28.あるべき場所③
「お見事です、崇影さん。」
周囲が静かになると、澄んだ声と共に木の上からふわりと師匠が降りてきた。傍らにはソラの姿もある。
「これで良かったのか?」
俺の問い掛けに師匠が無言で微笑む。
ソラが指揮を執るように両腕をくるくると動かすと、木の幹が伸び…俺が撒いた撒菱を器用に回収した。
「これ、返しとくね、崇影! お疲れ様。すごかったよ。 そんな武器も持ってたんだね」
ソラがニコニコと屈託無く笑い、木の幹が俺の前まで伸びてきた。
「…森を汚してすまない」
俺は撒菱を受け取って収納し…事切れたグリーズの男を見下ろす。
この島でグリーズを見たのは初めてではない。
ただ…自分がグリーズになってから、他のグリーズに会うのはこれが初めてのことだった。
師匠は『あるべき場所へ還してほしい』と言った。
自我を失ったグリーズのあるべき場所…つまり、無理矢理繋ぎ止めた命を返し、死を受け入れろということなのだろう。
……ならば、俺はどうなのか。
自我を保っているとはいえ俺もグリーズだ。
本来ならば既に失われていた筈の命。
光の実によって生き永らえている俺は…自然な姿とはとても言えない。
「俺のあるべき場所は……」
ここではないのかもしれない。
「崇影さん。」
無意識に握り締めていた掌を、師匠がそっと包み込んだ。…温かい手だった。
今までアーキレイスというのは人の姿をした人形のような存在だとイメージしていたが、実際に会い、話し、こうして触れ合い…誤った認識だったと気付かされた。
師匠は俺の両手を取り、自らの両手に包んだまま胸の前でギュッと少し力を入れた。
まるで少し叱責するかのように。
「貴方は、光の実に選ばれたグリーズです。彼とは違う。歩むべき道を、間違えてはいけませんよ……」
俺は驚いて師匠を見る。
その澄んだ瞳は真っ直ぐに俺を見据えていた。
「光の実に選ばれた…?」
「こうして触れていると…貴方の中には今も光の実が宿っているのを感じます。取り込んだ魂の持ち主が貴方と共に生きることを望んでいるのでしょう」
「……!」
師匠の返答に、俺は言葉を失った。
『崇影、死ぬな……お前だけでも生きろ。自由な生活を…何者にも縛られない生活を……それが、俺の最期の願いだ。頼んだぞ、崇影……』
脳裏に蘇る、アイツの最期の言葉。
……だから、俺はこうして生かされている。
「……崇光…」
俺はその名を……懐かしく尊い響きを…胸に刻むように口にした。
俺に名を与え、生きる意味を与えてくれた男。
俺を守り、育ててくれた大切な存在。
「貴方は、何のために毎日ここを訪れていますか?」
俺の両手をそっと解放し、師匠が首を傾げた。
そんなのは、決まっている。
「強くなるためだ。」
「何のために強くなりたいのですか?」
師匠が問い掛けを重ねる。
何のため? トーキスに負けたからか?
いや、違う……そんな単純な話ではない。
「大切な者を、失わないために。」
そうだ、俺はもう二度と大切な人を亡くしたくない。
そのために、強くなりたい。
アイツの最期が目に焼き付き、何度も悪夢にうなされた。俺の夢の中で、アイツは何度死んだろう。
誰よりも近くにいたのに、俺はアイツを守れなかった。本当ならば、俺ではなくアイツが生き延びるべきだったんだ。
「それでは、崇影さん。貴方の言う大切な者とは何ですか?」
「…今は…」
師匠に問われた俺の脳裏に真っ先に浮かんだのは七戸の笑顔。
死にかけていた俺を助けてくれた恩人であり…忌み嫌われる存在である筈の俺を迷いなく『親友』だと言い切る、少し変わった優しい男。
……あいつは危なっかしい程に素直で、優しすぎる。
だから、俺が側で守る。あいつの願いが叶うまで、隣で見守りたい。
口を開きかけた所で、師匠はニコッと笑った。
「それがハッキリしているのなら、迷うことはありません。貴方は…貴方の思うように生きて良い。前を向いて成長を望むのであれば、僕はいつでも力をお貸しします。」
師匠の穏やかで濁りのない声が森に響く。
俺の感情の全てを理解した上で受け入れられたような……不思議な感覚だった。
「……感謝する」
頭を下げた俺の周囲をソラがくるくると飛び回った。
「崇影、顔上げて!」
言われるままに顔を上げると、ソラは俺の目の前まで飛んで来て、ふわふわと浮かんだまま目を細めた。
「ソラも一緒だよ。ソラも、セイロンのためにここに居る。ずっとセイロンの側にいる。セイロンが森から出られなくても、ソラはずっと一緒にいる」
「……そうか」
「応援してるよ、崇影。いつかすっごく強くなって、トーキスをぎゃふんと言わせてみてよ!」
むんっと力こぶを作って見せるソラに、思わず頰が緩んだ。
そうか……師匠とソラの絆は堅いんだな。
ドラセナへ帰ったら今日のことを七戸に話してやろう。
帰る場所があり、話したい相手がいるというのは、実に幸せなことだ。
「…承知した」
俺がそう答えると、ソラと師匠は驚いたように顔を見合わせ……笑った。
何かおかしなことを言っただろうか?
