20.身代わり石①
1週間。
俺は崇影鬼コーチの地獄のトレーニングメニューを死に物狂いでこなした。
途中何度もマジで死ぬんじゃないかと思った。
全身の筋肉が悲鳴を上げ、痛みでパフォーマンスが思うように上がらず…それでも崇影は一切の妥協を許してはくれない。
昨日より今日、今日より明日、と徐々に負荷は大きくなっていく。
その代わりと言っては何だが、朝の訓練の時間が終われば崇影は俺に優しかった。
筋肉痛のせいで動くのもやっとの俺を庇い、商品の在庫出しや荷物の受け取りなど、力仕事は進んで請け負ってくれていた…のだと思う。
俺が動くより先にそれらの仕事を終わらせてしまうものだから、俺を庇うために率先して動いているのか、単純に俺の動きが遅いだけなのか、正確な所は分からない。
そして甘えるわけに行かないとは思うのだが、崇影の対応速度が速すぎて俺に仕事が回ってこないというのが正直なところだ…
店長から貰う疲労回復ドリンクと、店長の作る疲労回復・滋養強壮に特化した美味い飯のおかげで何とか日々をやり遂げられている。
何なら先日からはプロテインのようなドリンクまで用意してくれているため、環境としては恵まれ過ぎていると思う。
何度か心が折れそうにもなったが、ここまでのサポートを受けておいて投げ出すことなど許される筈もない。
結果、俺は2人のお陰で何とか…根性と気合いのみでここまで保っているといった状況だ。
そして今日……約束通りならトーキスさんが帰って来る。
崇影とのトレーニングもここで終了するわけでは無いため、トーキスさんの戦闘訓練が始まれば俺の毎日の特訓がますますハードになることは間違いない。
いや……待てよ。
トーキスさんは元々鉄砲玉でなかなか帰らないって話だったし、エルフは人間より遥かに長寿だから時間に対する感覚が人間とは違うかもしれないな…
確か海外の人は日本人より約束の時間に対してルーズだって言うのも聞いたことがある。
だとすれば、1週間で帰ると宣言したからと言って本当に1週間で帰って来るとは限らないんじゃないか…?
それなら戦闘訓練までには少し猶予があるかもしれない。
出来ればこの筋肉痛がもう少し落ち着いた頃に帰って来てくれないかな…
などと軽く考え、いつも通り店番をしていた時だった。
バタン、と無遠慮に扉が開いた。
「いらっしゃいま…」
言いかけて、止めた。
そこに立っていたのがトーキスさんだったからだ。
下手に接客スタイルで迎えるとまた睨まれてしまう…。
「お帰りなさい、トーキスさん。」
俺は言い直して出迎えた。
…宣言通りきっちり1週間で帰ってきたな…
と内心ガッカリするが、顔に出ないよう平常心を装う。
「おぅ、幸木、ちったぁ体鍛わったかよ?」
言いながら僅かに口角を上げ、トーキスさんが俺の前まで歩いて来た。
そして徐ろに俺の腕を掴み上げる。
そのまま筋肉の具合を確かめるように軽く握られた。
「いてててて!!!」
俺は思わず悲鳴を上げた。
なんせ連日のトレーニングによる筋肉痛で身体中ガチガチ。薬草をすり潰した塗り薬を全身に塗りたくり、その上から晒のような布を巻いてサポーター代わりにしているような状況だ。
急に腕を動かされると筋肉が悲鳴を上げる。
「あ〜…なるほどな。タカ、オマエ…コイツに何やらせてる?」
トーキスさんにそう聞かれ、商品出しをしていた崇影が顔を上げた。
「特別なことはさせていない。筋トレとランニング、それとストレッチだ。」
「どの程度だ?」
「ランニング20分、筋トレ30分、ストレッチ20分だな」
「はーん、いい感じじゃねぇか…まだまだ体は出来上がっちゃいねぇが続けりゃ間違い無く体の基盤は作れる。続けろよ、幸木。」
「は、はい……」
満足したのか、ようやく俺の腕は解放された。
マジで遠慮とか思いやりとか、そういうのは無いのか!? と恨みがましく思うが、そこがトーキスさんらしいっちゃらしいんだよな…
「んで、戦闘訓練だけどよ。」
言いながらトーキスさんはいつもの仕入れ用の革袋をカウンターへ置く。
「朝に筋トレしてんだろ? その時間は削りたくねぇから閉店後に行う。構わねぇよな?」
「は、はい!」
俺は背筋を伸ばして敬礼をする。それだけで二の腕がプルプルする…痛い。
無駄なリアクションはすべきじゃないな…
ドラセナショップは5時半に閉店。その後なら夕飯までにも1時間くらいは余裕がありそうだ。
このコンディションで閉店後に1時間トーキスさんの特訓を受けるのか…
果たして耐えられるんだろうか…?
と弱気な俺が顔を擡げるが、意識的にそれを振り払った。
出来るかどうかじゃなくてやるんだ! やるしかない。
「決まりだな。んじゃー俺はとりあえずシャワー浴びて仮眠すっから、閉店後に裏の訓練場に来い。いいな?」
「分かりました!」
俺はすぐにそう答えたが、返事も待たずに奥の居住スペースへと消えていったトーキスさんに届いていたかは定かではない。
遂に始まってしまうのか…実戦に向けた特訓が…
俺は密かに生唾を飲み込んだ。
トーキスさんと入れ違いに店長が店の奥から戻ってきた。
「トーキスが帰ったようだね。仕入れ品はカウンターかな?」
「はい。今そこに置いて行ったみたいです。」
「ありがとう。」
店長は慣れた手付きで革袋から商品を取り出して検品を行う。
「おや、これは……」
店長の手が止まった。何か珍しい品でも入っていたのだろうか?
もしかして魔道具か!?
俺は思わず気になって店長の手元を覗き込んだ。
「何かありましたか?」
「あぁ、少し珍しい石が入っていたんだ。」
そう言って店長が取出したのは小さな5センチ四方のガラス片のような物だった。
店長の口振りからすると、これはガラスではなく石だということだが……
「これは何の石ですか……?」
俺はそっとそのガラスのような石を持ち上げてみた。
とても軽く、ビー玉のようで綺麗だ。朝日を浴びてキラリと光を反射している。
ガラス片と明らかに異なる点としては、不規則に緩やかな湾曲があり、色もクリアではなくブルー系のメタルのように見える。
ビー玉にこんな色のやつがあった気がするな…とふと懐かしい気分になる。




