28.あるべき場所②
◇◇◇
鷹の姿のまま木から飛び立つ崇影を、セイロンは見送っていた。
「良かったの? セイロン」
ふわりと風が舞い、どこからともなくソラが姿を現す。
「……えぇ」
「崇影もグリーズなんでしょ? 同じ種なのに…」
哀しそうな声で言うソラを、セイロンは優しく掌で包み込んだ。
そしてそのまま掌に座らせ、顔の高さまで持って行き、視線の角度を合わせた。
「同じでは……ありませんよ。」
複雑な表情を浮かべるセイロンの頰をソラはそっと撫でる。
「そうだね…崇影は特別。他のグリーズとは全然違う。だけど…」
2人は同時に崇影の去った方へ…大空へ視線を向けた。
ソラは困ったように溜息を吐く。
「だからこそ……残酷な話だなって、思うんだよ…」
ソラの呟きに、セイロンは優しくソラの頭を撫でた。
「そうですね……でも大丈夫。彼はきっと大丈夫ですよ」
2人が見守る視線の先で今ー…大型の鷹が、獲物を捕らえるための旋回をしていた。
◇◇◇
俺は森の上空を旋回し、上空から先程認知したグリーズを目で追っていた。
異様な気配を持つその個体は、木々に阻まれた森の中でも強烈な存在感を放っていた。
日が落ち、辺りは徐々に暗さを増して視界が悪くなる。…それでも、正面から近付けばすぐに気取られてしまうだろう。
俺は極力警戒されぬよう十分な距離を保ち……相手の様子を伺う。
ディンゴのグリーズはフラフラと山道を登っていた。
……弱っているのか?
いや……変化した体に脳が追いついていないのか。
現在の姿が四足歩行に適した体で無いことが理解出来ていないのだろう。時折二足歩行になるが、落ち着かないのかすぐに両手を地に下ろす。
この様子なら仕留めるのは容易かもしれない。
早急にこの課題を片付け、いつもの特訓に戻るのが得策だな…時間は限られている。無駄にしたくない。
そう判断した俺は翼を収め……ディンゴ目掛けて降下を始めた。
人の姿になるまでもなく仕留められるだろう……大した相手ではない。
そう考えた、その時。
そいつは天を仰ぎ、こちらを見た。
ギラギラと異様な光を放つ双眸と視線が合致する。
いや…今気付かれたとしてもこの速度で相手に対応する術など無い筈だ。
俺はそのままディンゴ目掛けて突進しようとし…周囲から放たれる異様なプレッシャーに気付いた。
目の前のソイツじゃない。
周囲から複数の気配。
木々の間から勢い良く飛び出した何かが、ディンゴのグリーズに吸い込まれるようにこちらへ飛び掛ってきた。
一対複数……それもこの姿のままではさすがに部が悪い。
俺は咄嗟に身を翻してグリーズの後方へと人の姿で着陸し、状況を確認した。
周囲に複数のディンゴの姿。グリーズを守ろうとするかのように後ろに控え、俺に睨みを利かせて威嚇している。
……仲間がいたのか。油断した。
昼間であれば、例え森の中といえど上空からの目視で認知が出来たはずだが、生憎今は夕時……暗くなり始めたこの視界では、十分な視力が発揮出来ず気付くのが遅れた。
人の姿になってなお、ディンゴの群れを統率出来るということは、元々コイツはリーダー個体だったのだろう。
ゆらり、と二本足で立ち上げるグリーズ。
禍々しい気配を周囲に撒き散らしている。
グリーズが立ち上がったのを合図に、周囲のディンゴ達が散り散りに駆け出し…周囲の木々にその身を隠した。
姿は見えずとも、俺を囲むように位置取っているのが分かる。
……ディンゴは単体でも戦闘力の高い獣だが、群れになればそれは格段に底上げされる。
加えて奴らは身を隠すのも上手い。