「崇影、いい顔してるね」
「笑った顔を見せてくれたのは初めてですね…」
2人にそう言われ、俺は初めて自分が笑っていることに気付いたのだった……
────
それから、その日はディンゴとの戦闘を振り返り、改めて『気配』というものについて師匠から教わった。
「道具の使用については、初日と見違える程鮮やかな立ち回りでした。お見事です。あとは崇影さんが知りたがっている『気配』についてですが…先の戦闘で何か気付きませんでしたか?」
そう尋ねられ、俺はディンゴ達から発せられていた気配の感覚を思い起こす。
それは師匠との特訓では決して感じることのない、赤羅様な気配。気配を隠そうともしない、粗雑な視線だった。
「燃え滾るような闘志と、殺意を感じた。」
その返答に師匠は満足そうに頷く。
「しっかり感じ取れていますね……気配を強める原因は恐らく…『心の揺れ』です。ディンゴ達の胸の中には崇影さんに対する敵意が強く生じていました。だから気配が分かりやすかったのではないでしょうか?」
「……成る程」
感情の揺れが気配を生じさせる一つの要因だとすれば、戦闘中であっても常に微笑みを絶やさず、大きな感情の起伏が感じ取れない師匠に気配が無いのも説明がつく。
「戦闘時こそ心を鎮めましょう。揺れ動く感情は気配を大きくします。心を保ち、気を鎮め…殺意を持たずに相手を仕留める。崇影さんの目指す姿は恐らくそれでしょうね。難しい話ではありますが、貴方ならきっと身に着けられる」
「俺なら身に着けられる…?」
「はい。僕が保証します。貴方は……僕の自慢の弟子ですから」
俺は言葉に詰まった。
出来損ないの半端者だという意識がずっと付きまとっていた俺を、自慢の弟子だと言う師匠の言葉が信じられなかった。
弟子として認めてさえ貰えていないと思っていた。
そんな俺に、ソラがそっと近付き「崇影、あのね…」と耳打ちをする。
「セイロンが弟子を取るのは崇影が初めてなんだよ。セイロン、あれでも実は崇影のことすごく気に入ってるんだから」
言われて俺は師匠を振り返る。
師匠は困ったように笑っていた。
「ソラさん……それは本人には言わないという約束でしたよ?」
少し照れているような表情を浮かべる師匠。
七戸がこの場にいたら、また可愛いだの綺麗だのと騒ぎそうな表情だ。
「あ、そうだっけ? ごめん、セイロン!」
ソラが「てへっ☆」と舌を出してウインクをする。
あぁ、そうか……俺は恵まれている。
再び得たこの命を、俺は大切にしなければならない。
師匠とソラが俺に向ける穏やかな表情を見て、俺はそう思い直した。
繋がる筈のない命だったとしても…こうして俺を受け入れ導いてくれる存在がある。
俺を頼り、信頼してくれる七戸がいる。
「師匠…明日からは、指導のレベルを上げてくれ」
俺の申し出に師匠とソラは顔を見合わせ、頷いた。
「分かりました。そうしましょう…しっかり着いて来て下さいね。」




