逃げる俺達を阻止しようとはしなかった。

 

 地上へ視線を向けると、虎が追って来ているのが目に入る。

 ……速い。 

 崇影がいなければ逃げるなんて到底無理だっただろう。

 上空を飛ぶ俺達は、少しずつだが確実に虎との距離を引き離していく──

 

 やがて、虎の姿は完全に見えなくなった。


「崇影、撒いたみたいだ。どこかに降りよう」

「承知した」


 崇影は水辺の少し開けた場所にそっと俺を下ろした。


「さんきゅ、崇影。助かった……マジで死んだと思った……」

「いや……七戸が退避と言わなければ、恐らく俺も死んでいた。礼を言うのは俺の方だ」


 俺はまじまじと崇影を見る。

 日本人にありがちな謙遜の応酬といったニュアンスには聞こえない。

 どうしてコイツはこんなに一点の曇りもなく俺を信用出来るのか……不思議だ。

 だが、それに救われている自分がいることも事実だった。


「あんな状況になっても試験続行は厳しいな……ただでさえ鬼の二人には敵わないのに……」


 思わず大きな溜息をついた俺とは対照的に、崇影は顔色を変えない。

 

「ステージが森である以上致し方ない問題だな。弱肉強食は自然の理だ」

 

 さすがは鷹だ。感覚が俺とは違うのだろう。


 ……いや、待てよ。


 この状況下で感覚が違うのは『俺の方』なのかもしれない。

 セイロンさんは森の主。トーキスさんは狩人だ。

 野生の動物というものに馴染みが無いのは俺だけ。


「……崇影」

「どうした、七戸?」

「戦闘時において一番大事なことって何だ?」


 俺の唐突な質問に、崇影が僅かに目を丸くする。


「何を目的とした戦闘かによって変動はあるが……七戸は身を守るために戦闘訓練をしていたのだろう?」


 俺は頷く。崇影は言葉を続けた。


「だとすれば、それが答えだ。殺されないために戦う。……つまり、自らの命を守ること」


「……だよな。」


 何度目かのゲームオーバーの際にセイロンさんに言われた言葉が脳裏に蘇る。

 

『痛いですよね。辛いですよね……だからこそ、それを避けるため、自分を守る方法を考えて下さい。投げやりになってはいけませんよ』


 俺は何か、勘違いをしていたのかもしれない。

 

 トーキスさんは何と言っていた? 俺はトーキスさんの言葉を思い出す。

 『死に急ぐ奴に教えることなんざ何も無ぇ』


 自分を守る。生きるために戦う。それが本来の目的だ。

 あの二人を越えるのが目的じゃない。


「崇影……勝利条件は『鬼のどちらかの無力化』だったよな?」

「あぁ。……何か思いついたのか?」


 俺はしっかり頷いた。

 なぜもっと早く気付かなかったのか。

 いや……これだけ追い込まれたからこそ、気付けたのかもしれない。

 俺はたどり着いた答えを崇影に伝えることにした。


 ◇◇◇

 

「お二人は無事に虎から逃げ切れたようですね」


 七戸達が去って行った方へ視線を向けたまま、セイロンが微笑む。


「アイツのスピードなら余裕だろうよ。無駄死にする奴が出なくて良かったな」


 トーキスがさも当然という様子で小さく溜息を吐いた。


「そろそろ追いましょうか……今の七戸さんなら、何かしら気付いたかもしれませんよ?」

「あぁ、そうだな……簡単に突破されるようじゃ俺らの面子も潰れっからな」


 トーキスの言葉にセイロンはふふ、と笑う。


「もう十分痛めつけたと思いますけど。やりすぎもいけませんよ」

「オマエが言うな。いいんだよ、アイツらは……この程度じゃ折れねぇから」

「それは、同感です」

 

 二人は一瞬だけ視線を合わせ、同時に地を蹴った。



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