25.俺だけの強み②
◇◇◇
森での狩りの特訓は、狩りを学ぶというよりは寧ろサバイバル全般についての演習だった。
「いいか、下手に相手を刺激すんなよ。食える奴を確実に仕留めろ。」
そう小声で説明しながら、俺の前方を慣れた足取りで歩くトーキスさん。
下手に声を出すと野生の動物達に警戒される、と言うトーキスさんの教え通り俺は敢えて返事はせず、静かにその言葉に耳を傾けながら着いて行く。
トーキスさんのように軽快な足取りとは行かないため、多少ガサガサと音が立ってしまうが…それについてのお咎めは特に無かった。
突然、前方を行くトーキスさんの背中がピタリと止まった。
「どうし……」
「シッ!」
声を掛けようとして、トーキスさんに手で制止された。
トーキスさんは物音を立てぬまま流れるような動作で弓を番える。
獲物を見つけたのか…!
俺は息を呑んでその様子を見守る。
バシュッ!!
狙いを定める時間は1秒にも満たない。
放たれた矢は約数十メートル先で不自然に突き立っている。何かに刺さったことは明らかだ。
やった…のか…?
トーキスさんが弓を下ろした様子から推測すれば、無事に仕留め終えたのだろう。
俺はトーキスさんに近付き、矢の飛んだ方へ目を凝らした。
もふもふした灰色の背中が見える。兎にしては大きい…狸か?
「回収すんぞ」
トーキスさんに促されるまま、俺はその獣の元へと急ぐ。
そこに倒れていたのは、狸によく似た…犬のような、狐のような、よく分からない動物だった。
とりあえず、俺の知っている動物で一番近いのはやっぱり…
「たぬきですか?」
「た…何だって?」
俺の問い掛けにトーキスさんが眉を顰めた。
「たぬき。違うんですか?」
「タヌキ? んなマヌケた名前の動物は聞いたことねぇ。コイツはフクログマ。腹の袋に木の実を貯め込む習性がある小型の熊だ。肉はそれなりに美味い。」
タヌキって、この島にいないのか…
あれって、日本の動物だっけか? などと俺が考えている間にも、トーキスさんは矢を引き抜き、仕留めたフクログマを仰向けに転がす。
確かに、その獣は腹にカンガルーのような袋が付いていた。
「フクログマ……」
初めて聞く動物名だ。
「コイツの袋の中確認してみろ」
「は、はい…」
動物の死骸を触るのは初めてかもしれない。
ドキドキしながら、俺はそーっとフクログマの袋に手を突っ込んだ。
まだ微かに体温を感じる。だが、ピクリとも動く気配は無い…
今この場で命を奪われたという事実がひしひしと伝わり…得も言えぬ気持ちになる。
いやいや、こんな所でしんみりしてる場合じゃない!
