7.カルムの森③
「お助けするのが遅れ、申し訳ありません。怖い思いをさせてしまいましたね。」
女性にしては低く、男性にしては高い…不思議と心地良い響きの声。
透き通るアクアブルーの髪が風を纏い、肩の上でキラキラと輝いて見える。
白いブーツに、白い装束。華奢な体は姿勢よく真っ直ぐ伸びて、こちらへ向かってゆっくりと歩いて来る。
なんて綺麗な人なんだろう…
呼吸をするのさえ忘れてしまいそうな美しさだった。
絶世の美少女…いや、美少年かもしれない。
性別不詳だが、とにかく文句無しに美しい。
白く陶器のような肌、長い睫毛に大きなエメラルドのような瞳。薄いサクラ色の唇。
耳はエルフのように長くは無いが、先が尖り、蔦のような模様が入っているのが確認出来る。
「聖なる人…」
俺の隣に並んだ崇影がそう呟いた。
「聖なる人? 崇影、この人のこと知ってんのか?」
「いや…カルムの森に聖なる人と呼ばれる森の主がいることは知っていたが…」
聖なる人。
これ以上無いほど納得の呼び名だ。
…て、ちょっと待て。森の主? この人が?
「僕のことを、そう呼ぶ人も確かにいます。」
その聖なる人は微笑んでそう頷いた。
笑顔が尊い…!
僕、ってことは、美少年? いや、そうとは限らない…って、それどころじゃなくて。
本当にこの人が森の主なのか? 俺の中のイメージと全然違う…
「ですが、出来れば名前を覚えていただけると嬉しいです。僕は『セイロン』と言います。」
美しいその人の言葉を、俺は脳内でしっかりと反芻する。セイロンさん…よし、覚えた。
あまりのセイロンさんの美しさに、周りが見えていなかったが…気付くとその肩の上には、先程の妖精のような少女が座っていた。
「こちらは、僕のサポートをしてくれている精霊の…」
とセイロンさんが少女に視線を向けると、少女は再びふわり、と浮いて、俺の目の前まで飛んできた。
「ソラだよ。よろしくね!」
大きな瞳はセイロンさんとよく似た淡いミントグリーン。
高い位置でツインのお団子にまとめた髪も、ミントグリーンで柔らかそうだ。
花をそのまま服に仕立てたようなワンピースに身を包み、ふわふわと飛び回りながら無邪気な笑顔を見せている。
精霊…って言ったな。
精霊って目に見えない存在だと思っていたんだが、こんな普通に目の前を飛び回る物なのか?
「お兄さん達は、トーキスのお友達なの?」
ソラちゃんが、屈託のない笑顔でそう尋ねる。
「ダチじゃねーし、出て来んのが遅ぇよ」
面倒そうにそう言いながら、トーキスさんがこちらへ近づいてきた。
そうか、トーキスさんはこの2人と知り合いなのか。だとしても…森の主なんだよな? そんな口の利き方をしていいのか?
「もう、相変わらず口が悪いんだから!」
ソラちゃんは頬をぷくーっと膨らませて、不満を顔いっぱいで表現している。
…可愛いな。
それからこちらへ振り返り、
「お兄さん達のお名前を聞いてもいーい?」
と大きな瞳でじっと見つめてきた。
「はい! 名乗り遅れました! 俺は幸木七戸といいます!」
「俺は崇影だ。」
俺達が名を告げると、ソラちゃんは嬉しそうに笑った。
「七戸さん、崇影さん。改めて歓迎します。ようこそ、カルムの森へ。」
セイロンさんが、改まって俺達にお辞儀をする。
俺もつられて、「ど、どうも…」と頭を下げた。
「おい、セイロン」
トーキスさんが近くの木にもたれて腕組みをしながらセイロンさんを睨む。
いや、森の主相手にその態度って大丈夫なのか!?
「登場が遅れた理由を言え。オマエならもう少し早くコイツらを助けられた。そうだろ?」
え、そうなの?
思わずセイロンさんの顔を見る。
「お言葉ですが、トーキス。こちらも教えて下さい。何故初めて森に入る人間を連れてきたというのに、危険な目に晒したのですか? 貴方なら、もう少し上手く立ち回れたでしょう?」
え、トーキスさん、わざと俺を危険な目に合わせたってこと?
