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29.再びネブラへ①

幸木(さちのき)、準備はいいか?」


 カルムへと飛び立った崇影(たかかげ)を見送った俺の背後から、トーキスさんがやって来た。

 俺は今日から…特訓のステップアップとしてネブラの洞窟へ向かう。

 

 無謀にも一人でネブラへ赴き散々な思いをしたことはまだ記憶に新しい。

 見たこともない不気味なモンスターに次々と襲われ、最後には蜘蛛の糸に拘束されて死を覚悟さえした。

 あの時、崇影の到着が数秒遅れていれば…俺は今ここにいなかっただろう……

 今思い出しても身の毛がよだつ。

 もう二度とネブラには行くもんかと正直思った。

 

 …けど、今は違う。

 崇影に鍛えられ、トーキスさんから戦闘訓練を受け、俺は以前の自分とは比べ物にならないほど成長したと自覚している。

 と言っても、俺は所詮元がただのヘタレだ。

 ネブラに一人で再挑戦してモンスターを駆逐出来るほどの戦闘力が身に付いたとはとても言えない。

 ただ一つ確かなことは、以前と比べて知識量が増え、危機感知と咄嗟の対応力が身に付いた。

 もう無知な馬鹿じゃない…筈だ。

 無謀なことは絶対にしない。

 

 俺は首から下げている魔鏡を開き、自らの体を子供の姿へ変化させた。


「準備出来ました。お願いします!」

「面倒くせぇが仕方ねぇ……」


トーキスさんは小さく溜息を吐きながら俺に背を向けて膝を折り、屈んだ。

 目の前にトーキスさんの背中。

 子供の姿だと一層大きく感じる。


「さっさと乗れ」

「はい…失礼します!」


 俺は恐る恐るトーキスさんの背中に飛び乗った。

 確か自力で捕まれって話だったな……

 そう思い、しっかりと首に両腕を回す。


「落ちんじゃねぇぞ。」


 トーキスさんはそう一言告げると、口の中で小さく何かを唱えた。


Sylph(シルフ)


 どこからともなく風が集まってくる。

 トーキスさんの髪がふわりと舞う。

 全身を風で包まれる…不思議な感覚だ。


 トーキスさんが地を蹴った。


「うわっ!!」


 思わず声が上がる。

 俺の知る「走る」という概念を覆す速度だ。


 これは確かに…気を抜いたら振り落とされかねない。そう思い、俺は慌てて手足をトーキスさんの体に絡ませた。

 恥ずかしいとか言ってる場合じゃない。

 このスピードで落下したらただじゃ済まないだろう。

 下手したらネブラに辿り着く前に死にそうだ。


 トーキスさんの足元にはキラキラと光の粒が舞っているのが見え、両足は風の渦で包まれている。

 ……これが、精霊魔法…

 トーキスさんが得意分野だと言っていた魔法だ。精霊の力って、凄いんだな……


 そんなことを考えているうちに、目の前に見覚えのある巨大な洞窟のシルエットが見えてきた。


 ……ネブラだ。


 以前に来た時は昼間だったが、日が落ちかけた夕闇の中で見るネブラは一層不気味だった。

 トーキスさんの走る速度が緩やかになり、洞窟の入り口手前で足を止める。


「到着だ。」

「早いですね……」


 軽く屈んだトーキスさんの背中から飛び降りる。


「これでもオマエが落ちねぇように加減してやってんだ、感謝しやがれ」

「ありがとうございます! 感謝してます!!」


 間髪入れず礼を言い頭を下げた俺を、トーキスさんは睨みつけた。


「……舐めてんのか」

「何でですか!? ちゃんとお礼言ったのに!!」


 感謝しろって言ったから頭下げたのに、何がいけなかったんだ!?

 礼を言っても言わなくても結局怒られるんじゃないか…頭下げ損だ。


「おら、とっとと入るぞ。体戻しとけ」


 トーキスさんは徐ろに何かの瓶を取り出して俺の鼻の前に突き付けた。

 ふわりと香るこれは…あれだ、店長が持ってた胡椒的なやつ…っ!!