フクログマの袋の中にはゴツゴツした丸い物がいくつか入っていた。
俺はそれを順番に取り出してみる。
大きなドングリのような木の実と、くるみ。それが合わせて10個程度。俺の両掌では収まらないくらいのボリュームだ。
それを見たトーキスさんが嬉しそうに笑顔を浮かべた。まるで宝物を発見した少年のように瞳が輝いている…
この人のこんな素直な感情表現を見るのは初めてかもしれない。楽しそうだ。
トーキスさんって本当に狩りが好きなんだな…
「いいじゃねぇか、当たり個体だな! その実も全部食える。持ち帰るぞ」
「了解です!!」
俺はトーキスさんから分けてもらった革袋にそれらの木の実を全て収納する。
それを確認すると、トーキスさんは腰の辺りから一本の刃物を取り出した。
刃渡二十センチ程度の狩猟刀だ。
それを横たわるフクログマの首の辺りに当てがい、一切の躊躇無く引き裂いた。
ブシュッ、と血しぶきが上がるが、トーキスさんは気に留める様子もなく淡々と手元を動かしている。慣れているのだろう。
フクログマの体を何度か屈伸させるよう動かし…恐らく血抜き、というやつだ。
俺はと言えば…目を逸らしそうになるのを必死で耐えながら、トーキスさんの手裁きをしっかりと目に焼き付ける。
「幸木、狩りの基本だ、覚えとけよ。獲った獲物は即行で血抜き。あと内臓もなるべくその場で出す方が安全だ。」
トーキスさんは言いながらフクログマの下腹部をスッと割き、中から腸らしき物を掻き出した。
「……っ…」
さすがに内臓はビジュアル的に刺激が強い……俺は一瞬胃液が戻りそうになるのを何とか堪えた。
ヤバイな…コレ見た後で俺、今まで通りに肉を食えるだろうか……
「オイ、逃げんなよ。」
「わ、わかってます…」
トーキスさんに釘を刺され、俺は自分の頬を両手でパンッと叩いて気合を入れ直した。
びびってる場合じゃない。グロい、キモいとか女子みたいなこと言ってる場合じゃない。
俺はトーキスさんが教えてくれる全てを吸収するんだ。
これは実習。そう、あれだ! 理科の実習授業。そう思って挑むしかない。
まぁ、実際に学校で解剖なんていう授業は経験してないけどな……
「内臓が美味い奴もいるけど劣化が早ぇし、下手に食って腹壊す可能性もあるから、持って帰る時は出せるだけ中身を出しておけよ。」
「はい。」
「出した内臓は土に埋めときゃとりあえず問題ねぇ。最低限のルールとして、その場に放置はすんな」
「はい。」
トーキスさんは慣れた手つきで血塗れの内臓類を全て掘った穴の中に埋めた。
放置をすれば虫や鴉が集まり、悪臭を放ち…大変なことになるだろうことは俺でも何となく分かる。
あれ? なんか…戦闘訓練じゃなくてサバイバル指導みたいになってないか?
と思ったが、知っておいて損をすることではないし、狩った以上必要な処理なのだから当然か、と自分に言い聞かせる。
トーキスさんは処理を終えたフクログマの両手足を縄で縛って肩に担いだ。
「すぐそこの川で洗ってくか。水場近くは獲物も集まるからな…次はオマエが獲れ。」
「え、俺が…ですか?」
「俺がですか? じゃねぇよ。 何しに来たのかわかってんのかオマエ」
「すみません! やります!! 仕留めます!!」
呆れたように溜息をつくトーキスさんに着いて、俺は周囲を警戒しながら歩いていく。
さっきのフクログマも俺には全く見えていなかった。獲物が射程範囲にいることさえ気付けていないのでは、狩りどころじゃないな…
神経を研ぎ澄ませて、森の中を探る。
風に揺れる木々の音、鳥の声、微かに聞こえる水の音…川が近い。
集中して耳を澄ませるとこれだけの音が認識出来るのかとハッとした。これはもしかしたら実戦や身を守るために重要な感覚かもしれない。
「…幸木、見ろ」
トーキスさんに言われて覗くと、細い川があった。恐らく森の入り口にあった小川が分岐してここまで流れて来ているのだろう。
「洗うには狭くないですか?」
その川の周囲は大きな岩に囲まれて谷のようになっており、水に触れるところまで行くのはなかなか骨が折れそうだ。
足を掛けられそうな岩はいくつかあるが、かなり狭い。
「違ぇよ。岩の上だ」
トーキスさんに呆れたような口調でそう突っ込まれ、俺は改めて視線を追う。
そこにいたのは先ほどのフクログマより細身で、やはりもふもふの…
「…たぬき?」
「オマエそれ好きだな…タヌキなんて動物はこの島にいねぇっつってんだろーが」
いやだって、他に似た動物が思いつかないんだから仕方ないじゃん…
トーキスさんは小声で続ける。
「あれはジェネットの中でも希少なルナジェネットだ。食える肉は少ねぇが、毛皮は防具にも使われる。獲れ」
そう指示を出され、俺はホルスターから三口銃を取り出した。