今度はトーキスさんの顔を見る。
トーキスさんはふん、と面白く無さそうに鼻を鳴らした。
「勝手に俺の側を離れたのはソイツらだ。俺はダチじゃねーし、コイツらを助ける義理はねぇんだよ。」
トーキスさん、実は優しいのかと思ったけど、前言撤回! やっぱり怖い人だ…
「嘘つき。」
ソラちゃんがトーキスさんの前をふわふわと飛ぶ。
「そんな無責任なことしないよ、トーキスは。」
「そうですね。僕もそう思います。」
2人からそう言われたトーキスさんの眉間に、2本の深い皺が寄る。
「うるせぇな! つーか、オマエが全然出て来ねぇのが悪いんだろうが。こっちはずーっとオマエを探して森に何度も入ってんだよ。何で出てこねぇんだよ!」
吐き捨てるようにトーキスさんが言った。
店長が言っていたトーキスさんの探し人って、セイロンさんのことだったのか…
ずっと探して何度も森に入ってるって、相当会いたかったってことだよな…
もしかして、トーキスさんはセイロンさんのことが好きなのか!?
これだけ美人なんだ、有り得ない話ではない気がする。
2人の会話を聞きながら、なんだかドキドキしてきてしまう。
「僕を探していたんですか? それは…気付けず、すみません。」
セイロンさんが素直にそう謝ると、トーキスさんの眉間の皺がさらに深くなった。
「オマエは相変わらずだよな、そういう所がマジで…」
ブツブツと言いながら、トーキスさんが右手を後ろへ引いたのが分かった。
「腹立つんだよ!!」
吐き出した声とともに、トーキスさんは引いた右手を思い切りセイロンさんに向けて振り上げた。
その瞬間、トーキスさんの掌から小さな竜巻のような風の渦が放たれる。
あれって、まさか攻撃魔法なんじゃないのか!?
森の主相手に攻撃仕掛けるとか、どういう状況なんだ!?
混乱する俺をよそに、セイロンさんはスッと後方に下がり、顔色を変えないまま右手を翳した。
トーキスさんの放った竜巻がセイロンさんへと迫る。
直撃は免れない―!
しかし、次の瞬間…竜巻はセイロンさんの掌へと吸い込まれて行った。
何が起きたか全然分からないけど、良かった…と思ったのも束の間。
何とトーキスさんは背中に担いでいた弓を取り出し、セイロンさんに向かって番えている。
物理攻撃を仕掛けるつもりなのか。
「ちょっと、トーキスさん…!」
思わず飛び出そうとした所で、崇影に肩を掴んで止められた。
「七戸。下手に手を出すな」
「でも、このままじゃ…」
「落ち着け。迂闊に止めに入れば、怪我をするのはお前だ。」
ごもっともだ。 俺に戦闘スキルなんて皆無だし。 そんなこと分かってはいるけど、このまま2人の喧嘩を止めなくていいのか?
痴話喧嘩にしては、危険すぎるだろ。
「心配してくれてありがと。でも、あの2人なら大丈夫だよ」
オロオロする俺の目の前に、ソラちゃんが笑いながら飛んできた。
「大丈夫って…」
とても大丈夫そうには見えない。
トーキスさんが放った2本の矢はセイロンさん目掛けて真っ直ぐに飛んでいく。
ところが、セイロンさんは避ける素振りも、防ぐ素振りも見せない。このままじゃ直撃だー…
と思った次の瞬間。
周囲の木々がざわざわと動き出した。
大木に巻き付いていた蔦が縄のように捻れながらセイロンさんの前に集まり、矢を弾き落とす。
先程、崖から落ちかけた俺を助けてくれた時と同じだ。
ただ、あの時は確かソラちゃんが身振りで木々に指令を出しているように見えた。
今は…ソラちゃんは勿論、セイロンさんも特別な動きはしていなかった。
まるで木が、森が意思を持ってセイロンさんを守っているかのような…そんな風にも見える。
そんなこと、あり得るのか?
「トーキスってば、いつもああやってセイロンに喧嘩仕掛けて来るんだ。この森の中でセイロンに攻撃が当たるわけが無いってこと、分かってるハズなのに。」
「いつも?」
「そうだよ。だから心配いらない。見てて。」
ソラちゃんにそう促され、2人の様子を見守る。
森の中でセイロンさんに攻撃は当たらない…それって、やっぱり森の主だからってことだよな?
トーキスさんは、いつもセイロンさんに攻撃を仕掛けてる…だとすれば、どうしてセイロンさんはトーキスさんを森から追い出さないんだ?
確か、森の主は森に害を成す人物は排除するって話じゃなかったっけ…