「ちょ、待っ……っくしょん!!」


 俺は抵抗する間もなく鼻を刺激され大きなくしゃみを炸裂させた。


「なんで…そんな物持ってるんですか!?」


 ずずッと鼻をすすりながら訪ねると、トーキスさんはその小瓶を俺に向かって投げた。

 俺は慌ててキャッチする。


「タウラスからの預かり物だ。戻るためのツールが無ぇと困んだろ? 持っとけ。」

「あ、ありがとうございます……」


 店長は相変わらず気が利くな……

 胡椒をわざわざ持ち歩くってのも格好が付かないが、この際背に腹は代えられない。

 俺はその胡椒瓶を有り難くポケットにしまった。


「一つ聞いてもいいですか?」

「あぁ?」

「これから夜になりますけど、夜になるとモンスター凶暴化するとか、無いですよね…?」


 先日までのサバイバル訓練に関しては、トーキスさんから「日の入り時は視界が悪く、夜行性の獣が活性化するためベストタイムじゃない」との説明を受けたが、ネブラの洞窟はどうなんだろうか?


「そもそも洞窟内には光が届かねぇ。昼間だろうが夜だろうが、洞窟の中は対して変わんねぇよ。違うことっつーと、モンスター出現の範囲が入り口近くまで広がるっつー程度だな」

「そうですか……」


 成る程、暗い洞窟内では常時夜と同じ環境が保たれているということか……その言葉に俺は少し安心した。


「んじゃ、行くぞ」

「はい!!」


 愛用の三口銃(トリプルバレル)にしっかり弾を籠めて手に握る。

 モンスターが出ることは既に分かっている。

 出来る限りの備えはしておきたい。


 トーキスさんを先頭に、俺は洞窟内へと足を踏み入れた。

 相変わらずじっとりと嫌な空気だ。

 …けど、前回には無い気付きも多かった。


 まず、風の吹き込む音。奥から聞こえるコウモリの羽音。水の滴る音だけでなく…何処かにある水源の音も微かに聞こえる。

 俺はあの時、こんなに多くの情報を聞き逃していたのか…その事実に呆然とする。

 吹き込む風は洞窟内が奥まで続いていることを教え、コウモリの羽音は中に生き物がいることを示唆する。

 トーキスさんとのサバイバル訓練の中で身に付いた、辺りに気を配る癖が様々な情報を俺に与えてくれる。

 あまり足音を立てずに歩けるようにもなった。

 トーキスさんと比べたらまだまだ未熟だけど…


 少し歩いた所で、聞こえる音に微かなノイズが混ざったのに気付いた。

 不規則な音。生き物…モンスターだ。

 地を這うようなカサカサとした音色…記憶の中の音と重なる。子蜘蛛に違いない。


「幸木、気付いてんな?」


 確かめるように呟くトーキスさんの声に俺はしっかり頷く。


「はい…ネグルスピンの子供ですね」


 ネブラに住むモンスターについては、一通り休日に図書館へ行き調べておいた。

 俺が襲われた五つ目の蜘蛛はネグルスピンと言う種で、洞窟内では比較的個体数の多い…つまり遭遇率の高いモンスターだ。

 子蜘蛛に会えばまず間違いなく親蜘蛛は近くに隠れている。

 前回俺は運悪く隠れていた親蜘蛛に先に遭遇してしまったが、通常は子蜘蛛が先に現れ翻弄し、親蜘蛛がとどめを刺す…という戦法なのだそうだ。


「ビビんなよ」

「だ、大丈夫…です! 倒せます!」


 試すような口調のトーキスさんに、俺は持てる限りの勇気で応えた。

 店長に言われた『無知は時に死を呼び寄せる』という言葉。俺はあれ以来教訓として胸に刻んでいる。

 それはつまり…逆に言えば知識は武器になるということだ。

 俺はもう、知能の無い低級モンスター相手に負けるわけにはいかない。

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