22.手合わせをお願いできますか?②
◇◇◇
相手は森の主。直接的な拘束による攻撃に戦闘条件を絞っているとはいえ、大きな実力差があることは明らかだ。
トーキスと同等…いや、もしかしたらそれ以上の手練れ。
あのトーキスが「厄介な相手だ」と認める程の存在だ。
とはいえ、『森の主』が直々に相手を務めてくれるのであれば、これほど有り難い話も他にあるまい。
俺は森の主の間合に入らぬよう後方へ距離を取りながら、相手が視界に入るよう顔を上げた。
まともに正面から挑めば歯が立たない。となれば下手な遠慮は不要だろう。忌み嫌われるこの体質も、惜しみなく利用すべきだ。
そう判断した俺は、自らの体を鷹へと変化させ、上空へと舞い上がった。
スピードには自信がある。
森の主の姿を視線の端に捉えながらも軌道を悟られぬよう敢えて旋回しながら急降下。
鎖分銅が届く距離になったら変化を解けばいい。
「体質を上手に使えていますね…それに、とても速い。」
関心したように口の端を僅かに上げる森の主の表情が目に入った。
トーキスのような敵意のある表情とは真逆の…毒のない慈愛さえ感じる笑み。この場においては、むしろ不気味だ。
俺は人の姿へと変化し…同時に鎖を投げ放った。
ここまで近づけば捕らえられる。
その鎖は真っ直ぐに森の主へと伸び…呆気なく目標物を捕らえた。
……かのように、見えた。
手応えが無い。
鎖を引き込み、俺は違和感に気付いた。
そこに森の主はもういない。
消えた!? いや、避けられた。
しかし放った鎖分銅を巻き取り体勢を直すより先に…右腕に妙な感触。
俺は即座に右方向へ視線を向ける。
「捕まえましたよ、崇影さん。」
目の前に人形のように美しい顔があった。
まるで鬼ごっこを楽しむ子どものような、毒のない純粋な瞳。
ゾワッと全身の毛が逆立つのを感じる。
逃げろ、と本能が訴えている。
だが…もはや手遅れだというのも頭の片隅で理解していた。
悪意の感じられない、ぞっとするほど美しい微笑みを浮かべる森の主。
と同時に、右腕だけでなく崇影の右半身全てを覆うように蔦が這い上がってきた。
まるで得体の知れない妖怪を相手にしているような気分だ。
「っっ!!」
反射的に左手でクナイを取り出し、蔦を引き裂こうと振り被る。
クナイを使用するのは反則か? という考えが頭の片隅に過ぎるが、それどころではなかった。
完全に相手のペースに飲み込まれている。
冷静に判断する余裕すら与えられない。
「相手の行動力を奪う。それが拘束の基本ですからね…」
森の主の澄んだ声が耳元に響く。
刹那……視界に映る天地がひっくり返った。
至近距離にあったはずの森の主の顔が遠ざかる。
投げ飛ばされたのだと気付いた時にはもう、目の前に次の一手が迫っていた。
即座に再び姿を鷹へと戻し、寸での所で迫っていた蔦を回避して上空へ避難する。
「さすがの反射神経ですね。」
避けられたと気付くとすぐに蔦を腕に収め、静かにその場に佇む森の主。
かなり余裕があるのが見て取れる。
トーキスと対峙した時とは明らかに違う何かが森の主にはあった。
それ故に、やり辛い。相手の次の動きが読めない。
先と同じ手では通用しないだろう。
俺は敢えて森の主の背後の太い木へ向かって降下し、人の姿になると同時に幹を足場にして踏み込んだ。
鎖を投げれば避けられる…ならば初手はフェイントにして相手の一手を誘う。
森の主へ向かって飛び込みざま、クナイを投げ付ける。
森の主は右手を軽く動かしてそれを蔦で弾き飛ばした。
――そこだ。
俺は体勢を沈め、森の主の視界から逃れつつ鎖を投げ放つ。
狙いは足だ。片方でもいい。
バランスを崩すことが出来れば相手のペースを乱せる。
しかし、俺の放った鎖は虚空を薙ぐのみだった。
そして右足に堅くしなやかな幹の感触……
「っ!?」
足を捕らえられたのは、俺の方だった。
ギュンッ!!
と風を切る音。
俺の体は横薙ぎに投げ飛ばされ…なす術もなく勢い良く地面に転げ落ちた。
「大丈夫ですか?」
地面に突っ伏した俺の元へと森の主が駆け寄って来るのが見える。
…だが足音は聞こえない。気配も感じ取れない。
違和感の正体はこれか……
ようやく気付いた。
トーキスとセイロンの明らかな違い。
トーキスには感情の動きや気配がある。単純な能力値の差は大きく瞬時の対応は難しいが、ある程度は次に来る攻撃の予測が可能だ。
それに対し、このアーキレイス…森の主は、一般的な生き物を相手にした際にあるはずの『気配や感情の揺れ』を感じ取ることが出来ない。
―ふと、脳裏に昔の記憶が呼び起こされた。
『気配や殺気を消すってのは難しいんだよな。けど、出来ればめちゃくちゃ強い。相手が気付いた時にはもう、仕留め終わってんだからさ。』
そう言って屈託なく笑うのは、小柄で少し童顔の男。
とても大切な…俺の主だった人間。
そうか、あいつが言っていたのはこういうことだったんだな……
今になってようやく俺にも理解が出来た。
目の前に差し出された透き通るように白く華奢な手を取り、俺はゆっくりと体を起こした。
口内に土の味を感じる。
ペッ、と軽く土を吐き出してから、森の主を見上げた。
「崇影さん、素晴らしいです。貴方は、きっともっと強くなれる。」
「……」
真っ直ぐに俺を見つめる、エメラルドの瞳。
澄んだ瞳の奥をどれだけ探ろうと、言葉以上の感情は何も読み取れない。
厄介な相手か…全く以てその通りだ。
「気配は、どうしたら消せる?」
「気配ですか?」
俺の問いかけに、森の主は大きな目をさらに丸く見開いた。
「師匠からは気配が感じられない。俺にも…それを伝授願いたい。」
率直に伝えた。
師匠はうーん、と眉を寄せ、少し悩む。
「僕はアーキレイスですから、他の生き物と比べて気配が薄いのは恐らく生まれつきです。ですが…そうですね、気配を薄くしたいのであれば、周りの物に意識的に同化するのが効果的かもしれませんね。」
「周りに同化……」
師匠が頷く。
「僕は常にこの森と…森の木々と同化しています。なので崇影さんは僕の気配が感じられないと言いましたが、むしろ僕の気配はこの森全てに拡散されています。」
「なるほど…それはアーキレイス特有のスキルだな。」
ということは、俺がそれを身に着けるのは不可能か…
そう諦めかけた俺に、師匠は「やるだけやってみましょうか」と声を掛けた。
その表情は笑っている。
「まずはその鎖分銅の練度を上げましょう。気配についての話はそれからです。」
「承知した。」
「人間であっても、気配を消す達人はいます。崇影さんは鷹ですから、こういった自然界の中であれば、人間よりも有利だと思いますよ。」
なるほど、そういう考え方もあるのか…非常に勉強になる。
「さて…崇影さんの実力も何となく分かりましたので、ここからが本番ですね。実戦と振り返りを繰り返しながら、練度を上げましょう。」
「あぁ…承知した。」
こうして、俺はこの日より森の主…基師匠の元で、実戦のための訓練を行うこととなったのだった。
もう二度と『大切な者』を失わないために。もう二度と『後悔の残る選択』をしないために。
―強くなりたい。




