15.眠れる王子様①
翌日。
開店したばかりのドラセナショップの扉が、突如やけに勢い良く開かれた。
「邪魔するよ!!」
よく通るアルトボイスが店内に響き渡る。
カウンターの崇影は怪訝な目で入り口を見やった。
この静かなドラセナショップで、こんな派手な入店をする客は今まで見たことがない。
カツカツとヒールの音を軽快に鳴らしながら店内へと入って来たのは、白衣を来た1人の長身の女だった。
白衣の下は黒いカッターシャツにタイトなミニスカート、足元は網タイツという怪しさ満点のスタイル。
金髪のショートカットに、切れ長の青い瞳。チェーンの付いた薄いフレームの眼鏡を掛けている。
「やあ、アリエス。わざわざ足労をかけてすまないね。」
来店に気付いたタウラスが笑顔で出迎た。
そしてアリエス、と呼ばれた女性の背後へ視線を送り、
「リネットちゃんも、ありがとう。」
と声を掛ける。
長身のアリエスに隠れて姿が見えなかったが、アリエスの背後に白いワンピースで白い救急セットを手にしたリネットが立っていた。
「こ、こんにちは……」
遠慮気味に小さく頭を下げるリネット。
それとは対照的に、アリエスは無遠慮にタウラスとの距離を詰めた。
「なぁに、怪我人が出れば駆け付けるのは医者の当然の役目じゃあないか。気にするな、タウラス!」
言いながら笑ってタウラスの肩をバンバンと叩く。
これにはさすがのタウラスも苦笑いだ。
「それで……その床に伏しているという『美少年』はどこにいるんだい?」
嬉しそうに眼鏡の奥に笑みを浮かべながら、アリエスがタウラスの肩に手を回して尋ねる。
「せ、先生!! 近いです!!」
リネットが顔を真っ赤にしてそう指摘をするが、アリエスは全く気に留める気配が無い。
「相変わらずだね、君は……」
タウラスは困ったように笑った。
その様子を、カウンターの崇影が怪訝な表情を浮かべたまま無言で眺めている。
それに気付くと、アリエスは「おや?」と笑みを深めた。
スルリとタウラスの肩から腕を外し、崇影の方へと近づく。
「こんなところにも美青年が! 新顔だね…無愛想だがなかなか秀麗じゃあないか? なぁ、リネット?」
言いながらカウンター越しに崇影の頬へ触れるアリエス。名を呼ばれたリネットは、ますます顔を真っ赤にして、アリエスの白衣を引っ張った。
「先生! もう少し距離感を……」
「なんなんだ、こいつは…」
突然初対面の相手に頬を撫でられた崇影は、嫌悪を露わにアリエスの手を払い除ける。
しかしアリエスは怯まない。
「美しいお姉さまに向かって『こいつ』とは随分な言い草だね。私は医者だよ。名をアリエスと言う。さぁ、呼んでみたまえ!」
よく通る声でそう名乗り、両手を広げて崇影の返事を待つアリエス。
崇影は無言で眉を潜めた。
「なんだ、ノリが悪いな!」
不服そうにそうため息を吐いたアリエスの肩をタウラスが軽く叩いた。
「アリエス、君のペースに着いて行ける者はなかなかいないよ。」
タウラスの言葉に、アリエスは小さく肩を竦める。
「崇影くん、彼女はこれでも腕は確かな医者だ。そんなに警戒しないでやってくれ。」
「医者…」
崇影の表情には不信の色が浮かんでいる。
「アリエス、紹介しよう。彼はアルバイトの…」
「崇影だ」
崇影が名乗ると、アリエスは満足そうに頷いた。
「うん、いい名だね!」
「崇影くん、私は店番をするから七戸くんの部屋まで案内を頼めるかな?」
タウラスにそう言われ、崇影は「承知した」と答える。
アリエスとリネットは、崇影に着いて七戸の部屋へと向かった。
−−−−−
コンコンコン。
……………
崇影が部屋のドアをノックするが、七戸からの反応は無い。
「七戸、入るぞ。」