こちらの姿を認識された以上、どこから襲われてもおかしくない状況だ。
つまり……複数いる相手の気配を探りつつ躱し、頭のグリーズを確実に潰さなければならない。
……面白い。
無意識に口の端に笑みが浮かんだ。
日頃師匠との特訓の中で僅かな気配を察知するための練習は積み重ねて来た。
これだけ闘争心剥き出しであれば、その気配を探ることなど造作もない。
真正面のグリーズがこちら目掛けて地を蹴った。
と同時に周囲の気配も動く。
一斉にこちらへと向けられる殺意。
一匹づつなら脅威にはならないが…複数同時となるとさすがに少々厄介だ。
……仕方が無い。
俺は懐へ手を入れ、帯に隠していた小袋からある道具を取り出した。
これを使用するのは初めてだが…この状況では有効な手立てだろう。
俺は手に取ったそれを地面にばら撒いた。
次の瞬間、キャイン、というディンゴの悲鳴が上がる。
数匹のディンゴが接近を止め、じりじりと後ずさりを始める。
俺が地面に放った物……それは『撒菱』だ。
安全な足場を奪えば、機動力は著しく低下する。
どこに撒かれているかも分からない以上、撒菱を踏んだ個体は下手に近づけなくなるはずだ。
それでも運よく撒菱を回避した数匹のディンゴがこちらへ向かって来る。
いや……刺さっているが痛みを無視して動いているという可能性も考えられる。
俺は続けて鎖分銅を投げ放った。
数メートル先で鎖分銅がディンゴの胴体に巻き付き、四肢の自由を奪う。
頭であるグリーズは…俺が撒菱を撒いた範囲を避けて大きく飛び上がり、そのままこちらへ突進して来た。
「丁度いい…」
俺は鎖で絡み取ったディンゴをグリーズに思い切り投げ付けてやった。
ビュンッ!と重い音。
続いてドカッと肉同士が激しくぶつかる音が響く。
勢い着いたディンゴの体がグリーズに正面からぶつかり…2匹纏めて吹っ飛んだ。
「があっ……!!」
グリーズは苦しそうな声を吐き出し、大木に背中から激突する。
大木と仲間のディンゴに挟まれて潰された形だ。
おかげでディンゴの方は大怪我にはならずに済んだだろうが、グリーズのダメージは小さくは無い筈だ。
師匠に指示を受けたのはあくまであの頭と思しきグリーズに対してのみ。
他の個体を無駄に死へ追いやる必要は無い。
その間にも背後から別の個体が飛び掛って来る。
俺は地面を手で掻き、握った砂を迫り来る個体の顔目掛けて投げ付けた。
「フゥッ!!」
視界を奪われたディンゴが特有の鳴き声を上げ、態勢を崩す。
俺はその隙にそいつを思い切り右脚で蹴り飛ばした。
「ギャンッ!!」
短い悲鳴。軽く吹っ飛び、そのディンゴは動かなくなった。……死んではいない、はずだ。
俺は手元に戻った鎖分銅をしならせて、近付いてくる残りの2匹を鞭打つ。
バシンッ!!
重い手応え。
2匹のディンゴは脳震盪を起こしてその場に伸びた。
これで一先ず、邪魔者は居なくなった。
俺は鷹の姿となって翼をはためかせ、撒菱だらけの地面を回避しつつグリーズの元へ直行。
態勢を立て直そうとするグリーズの目前で姿を戻し、その首元を一息にクナイで引き裂いた。
ザシュッ、と確かな手応え。
「オマエ…ハ、…ナン、ダ……?」
鮮血が飛び散り、崩れ落ちるグリーズの口から、微かに言葉が漏れた。
『オマエハナンダ?』
「俺は……お前と同じ…グリーズだ」
俺はもう聞こえていないだろうそいつに向けて小さく答え……開かれたまま絶命したグリーズの瞼をそっと手で閉じた。
撒菱で接近出来ず様子を伺っていた周囲のディンゴたちは「フゥッ、フゥッ…」と独特の鳴き声を残して後ずさり…その場を去っていった。