ドア越しにそう声を掛け、そっと扉を開けると、どうやら七戸は眠っているようだった。
「なるほど、これがタウラスの言っていた、負傷した美少年だね…」
アリエスはゆっくりと眠る七戸へと近づく。ベッドの横で屈み、七戸の髪へ触れた。
伸びた髪がサラリ、とアリエスの手の上を滑る。
「なかなか可愛い顔をしているじゃないか……」
アリエスは嬉しそうに目を細め、七戸の顔に長い指を伸ばした。そして少しづつ顔を近づけていく。
◇◇◇
―……あやふやな意識の中で、俺はまだ洞窟の中にいた。
小さな目玉の蟹が大量に発生して俺を追いかけてくる。
俺は必死で逃げる。
だが蟹は信じられないスピードで増えていき、やがて俺の足元まで到達。足の先から体へと這い上がってくる。
『うわぁぁぁぁ!!』
このまま蟹に埋もれるかと思った所で…目が覚めた。
「へ?」
目の前に、顔があった。それも相当の至近距離だ。微かに息がかかる。
眼鏡の奥に見える長い睫毛と青い瞳。その人の前髪が俺の額に触れている。
え? え? なんだ、この状況!? てか、誰!?
「おや?」
その人が嬉しそうに言葉を発した。少し低めの女性の声だ。
「お目覚めかな? 眠れる王子様。」
「だ、だだだだ…誰!?」
唇が触れる寸での距離で笑顔を向けられ、俺は思い切り動転する。
何でこんなことになってるんだ!?
ベッドに寝ている以上、逃げようにも逃げられない。
その人はゆっくりと体を起こし、俺から離れた。
某歌劇団の男役のような、ハンサム美人だ。
いやしかし! 寝ている間に何があったんだ!?
俺のファーストキスは守られているのか!?
「よく眠っていたから、口吻で王子様を起こそうかと思ったのだが、いや残念。惜しかったねぇ。」
本気だか冗談だか分からない口調でその人が笑う。
ということは、未遂だな!?
俺は内心ホッと胸を撫で下ろす。
いやいや…普通初対面の相手をキスで起こそうとか考えないよな?
何なんだこの謎な人は…冗談だったにしても、さっきの距離は危なかったぞマジで!!
「先生! さすがにそれは…ダメですよ!!」
俺とその女性の間に割り込むようにして駆け付けたのは……
「リネットちゃん!」
「七戸さん、勝手にお部屋にお邪魔してしまい、すみません。」
リネットちゃんは真っ赤な顔をしていた。
リネットちゃんがいて『先生』と呼ぶってことは、つまりこの人は……
「医者のアリエス先生、ですか?」
俺の問い掛けに、その女性は嬉しそうな笑顔を見せた。
「おやおや! 初対面なのに私の名を知っている。よく分かっているじゃないか、青年。」
そう言いながら俺の顔を覗き込み、頭を撫でる。
…いや、近い。
しかも、リネットちゃんの目の前で。
待てよ。てことは、さっきのキス未遂もリネットちゃんに見られてたってことかー…!!!
俺は思わずリネットちゃんの方へ視線を向ける。
リネットちゃんは恥ずかしそうに困った顔をしていた。
「せ、先生、あの、七戸さんも困っていますし…怪我をされているのですから、もう少し距離感を持って下さい…」
リネットちゃんにそう咎められ、アリエスさんは「おやおや?」と片頬笑んだ。
「リネットが私に意見するとは珍しい。嫉妬をしているのかな?」
「そんなつもりは……」
「可愛いリネット。その嫉妬は、彼にかい? それとも……私にかい?」
アリエスはそう問い詰めながら、リネットちゃんの顎へそっと指をかける。
リネットちゃんは「え、えっと…」と言葉を詰まらせ、耳まで茹でダコのように真っ赤になってしまった。
そうか、このアリエスさんという人は…誰にでもこういう距離感なんだな。日頃のリネットちゃんの苦労が伺えるようだ……




